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「ヴィクトレイク様、終わりましたか。
宜しければ俺がハーディスト邸へお送り致しますが」
話の終わりを見計らったようにノック音なる。
扉の外から中を伺っていただろうバンスの声がした。
「アルトステラ嬢扉を開けても?」
「ええ、どうぞ」
「ヴィクトレイク様、アルトステラお嬢様失礼致します」
「バンス、気持ちはありがたいけど迎えが既に来ているだろうから私はそのまま王都へもどる。
君は元のバンスに戻るといいよ」
「仰せのままに」
音を立てずに半分ほど開かれた扉の先に膝を付いて頭を垂れるバンスがいる。
やめてよ、という陛下の言葉に顔を上げて立ち上がったバンスの顔はなんだか疲れて見えた。
それは、いきなりこんなところに王が訪ねてきたら疲れて当然である。
彼にはかわいそうなことをしてしまった。
…それにしても彼らはどうも知り合いのようであるし、やけに親しげである。一介の料理人であるバンスと陛下にどんな接点があるというのか。
公爵家の邸ですらあまりかしこまった態度を取らないバンスが(いえ、うちの場合ほとんどそうね)礼を尽くすのにも驚きであるが、それよりも妙に様になっているのが不思議だ。
まるで、慣れているかのよう。
いったいどういう関係なのかしらと二人を見ていたことに気がついたのか、陛下か振り返ってニコリと笑った。
「言ったでしょ?彼と私は親戚だよ、遠いね」
びくりと肩がはねたのは陛下のセリフにかその笑顔にか分からないけれど、誤魔化すようにそうなの?とバンスを見る。
彼はなんとも言えない、苦虫を噛み潰したような表情を向けた。
……それは一体どういう意味?
肯定なのか否定なのかイマイチ分からない。
「じゃあ、アルトステラ嬢、うちの馬鹿な弟をよろしく頼むよ。
見送りは不要だよ。突然すまなかったね、また王都で会おう。
……期待してるよ」
はい、とは言えなかった。
なんて答えていいのか全くもってわからなかったからだ。
陛下はわたしの返事も待たずに扉を閉めてしまった。
次に王都で陛下に会う時、彼は今日の陛下だろうか。
……そんなわけが無い。きっと優秀であり穏やかで優しく気兼ねない民に愛されていたあの、ヴィクトレイク様だ。
わたしはそのヴィクトレイク陛下を前にして平常でいられるのだろうか、分からないけれど、そうでなくてはならないことだけは確かだ。
それよりも、ヴィクトレイク様の衝撃よりも何よりもわたしの頭の中にあるのはエル様の事だった。
陛下の話によると彼はまたもやわたしに何も伝えずに、勝手に犠牲になる道を選ぼうとしていたらしい。
もう既に10数年、そうやって裏で画策してわたしを巻き込んで助けて守ってきたのに、それが結局彼にとって何の益にもならないとわかったはずであるのに。
それは確かに国の混乱を防いだかもしれないし、無駄な争いを抑したかもしれない。
彼は仕方なくそうしたのかもしれない。そうするしかなかったのかもしれない。
でもわたしに話してくれたら何か変わっていたかもしれないのではないのだろうか。
フィルメリア様だってそこまで追い詰められるまでになにかほかの道があったのではないだろうか。
どうして当事者であるわたしがそれを知らずにのうのうと生きてきてしまったのだろう。
わたしのせいできっと、彼の人生はがらりと変わってしまっただろうに。
知らずに守ってくれていた人の存在を気にかけることもなかった、嫌われているのだと思っていたから避けていたくらいだ。
あの頃エル様に感謝の言葉を伝えたことが幾度あっただろうか、会話すらまともにしたことがなかったのに。
彼のことを知りたいとも知ろうとも一切しなかった。
わたしが歩み寄っていたらなにか変わっていたのだろうか。
エル様は一生伝えないつもりだと言っていたらしいけれど、それを知ってしまったわたしはどうしたらいいの?
どうして、それをまた繰り返そうとするの。
何のために?
今わたしの中にあるのはただ虚しさと、自己嫌悪と、そして憤り。




