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「ーーーーー何かあったのか?」
「え?」
「このところぼんやりしている事が多いが」
相変わらず領主業に心血を注ぐエル様は度々イゾルテを訪れた。
北の地にあるハーディストの厳しい冬をいかに犠牲なくどう越すかということでわたしやクロードに話を聞きに来る。
近頃ではハーディストでも、割と受け入れられつつあるらしい彼は領地を豊かにすべく奔走しているらしい。
それはクロードも認めるところであり、父公爵の手紙でもお父様なりの表現で賛辞してあった。
そんなエル様に心配そうに目を細められてわたしはぎくりとした。
そんなにぼんやりしていただろうか。
考えても考えても堂々めぐりで何も解決しないことに少し疲れてはいたけれど。
だって、わたしの世界はここだけなのだから何も知る余地がないのだ。
クロードにきいても微笑まれるだけだし、トレイシーには一体なんの話ですと逆に聞かれた。それはそうだ、わたしにもわからないのだから。
マリーは首を傾げるばかりで、外仕事の多いトルネオは捕まらない。
肝心のバンスにはめんどくさそうにあしらわれて、だから、お坊ちゃまに聞いてくださいとため息をつかれる。
どうやらそれ以上話す気はないようだった。
手紙で話してみようかとも思ったのだけれど、内容が曖昧すぎてなんと書くべきか定まらず結局いつものなんてことない毎日のことを書いて送ってしまった。
邸の外に出る許可は依然として出ないままであるし、八方塞がりでわたしは疲れていたのだ。
だから何があるでもないだろうけど、エル様にこぼしてしまったのだと思う。
「ある方にわたくしはもっと知ろうとするべきだといわれました。
暗に、知らなければならないことがあるのでは、とも。」
エル様は目を丸くしてそれから顎に手を当てた。
夏もさかりになってエル様のもともとシャープな顎は更にシャープになったように思う。
というかこちらに来てから彼の元々なかった肉はどんどん削がれていき美しい顔は精悍とも言えるほどになっている。
邸に男性2人だけしかおらずしかも1人は元王族で、1人は騎士できちんとご飯が食べられているのかとなんとなく心配になってしまった。
あとで、焼き菓子でも差し上げようかしらと考えているところで彼がようやく口を開いた。
「知ろうとすることは素晴らしい事だと思う。人に言われたからでなく貴方が本当に知りたいと思うのならば、行動すべきではないだろうか。
何の話だかよく分からないが、物事には良い面も悪い面も必ずあって、きっと貴方が知ることで救われる者もいるのかもしれないな。
けれど、反面貴方が傷つくこともあるだろうな。
だからもし、今のままで貴方が納得しているのなら敢えてそうすることはないのでは?」
「良い面も悪い面も…ですか。
そうですね、わたくしはきっとそのどちらも見ていません。ただ事柄をそのままそういうものと受け流しているだけ。
何も考えず、何も答えを出すことなく。
そうしてきてしまっているから、今のまま動けずにおりますの」
「………そうか。
うーん、そうだな、受け流すことも時に必要なのではないか?
物事は事実としてそこにあるだけであるが、つねに受け取り手の都合の良いように解釈されるものだ。
自分にとって都合の良いことならば良い面であるし、そうでなければ悪い面だと思う。
だから、知るということはそういうことを全て含めてたくさんの面からひとつの事象に向き合う必要がある。
きっとそうしなければ見えないことも、多々あるのだろうな。
けれどそれは容易ではない、見たくないことだってたくさんある。
そういうものをいちいち咀嚼して飲み込むのはきっと無理だ。
だからそうして休むことも必要だろう。
誰も真に客観的ではいられないし、人というのは常に自分が大切で自分勝手なものだ。
俺自身そうであるし、皆そんなものだと俺は思っている」
ははっと自嘲のようなものを浮かべるエル様にわたしは驚いた。
常に堂々としておられる彼にうっすらと後悔のようなものが見えた気がしたのだ。
淡々と告げる彼の言葉はあまり優しいものではないけれど自然とわたしの中に入っていった。
「つまり、何を知らなければならないかではなく、貴方が知りたいと思うことを知ろうとすればいいと思うのだ。俺は。
動き出したいと思うのならばそうすればいい。
それが見つかっていないのなら無理することは無いのではないだろうか。知るということは割とリスキーな事だからな。
知ってしまえば途端に傍観者から当事者になることもある。
全てを見ようとすると知らなければよかったことも引っ張り出してしまったりするしな」
「……わたくしは今までさんざん逃げてきたのですわ。何かそれらしいことを言い訳にして。脇で当事者になることから逃げておりました。
気付き始めたのはお恥ずかしながら最近ではありますが、できる限りのことを知って自分で考えて答えを出していきたいですわ」
エル様はわたしの瞳を真っ直ぐに見て言葉を静かに聞いて、頷いた。
優しい笑みを浮かべる彼はもうすでにわたしの記憶の中にあるエルレイン殿下とは別人であった。




