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その日の夕食後、ひどいです、ひどいですぅとぶつぶつ言いながら口を尖らせるマリーを引っつけて廊下を歩いているところでバンスの大きな背中を発見した。
マリーが〝ひどい〟といっていることは確実にこっそり執務室に篭って仕事に没頭していたことだ。
というか、わたしに手を貸したことで彼女がトレイシーに叱られたことである。
ぷりぷりと頬を膨らませてじとーっとわたしを見てくる丸い瞳はとてもかわいい。
とてもかわいいのだけれど一向に彼女の怒りはおさまらない。
そろそろそのジト目で非難しつづけられるのも限界である。
腰あたりにくっついて離れない彼女のせいで非常に歩きづらい。
…いや、でも、これはこれで可愛いんだけれど。昔のリヒテンみたい…。
「上手くやるっていったじゃないですか!」
「マリー、本当にごめんなさい。
わたしのせいで怒られてしまったのね」
「そうです!トレイシーさんはカンカンでした!」
そうそう、そのトレイシーさんにこれが見つかったらまた怒られてしまうと思うわ…
さすがにそう言ってしまうのはずるい気がしてなんとか気を逸らそうとあくせくしているところでバンスを見つけたのだ。
「ば、バンス!こんばんわ。
今日の鴨のソテーにかかっていたソースは絶品だったわ。あれは何のソースなのかしら」
「おー、お嬢様こんばんわ。……と、マリー、お前なんでお嬢様に引っ付いてんだ?
歩きにくそうだぞ」
「いいんです!マリーは怒ってるんです!」
「……いいのか?お嬢様」
「………はは、良くは…ないかしら」
「あー、それでソースでしたっけ。
あれはベースにカシスとベリーのジャムを使っててですね、ああ、そういやキッチンに昼に焼いたビスケットがあるな。
お嬢様、良ければ、ビスケットと食べてみます?」
バンスはそれからわたしとマリーを交互に見て小さくため息をついた。
「マリーお前も来るか?来るならさっさと、その手を離して紅茶を入れて待っていろ」
「え!!いいんですか!行きます!行ってきます」
あれだけ離れなかったマリーの腕はするするっと外れてジト目はまんまるになった。
そして走って調理室のある方向へと消えていった。
マリー、あなたって子は…
廊下を走るな!とバンスの怒号が飛んだが、彼女にはもはや聞こえていないらしい。
「すみませんね、お嬢様。
あいつがいつも迷惑かけて。使用人としちゃあ全くなってないだろうが、見捨てないでやって欲しいんですよね」
「ええ、当然よ。今日なんてわたしが迷惑をかけてしまったのだし、彼女にああいう風に接してほしいと頼んだのもわたしだもの」
「…………ありがとうございます」
バンスがほうっと息を吐いて柔らかく微笑んだ。
2年前からしたらみんな全体的に砕けた態度で接してくれるようになったけれど、むしろ、家族のように友人のように接してくれている彼女たちに感謝しているくらいだ。
とくにマリーはかわいい妹のようだ。
妹がいたらあんな感じなのだろうか…かわいい。素晴らしい。
バンスとマリーは一緒にいることが多いし、ふたりはとても仲が良くみえるからきっとなにかあるのだと思うけれど今のところは触れないようにしている。
「それよりも、助けてくれたのよね、ありがとう」
「イイエ、こちらこそ」
「…以前あなたが言っていた話ってエル様のことなのよね?」
「…さあ、どうでしたかね」
「あなたはエル様の何を知っているの?」
バンスをまっすぐに見つめると彼の瞳は揺らぐことなく私を見つめ返していた。
暖かさのにじむ、ひとみがすっと閉じられて彼はまた頭をガジガジとかいた。
「なんも知らないですよ」
知ってるわけがないじゃないですかーあははと笑う彼にでも、と言いかけたところで玄関ホールの方から声がした。




