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「………分かりましたわ」
とっくに冷めてしまった紅茶を飲んでからそう言って陛下を見ると彼は変わらず微笑んだままであった。
わたしの答えに微動だにしない所を見るとわたしがどう答えるのかなんて分かりきっていたのだろう。
そもそも陛下自らが出向いてわざわざ話をすることに首を横に振れるものなどいるわけもない。
とくに、筆頭貴族の娘といえど王族に断罪された身である。
わたしを頷かせる手段など陛下はそれこそいく通り持っていることだろう。
「君ならそう言ってくれると思っていたよ」
「社交界には戻りましょう。しかし、王都には戻りません。」
満足そうな彼は1度、片眉を微かに動かした。
一見優しそうな笑みはそのままに瞳がうっすらと翳る。
わたしが陛下の言葉に素直に従うと信じて疑わなかったのだろう。
終始嘲りが含まれていた笑みは1度硬直した。
「いま、わたくしはこの地を離れるわけにはいきません。
僭越ながら領主代理をさせていただいております。
こんな片田舎の小さな街といえども領民を放り出す訳にはいきません。
国民の身の安全を切に案じられる陛下なればこそ、お分かりいただけるかと思いますが。
あくまでも拠点は移さずに陛下のおっしゃる〝囮〟役をさせていただきたいと存じます」
ゆっくりと紡いだわたしの言葉に陛下は驚きを隠そうともしなかった。
ここまで言えば陛下は否とは言えないはず。
きっと、わたしはエル様の婚約者時代から、いいえもっと昔からこうして陛下に侮られていたのだろう。
取るに足らない小娘だと思われていたに違いない。
だってそもそもこの提案は、多くの犠牲や混乱を招くよりも1人の犠牲でことを収めようとしているものにほかならない訳で、貴族であるわたしたちが何の関係もない民を救うために利用されるという話だ。
王族の尻拭いをそれに近しいものにさせるという事だろう陛下のお考えによると暗に、国にとって有益な優秀な手放し難い王弟とたかだか身分が高いばかりのただの役にたたない小娘1人、どちらが国に必要か分かるだろう?という事である。
そもそもわたしにこの話しをする時点で陛下はわたしが自分の駒になると確信しきっているのだから。
「……まさか、君がそんなことを言うとは思わなかったよ。」
「わたくしにも立場と責任というものがございます。」
「王都にいた時の君は、誰かの後ろで微笑んで誰かの言いなりになるだけしか能のないお人形だった筈だけど、変わってしまったんだね」
ふぅと息を吐きながらも陛下は満面の笑みを浮かべた。
これまでで1番の笑顔で彼は、これは認識を改める必要がありそうだ、と呟く。
鼻歌でも歌い出しそうな陛下は殊更恐ろしい。
激しく不気味である。もしかしたらわたしは選択を間違えたのかもしれない。
「けれど、アルトステラ嬢王都から遠く離れたこの地で今まで通り領主業をこなして社交界に復帰するなど、君にできるとは思えないな。
君って、じつはそんなに器用じゃないでしょ?」
うるさいですわ、とおよそ公爵家の娘らしくない言葉をどうにか飲み込んだ。
人間は図星をつかれると腹が立つものである。
そんなことは重々承知である、承知であるが陛下の命令とも言えるそれを跳ね除ける術はないし、中途半端に領地を投げたすことも出来はしない。
どうにかするしかない。
「……フィルメリア様が捕まる間だけの話ですわよね」
「そうだよ。それがいつになるかは分からないけれどね、それに引き受ける以上あの頃のように完璧な公爵令嬢を演じて貰わないと困るよ。
フィルメリアが癇癪をおこして殺したくなるくらいのね」
「つまり、目立てばいいのですわね。無視出来ないくらいに」
「その分君の命は危険にさらされるだろうけどね、それから王都でなら多少は私も守ることも出来なくはないけど、移動中だとかこっちでのことにまで干渉はできないからね。まあ、自分でどうにかしてもらうしかないよね」
こっちのこと…とか王都とか言っているわりに、出来なくはない、という程度に陛下はわたしの命に無関心である。
それではどこにいたって同じことではないかしら。
優しげな笑顔の彼はとても冷静で冷酷である。
本当にわたしのことなど簡単に切り捨てて利用しそうだ。
「私はどうあっても優しい王にはなれそうにないからね、ごめんね」
陛下はそう言って眉を下げて申し訳なさそうな顔をした。
…口元は笑顔を讃えたままだったけれど。
それから、こちらから指示をするからそれに従うようにと言われ、衝撃的なことに父公爵にはこのあと話すらしい。
父がなんというのか分からないけれど、陛下も心做しか気が重たそうだった。
それはそうである。
娘を餌に使うから宜しくね!私の母に狙われるかもしれないから命の保証はないよ!と言いに行くようなものである。
こってり、ネチネチ絞られれば良いのだ。
それでも最終的に父公爵は頷くしかないのだろうけど。
だって筆頭貴族の当主たるお父様が抱えているものや命はわたしの比ではないのだから。
陛下とこんなに長く話したこともこんな重い話をしたこともないけれど、陛下のことを好きになるのは難しそうである。
普段はあの人懐っこそうな優しげな笑みと穏やかで気安い口調に隠されているだろう本性があんなものだったなんて。
わたしが、侮られていたばかりにきっとあんな態度だったのだろうけど、これから先出来るだけ近づかないでおこう。
婚約者となったお相手がこちらでなくて本当に良かった。と心の底から思った。




