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噂ではどうやら彼女は完璧らしい。
それは嘘だ。
彼女は完璧ではない。
婚約者が正式に決まってからしきりにそう言われだしたし、公での彼女は確かにそうだった。
しかし、その虚像は彼女の並々ならぬ、まさしく血反吐を吐くような努力の賜物であって、彼女は常にギリギリだった。
彼女の生まれた立場と取り巻く環境がそうさせるのだろうけど、彼女が誰も頼ろうとしなかったのもその原因の一つである。
このままでは彼女はいつか壊れてしまうだろうと俺には容易に想像がついたが、それを知らないフィルメリア様は加速していく。
精一杯で追い詰められていた彼女は知らないだろうけど、状況はいつも彼女にとって良いものとは言えなかった。
また数年が経ちアルトステラ嬢はいっそう美しく成長した。
周りの男達は彼女が微笑むと顔を赤らめるし、彼女が通ると視線で彼女を追いかける。
当然、第2王子の婚約者に手を出すようなバカは居なかったがその視線や下心丸出しの表情にそういえば俺は何故だか腹を立てていた。
彼女を見る者達の目を一人残らずくり抜いてやりたかったし、話しかけるやつの喉を潰してやろうかと思うことも屡々。
実際に遠回しに痛い目を見てもらったこともあったが……今思えば、好きだったからなのか。
なるほど……そういうことだったのか、納得である。
思わず苦笑が浮かぶ。
どうして今まで気が付かなかったのだろう。
変わらず微笑む幼い彼女を指で撫でたところでノック音がして、素早くそれを引き出しに戻した。
「おーい、エル?……寝てんのか?」
「いや、すまない。すぐに行く」
「いや、別にいいよ。疲れてんなら寝とけば?」
ガチャりと扉を開けると壁にもたれたジークがいた。
10日ほど前にやってきたヴィクターのせいでここ数日ずっと忙しかったのだ。無理もない。
領主業に加えてヴィクターと平行線の話し合いを重ねてヴィクターを見張る。
それも虚しく、いつの間にか消えていてヴィクターは計画通りアルトステラ嬢と話をつけてしまったらしい。
フィルメリア様くらい俺1人でどうとでもなるのに彼女を囮にするだなんて有り得ない。
ヴィクターは聞いてはくれなかったけど。
「……なんでお前目赤いの?泣いた?」
「…………………は??」
泣いた?そんなわけが無い。何を言ってるんだこいつは。
くまの浮かぶ顔はにやにやとした嫌な笑みを携えて俺を下からのぞき込んだ。
気持ち悪い、近づくな。あと、寝た方がいいのはお前の方だ。
「お前が泣くなんて相当だよな。だからこんな大雨なのか?……ははーん?なに?アルトステラ嬢に振られた?」
「…………………」
ニヤニヤとしていたジークはニヤニヤ顔を退却させて固まった。
俺は腹が立つ奴の顔から目を背けて眉根を寄せた。
こいつは目が赤いとかいっていたが、俺はもしかしてどこかのタイミングで泣いていたのか?
外は雨が降っていたから気づかなかったが、もしかして、本当に?
泣いたのなんていつぶりだろうか。恐らく泣いたであろう誕生の時以来くらいに記憶が無い。
「……ちょ、ちょっと、ちょっと待って。
なんで俺が振られるのだ、意味がわからん。とか言わないわけ?え?まじ、まじで?本当に?嘘!!」
「…………」
……こいつ、本当にうるさい。
そして声音を変えて話したところはまさかとは思うが俺の真似か?似てないだろどう考えても。
そんな老人みたいなしわがれ声なのか俺は。
うるさいと返すとジークはほとんど悲鳴のような声を上げた。
どこにそんな元気が残っているんだ、お前は。
先ほどまで死にかけの魚のような顔をしていたくせに。
「うっそーー!ちょ、ちょ、い、いつの間にそんな面白……そんな進展してたんだよ!
え、お前気づいたの?好きって気づいたの?」
「…………気づいた」
「まーーじかよー!いつ?いつ?」
「………さ、さっ、き、」
や、やめろ、振るな振るな。
吐きそう。
俺の両肩に手を置きぐわんぐわんと揺らすジークに苛立ちが爆発しそうだ。
睨みつけるも奴は興奮しすぎているのかなんだか知らないが瞳を輝かせるばかりで気がついていない模様である。
………なにがそんなに面白いんだ。お前、埋めるぞ。
「で?で?で?、さっき気がついて?言っちゃったの?」
「………あ、ああ、お、おい、やめろっ」
なおも揺すられ続けて寝不足の頭がぐわんぐわんと回る。視界も回るし、そろそろ殺意も湧いてくる。
こいつ、本当にどうしてやろうか……。
「ばーかーだーろー!なんで言っちゃうかなあー!絶対振られるじゃん振られるに決まってるじゃん」
漸く肩から手を離したかと思うと腹を抱えて笑いだしたジークにダメージを受けた頭と精神を持って、努めて冷静に冷静に考えて、よし埋めようと思った。
いや、今の俺が本当に冷静なのかは分からないけど。
なんで振られるに決まっているのだ。というか、お前はなんで俺の気持ちを知っている風なのだ。
いったい、どういう事だ。そして笑うな。
未だに笑い続ける……いや笑い転げるジークを冷ややかに見下ろしているところで目の前に突然影が現れた。
………最悪だ。最悪である。
もう、最悪だ。
「やっほーー、傷心の王様、ごきげんよう〜」
……なんで今なんだ。いや、今だからこそ出てきたんだろうなこいつは。
本当に、みんな揃って寝とけばいいんだ。徹夜続きだろうこいつらは揃いも揃って今きっとおかしくなってるんだから。
それか、やっぱり俺が寝ることにしよう。
うん、そうだな、それがいい。
俺も、そういえば疲れている。まともに睡眠をとったのは何日前だっただろうか。
今なら泥のように深い眠りにつけるような気がする。むしろそうありたい。
そう思って部屋に戻ろうとしたのを止めたのは目の前に現れたやつだった。




