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その日は素晴らしい快晴だった。
そしてわがルーファス領、イゾルテ邸には暗雲が立ち込めていた。
…ついでにわたしの心にも。
「で?なぜ、アルテンリッヒ、君がいるんだ」
「ルーファス家の敷地にルーファス家の人間がいるだけですが、何か?
それはこっちのセリフですよ。元王子殿下」
「俺はアルトステラ嬢と出掛ける約束をしている。
そうでなく学園はどうしたのだ。
家のことも大事だが学業はきちんと励むべきだ」
「お忘れですか?元殿下
王立学園はもうとっくに夏の休暇の時期です。
しかしさすが、家の不肖の姉を退学させた方は言うことが違いますね」
リヒテンの満面の笑みにエル様ははっきりと顔を強ばらせた。
わたしの頬もきっと引きつっていることだろう。
この場面でのわたしの立場はきっとリヒテンに便乗してそうだそうだとエル様を罵倒してしかるべきなのだろう。
けれどわたしはちょっぴりエル様に同情していた。
「学生であり普段こちらに近寄れない僕が貴重な休みを利用して帰省しているというんです。
姉弟水入らずの時間に割り込もうとするなんて貴方、正気ですか?」
すぐさま復活して気を持ち直したエル様がどうにか笑顔を浮かべようとしたところでこれである。
エル様は見事に笑顔を浮かべることに失敗したようだ。
おそらく、わたしを思ってのことだろうリヒテンの気持ちはとても嬉しい。
しかしあまりにも容赦がなさすぎるリヒテンが我が弟ながら末恐ろしい。
どうやらルーファス家の血が凄まじく濃いらしいリヒテン。
きっと素晴らしい公爵となることだろう……。
リヒテンは昨日のあの後素晴らしい笑顔でしつこく追求してきた。
あの男と何を話していたのかとか、エル様がまた何か言ってきたのかとか、1人で庭に出るなんてどういうことか(これに関してはどうにか有耶無耶にした。さすがに庭くらいださせてほしい)とか。
洗いざらい吐かされた後に彼は「ああ、そうですか」と綺麗な笑顔を浮かべてあっさりと去っていった。
それはそれはなんだか不気味で仕方がなかったがその理由はすぐにわかることになる。
その後で、ジーク様の愛嬌と勢いにつられ、なし崩しに返事をしてしまった自分にげんなりとしながら預かった手紙を読んだ。
内容は散歩へのお誘いとお伺い、それとできることならリヒテンには秘密にしてほしいとの旨だった。
本来ならばこれを読んだ後に返答をすべきだったのだろうが、いかんせんタイミングが悪かったのだから仕方がない。時すでに遅しである。
ジーク様も相当に強引だったのだし、許して欲しい。
そんなわけでやってきたその日にエル様は予告の時間きっかり10分前に到着したとクロードが伝えに来た。
少しして憂鬱な気持ちと重い体を引きずったわたしが自室を出るとリヒテンは爽やかな笑顔でこう言った。
「さあ、姉さん。行きましょうか」
「え?」
何のことだろうと首をかしげつつ彼のエスコートに素直に従った。
ああ、エル様のところまでエスコートしてくれるのね、なんて紳士的なのかしらうちの弟は。
と感心していたのもつかの間、リヒテンはエル様を嫌味という貴族らしい武器で攻撃しにかかったわけである。
「こう言ってはなんですが、家の姉はとある事情により長いこと世間との関わりを絶たれているものですから、世間知らずで浮世離れしていて、どんくさいです。
同じようなどこかの元王子になど任せておけません。
邸の敷地から出すなんて言語道断です。」
「ちょ、ちょっと待ってリヒテ」
「アルテンリッヒ、君のお父上の許可は得ている。
彼女を閉じ込めておく結果になったのはひとえに俺の責任である。
であるから、俺が全力をかけてこれまでの時間を取り戻せるように尽くそう」
「いやいや、エル様そんなこと望んでいま」
「何を言っているんだか…話になりませんね。
それは貴方の役目ではないです、元殿下。
姉のことを思うのならば一刻も早く姉の前から姿を消すべきでは?
ここは我がルーファス家の領地です。
外に出すのならばこのルーファス家の僕が然るべき時期然るべきタイミングで姉を案内致しますのでご心配なく」
「リヒテン、わたしはもうそんな子供では」
「然るべきタイミングが今だ。
彼女は今こそ領民の姿を己の目で見る必要がある。
収穫の前の今の時期だからこそ。
分かるだろうアルテンリッヒ。」
「………あの、行かないのでしたらわたくしもう邸に戻っても?」
わたしの小さな呟きはとても自然にスルーされた。
というかずっと無視されている。
わたしがここにいる必要がどこにあるというのだ。
切実に帰りたい。
この2人の応酬を一日中聞くはめになるのだろうし。
幾重にも重なった長袖の綿のワンピースは足首までをすっぽりと覆い、コルセットをしない代わりに腰をしめる編み上げのリボンはぴったりと密着してとても蒸れる。
ドレス類や装飾品の類いはすべて売りはらいお金にかえて寄付をしたので、あるのは王都時代に比べるととても簡素なワンピースばかりであるが、それでも晩夏の正午前に外で突っ立っているのは堪える。
「……から、………貴方には関係の無いことです」
「…………に足りないのは…………と……だ」
いくらネイトフィールの北の地と言えども夏は夏。
しかも晴天のうえ風はない。
彼らはこんなに白熱しているけれど大丈夫なのだろうか。
きついと思っているのは引きこもり生活が長かったわたしだけだろうか。
「もうー、なにしてんです?おっそいですよアルテンリッヒ様〜。ほらアルトステラ様顔面蒼白〜。はいはい、早く乗って乗って〜」
どのくらい時間がたったのだろうか、朦朧としてきたところで、トルネオの声がした。
どうやら今日の馬車の御者役は彼らしい。
彼の声を聞くのは随分久しぶりである。
なにせ、彼は捕まらない。
背中を優しく押されてふらふらと馬車に乗り込むと日差しがない分、幾分もましである。
「ありがとう、トルネオ、助かったわ」
「いえいえ、お嬢様も大変ですね〜。
うわっ、汗っ、すっごいですけど、大丈夫ですか?!
これはしばらく外には出ない方がいいですね。
のんびり街に降りてティータイムにでもされては?
………それで、貴方がたは乗るんですか〜?乗らないんですか〜?」
いくらかオーバー気味に声を上げたトルネオの声がしたと思ったら2人が無言で馬車に乗り込んできた。
閉める前のドアの隙間から見えるトルネオは小さく舌を出した。
くるくるとした長い前髪の奥の瞳は未だ見えないがいたずらっぽく歪んでいるのだろうか。
……彼ってなんだかただものではないような気がするわ。




