無自覚の代償。
「そんな事を言われても、困ります!
わたくしは貴方のこと好いてはいません!
むしろ………嫌いですわ!」
感極まったように裏返りかけながら叫ばれた悲鳴ともとれるそれがリフレインされて何度目だろう。
昨夜の大雨が嘘のようだったイゾルテとは対照的にハーディストは雨に降られていた。
正直に言って、イゾルテのルーファス家をどうやって出たのかあまり覚えていない。
イゾルテを離れるほどに強くなる雨に降られながらどうにか馬を走らせたのだろうが、あまり記憶にない。
「おい!エル、お前びしょ濡れだぞ、着替えてこい」
「ああ……本当だな」
「はあ?馬鹿じゃねえの?まあ……そりゃあ疲れてるだろうからな……」
ぼんやりと執務室の椅子にかけた所で目の下にクマを作ったジークに追い出された。
最低限に整えられた自室にはベッドと机と棚以外には何も無い。
棚の中は資料や書物がひしめきあっているが、備え付けのクローゼットに入る服はシャツが2枚とスラックスが2本、ジャケットとベストが1枚ずつにそれと正装用の一式があるのみである。
まあ、今の俺に服など大して必要でないし、なにより選びやすくていい。
乾いた布であらかた水気を拭いて適当なシャツとスラックスに着替えた。
唯一ある私物は机の引き出しに収めてあるいちばん最初にいただいたアルトステラ嬢の肖像画くらいのものである。
ガタガタと音のなるイマイチ立て付けの良くない引き出しを引っ張り出すとまだ幼い彼女がいつもと変わらず微笑んでいる。
これはルーファス公に伺ったことであるが、キラキラと輝く柔らかなウェーブを持つ銀髪と澄んだ空色の瞳を持つアルトステラ嬢は、かつて社交界の妖精と呼ばれていた彼女の母にとても良く似ているらしい。
彼女が幼い頃に亡くなったというセティシラ夫人とは1度だけお会いしたのみで、生前の彼女を深く知ることは叶わないが、ルーファス公とアルトステラ嬢を知る限り素晴らしい方だったのだろう。
アルトステラ嬢と出会ったのは4歳の頃。
俺の誕生日を祝うパーティーでのことだ。
以前から婚約者候補だと4人の肖像画は貰っていたが、そのどれにも関心は抱けなかった。
俺は既に自分の立場を理解していたし、フィルメリア様から疎まれていたことも充分に理解していた。
そして、もちろん、母の思惑も、なぜ婚約者候補というものが4人もいるのかも。
この中から1番母にとって都合の良いものが婚約者となりえることを分かっていたし、その相手が俺のようにフィルメリア様に憎まれるだろうことも分かっていた。
それから、それを守ってくれる人が1人もいないということも、その時既に知っていた。
陛下はよほどのことがない限り、波風を立てることを嫌った。
ともすれば、俺でなくても良い王子なんかよりも国の損害を重要視するのは当然だ。
それはフィルメリア様のご実家の辺境伯が大変な兵力を持ち国境の重要な砦を守っていることも関係していただろう。
仕方の無いことだった。
ヴィクターは複雑で雁字搦めのその中にあってフィルメリア様から度々俺を守ろうとしてくれた。
その度、徐々に酷くなる仕打ちから母は目を背けた。
幼ければ幼いほど死の淵をさ迷った回数は多かったが母は自分の身と尊厳を守ることに必死だったのだ。
それもまた仕方の無いことで、俺が死にかける度に泣いてくれるのはヴィクターだけだった。
幼い日のヴィクターはフィルメリア様や母、時には陛下にまで噛み付いたが誰も耳を傾けてはくれない。俺もヴィクターもなにも変えることは出来なかった。
それでも、俺にとってそんなヴィクターは頼れる兄でたった一人の家族だった。
けれどそのうちフィルメリア様と母は俺達の接触を出来るだけ避けさせた。疑心暗鬼になっていたのか、彼女らのプライドがそうさせるのかは分からないが、周りの貴族達はそれに便乗してそれを対立のように煽った。
酷く盛り上がる周囲に巻かれて俺達は疎遠になり自由に交流できなくなったが、限られた時間の中で触れ合うヴィクターはいつしか変わっていった。
何かを犠牲としてその他大勢を守ること
なにかを切り捨ててでも多くの命を守ること
誰かの不幸の上に他者の幸せは成り立つこと
そして民を守る為にまずその犠牲となるべきは王侯貴族だということ
例えばフィルメリア様や母が俺達を捌け口にして己の何かを保っていること
例えば俺達の死の危機に呼応して貴族達が盛り上がること
例えば俺達の感情を犠牲に均衡が保たれていること
身近にあったわかりやすい事例はせいぜいこの程度であるがヴィクターの考えは俺にとって理解しやすかった。
それは王族としては正しい変化であったと思う。
そうなっていくべく教育されていたのだと思う。
ヴィクターは当時、その状況や感情とその王族としての考え方の乖離に酷く苦しんでよく泣いていたけれど。
それでも、そのうち完璧にそれを受け入れて泣かなくなった。
めったに感情というものを外に出さないようになり、常に人好きのする笑顔と気安く話しやすい口調が彼の基本装備になった。
だから、俺も年を重ねれば自然とそうなっていくものだと思っていた。
王族として、王足り得る存在になれるものだと、そう思って疑わなかった。
婚約者候補の4人と接するようになってからしばらくして俺は気づく。
4人の中で1番有力だと言われているアルトステラ・リンジー・ルーファスの違和感に。
彼女は天才とはとても呼びがたく、むしろ4人の中で1番劣っているのは彼女なのではないかと。
要領は悪い方だしとても不器用であると。
最初はそれに気づいたからと言って何も思わなかった。
筆頭貴族としてのプライドか責任感なのかわからないがさも余裕そうに振舞って、影で誰よりも努力する彼女をただただ観察していた。
馬鹿なやつだとは思ったこともあったかもしれない。
ずっと彼女を見続けて次に同情した。
こんなのが婚約者にでもなってしまえば、フィルメリア様でなくともすぐに消されるだろうと。
そして日が経つにつれ段々と守ってやらないとと思った。
俺の婚約者になってしまったばかりにこんな思いをしてそして、おそらくこれから命を狙われることになるだろう哀れな彼女を。
それから数年が経ちそれはいつの間にか義務感とすり替えられた。
フィルメリア様がどんどんに彼女に対して攻撃的になっていたのも原因の1つだろう。
彼女をどうあっても死なせたくなかったし、守るのは俺でありたかったし、そうすべきだと常に思っていた。
何を犠牲にしても彼女を守るべきだと。
そうして俺は気づく、俺は何かがある時彼女をどうしても切り捨てることが出来ないのだと。
彼女は俺の弱みになり得る。薄々わかってはいたが、俺はヴィクターのようにはなれないし、王にも当然なるべきではない。
それからフィルメリア様から彼女を守ることと、ヴィクターを王にすることに尽力する日々が始まった。
いつも、ご感想、ブックマーク、評価ありがとうございます!
こののろのろ展開の小説をここまでご拝読くださったことに心から感謝です…!
ここから第2部はじまります。
これからもお付き合いいただけたらと思います!
よろしくお願い致します(^O^)




