公爵令嬢の思案。
「……クロード、あなた何か知っていて?」
あの見るからに怪しい黒いフードの男性について。
クロードはゆるく微笑んだままである。
あの、飄々とした話し方。ニヒルな笑み。
明るく見えてトゲのある独特な言い回し。
記憶の中で1人だけ該当する方がいる。
けれど、その方がこんな所にいるわけがないのだ。
それに、あれほどバンスと親しげにしているわけもないはず。
彼は偶然この田舎のイゾルテ邸に雇われただけの料理人なのだから。
あの方とバンスがどうやって繋がるというのか。
……有り得ない。
2人が消えていった扉を呆然と眺める。
レイ、と呼ばれた方は言った。
わたしが悲劇のお姫様だと、あれから数年の時がすぎた今でも社交界や王都でわたしはそう思われているのだろうか。
だとすればエル様は今も馬鹿な王子のままなのか。
わたしの世間での評判を上書きするためにどうしてわざわざそんなことをしたのか、する必要があったのか、それだけは未だにわからない。
ルーファス公爵家の娘を死なせないため、なのだとしたらそれまでのことでもう十分なはずなのだから。
真実がどうであれ、今、ハーディストであれだけ身を粉にして尽力している方の受ける評価ではないとおもう。
こんな端の地で落ちぶれた貴族や王族の行いなど王都に住まうものや貴族は気にしもしないのだろう。
だとすれば永遠におもしろおかしく噂される馬鹿な王子のままだ。
……わたしのために?
息が詰まる。逃れられない記憶と事実にわたしは玄関ホールにいたことを忘れていた。
夜も更けてきたからか、随分と風が冷たい。
ドンドンドン!
「夜分遅くに失礼する!クロード、アルトステラ嬢、どなたかおられないか!」
「……エル様?」
わたしの意識を浮上させたのはまさに、そのエル様だった。
激しいノック音と扉の外の雨音に紛れて大きな声がする。
切羽詰まったような声音に思わず扉に飛びついて開けようとしたところでクロードに制された。
クロードは一瞬眉を寄せてから、笑顔を作りわたくしが開けましょうと言った。
彼はやはりなにかの事情を知っている。
「…ありがとう、クロード。
突然こんな夜遅くに申し訳ない。しかし火急のことで…」
「エル様、いいのです。お気になさらないでください。…びしょ濡れですわ、クロード、何か拭くものを持ってきてもらえないかしら」
「かしこまりました」
クロードは恭しくお辞儀をして早足でホールを出ていった。
扉は少し開けてあるけれど、クロードは近頃それほどまでエル様のことを警戒していないようだ。
エル様のことを信用しているのか、わたしを信用してくれているのか分からないけれど、リヒテンが見たらまたグチグチ言うことだけは間違いない。
「エル様、いったいどうなさったのですか」
「…………」
無言の空間にぽたり、ぽたりと水滴の落ちる音がやけに響く、いつでも冷静で落ち着いた彼には珍しく困惑の浮かぶアメジストはゆらゆらと揺れている。
これほどこの人を動揺させる事とは…。
まさか、、やはり…いや、でも、と頭の中がぐるぐると回る。
わたしまで今から動揺してしまってはいけないし務めて冷静にしようと視線を上げたところで宝石のような瞳と視線が絡まった。
「アルトステラ嬢、これから言うことは冗談ではない。よく、聞いてくれ」
エル様の真剣な眼差しがわたしを射抜く、彼は目だけであたりを見回してそれからゆっくりと屈んだ。
気持ち程度に耳の近くに寄せられた顔に驚いて思わず声が出そうであったがなんとかそれを飲み込む。
「ヴィクター…ヴィクトレイク陛下が、ここに来なかったか?」
「…なにをおっしゃっているのですか?そんなこと、ありえないですわ」
笑顔を作るのは成功していると思うのだけれどエル様は怪訝な表情を崩さない。
まさか、ありえないと思っていたけれど、やはりあの方はヴィクトレイク様だったらしい。
…ありえない。なぜ、どうしてこんなところへ?
わたしが言うのは大変失礼だと理解しているがあまり賢明なことではないように思える。
それか、ヴィクトレイク様が直々に赴かなければいけない理由があるというのか。
「では、誰かここを訪れなかったか?」
「いいえ、こんな雨の日にこのような所までいったいどなたがいらっしゃるというのです。
ましてや陛下なんて…」
極力動揺を顔に出さないようにしたが、エル様は相当疑っているようだった。
納得していない様子のエル様を、うちでも陛下のことは伏せて捜索をするから、ハーディストの邸でお待ちいただくよう説得して、おそらく腑に落ちていないエル様はそれでもどうにか頷いた。
家へ滞在することも提案したが邸でジークと合流する手はずになっている、とエル様はそれを断った。
濡れた体をできるだけ吹いてもらい新しい外套をお渡しすると彼は深ぶかと頭を下げて出ていった。




