公爵令嬢の領主業。
イゾルテ邸は近頃とても静かだ。
夏の休暇が終わりそうなリヒテンはあの無意味な復唱劇が始まる前にトルネオに馬車に投げ込まれて、なにかを叫びながら連れていかれた。
見送るわたしとトレイシーとマリーは、なんて言っているのかしらと揃って首をかしげながらそれを見送った。
それから、あの街に出掛けたあの日以来エル様はぱったりと来なくなった。
恐らく短い秋の収穫の時期に突入したのだろう、厳しい冬に備えて仕事におわれているのではないだろうか。
ついでにジーク様のことも見聞きしなくなったからきっとこちらには来ていないのだと思う。
マリーはイケメンが足りないイケメンが足りないとしきりにぼやいているが、その度にトレイシーに叱咤されバンスに叩かれている。
全く懲りることの無い彼女の精神力というか一貫性には脱帽である。
そんな中でわたしはというと、恐らくエル様と同じだろう凄まじい仕事量に追われていた。
何せ父公爵より外出の許可が出てからは視察や現場仕事も殆ど請け負っているので例年よりも更に忙しい。
本当にクロードはこれと更にハーディストのことまでどうやってこなしていたというのだろうか。
不思議でならない。
それは最低限のことになるはずであるけれど、それでもとんでもない仕事量だ。
彼は本当に人間なのかしら。と疲れた頭でぼんやりクロードを見ていると、彼はにっこり微笑んで、私などただの老耄でございます。お嬢様。と言われた。
……やっぱり彼には心を読まれている気がする。こわい。
街へ降りて領民と接する時間はとても貴重で、彼
らが実際に困っていることやこうなったらもっといいのにと思っていることを素直に話してくれるまで相当な時間がかかったが、最近では割となんでも言ってくれるようになった。
その中には辛辣なものや、耳に痛いこともたくさんあるけれど、わたしにとってはその直接に会話ができる時間がとても大切だ。
領地の民も当然みんな忙しい。
そんな中で女の子達に教えながらもくもくと作っていた刺繍のハンカチや小物達がなかなかの出来栄えでものすごくたまーーにやってくる商人は割といい値段で買ってくれるようになった。
とても喜んだ彼女らは家の手伝いの合間にたくさんの作品を仕上げるようになる。
もともと、手先が器用で集中力の高い子達が多かったのだ。
わたしなんてすぐに追い抜かれてもう、今や教わる立場である。
女性が手に職を持つのが難しいこの世界で彼女達の将来に少しでも役にたてば嬉しい。
そのためには厳しい冬の農業も狩猟もできなくなる時期に向けて希望するものが快適に働ける場を設ける必要がある。
何が1番大変ってまさにこの新たな事業が何より大変なわけで。
でも、こうしてこの何も無いと言われている地に産業や特産品が生まれようとしていることにわたしは感動していた。
時たま届くエル様からの手紙には、元気か?とか変わりないか?とかきちんと休むところは休むべきだ、とか体制作りのアドバイスだとか…
あれ、わたし話したかしら?と思うことも混ざっていたりするけれど、あまり気にしないことにしている(彼に対してそういうこと気にしたらおしまいだと思うの)。
幸いとばかりにいろいろと彼に相談させていただいたり、父公爵に相談したり、クロードに助言を貰ったりして大分と基盤ができてきた。
それを領民に卸して相談をして、より良くしていく。
忙しいけれどとても充実している。
「お嬢様、そろそろお休みになられませんと」
「…トレイシー、そうね。そろそろ休もうかしら」
「まっ!クマが酷いですわ!いったいどのくらい執務室に篭っていたのです!
ちょっと目を離すとこれですわ、いったいクロードとマリーは何をしているのです」
ノックのあとにハーブティーを持ってきてくれたトレイシーはわたしの顔を見るなり眼を吊り上げた。
もともとキリッとした瞳が眉と共に跳ね上がったおかげでかなり怖い。
ぐーっと伸びをしたところでふんふんと怒るトレイシーに苦笑を送った。
「違うのよ、トレイシー、クロードとマリーにもお願いして見逃してもらったのよ。
……まさかあなたが来るまで没頭してしまうとは思わなかったけれど」
「え?なにかいいました?」
「いいえ、なんでもないわ。とにかく、わたしの時間管理不足よ。ごめんなさい
でもこれで随分と捗ったわ」
窓の外を見ると空はオレンジ色に染まっていた。
太陽の姿はもう山に隠れて見えない。
しまった、早朝からマリーとクロードをどうにか抱き込んで執務室に籠らせてもらったわけだけれど(クロードは話がわかるところもあるし、マリーは割と簡単である)完全にやりすぎである。
ちなみにトレイシーはこういったことに関して聞く耳を持たない。
そしてマリーでもクロードでもなくトレイシーがわざわざ呼びに来たということは夕食の時間だろう。
「……まったく。
ご自分のお身体をもっと大切になさいませ。
でなければ、わたくし手が滑ってぺらぺらとアルテンリッヒお坊ちゃまに文を認めてしまうかもしれませんわ」
「ごめんなさい、トレイシー。
それだけはやめてちょうだい」
お願いしますと懇願すると彼女はふんっと鼻を鳴らした。
……リヒテンを持ち出すのは卑怯だわ。
彼に知られたら帰ってきた時どれほど叱られるかわかったものじゃないもの。
「もう二度と無理をなさらないとこのトレイシーに約束なさいませ。
アルトステラお嬢様がまたお倒れにでもなりましたら問答無用でお坊ちゃまにご連絡致しますので」
「……約束するわ」
「よろしい」
彼女は満足そうに微笑むとぷりぷりと効果音が着きそうな動作で執務室をあとにした。
クロードとマリーに文句を言いに行くのだろう。
……ごめんなさい。




