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「さてと、邪魔者はいなくなったわけデスけど、お嬢様」
邪魔者?
ふぅと息を吐くバンスは寝かせておいた生地を取りだして作業台に広げる。
腕まくりをしたバンスの太い腕には深い傷跡が無数にあったりするけど見えないふりを決め込むことにしている。
「マリーはどこまでいったのかしら」
「マリー?さあ、どこまででしょう」
「?茶葉を取りに行ったのでしょう?」
「食品は地下の貯蔵庫かこの調理室にしかありませんよ。お嬢様」
琥珀色の瞳でウインクをしたバンスに唖然とする。
ということはマリーは茶葉を求めてさまよっているのでは…と思ったところでトレイシーの怒号が遠くの方で気こえた。
ついでマリーの悲鳴が聞こえる。
ああ……マリー……。
あなたまたサボっていたのね…。
「あいつがいたら、真面目な話も真面目な話にならないわけですよ」
「……バンス?」
ばしん、ばしんと生地を作業台に叩きつけたバンスは意味有りげな笑みを浮かべた。
マリーを追い払ってまで何を話そうというのか。
いつも何やかんやでマリーが突入してくるものだから、バンスと二人きりというのは実に珍しいかもしれない。
「お嬢様が知る世界は本当に狭いわけですが、そこは理解されてます?」
肩を入れて生地を捏ねるバンスは顔をあげない。
わたしが知る世界…
昔はおもてはとても華やかで裏はドロドロに絡まりあった貴族社会がわたしの世界の全てであった。
その中に城のことや学園のことが少しずつ、それから1番大きかったのは王妃教育の時間。
物心ついてから何年もその時間に追われていた。
そして、今はこのイゾルテ、更にその中の小さな邸のみ。
わたしの知る世界は本当にとても狭くてちいさい。
今も昔もその自覚は一応あるわけだけど、それがいったいどうしたというのか。
「わたしの世界はマリーやあなたより遥かに狭いと思うわ」
「そうですか、理解しているんですね。
そりゃあよかった。その通りですよ、お嬢様」
「…それがなにか?」
顔をあげぬままパイを形成しだしたバンスを手伝いながら先を促すと彼は、いえ、べつに。とあからさまに意味有りげな返事をよこした。
割とストレートな物言いをする彼にしてはなんだか珍しい。
というかわたしはマリーを怒鳴る彼か料理をめんどくさそうに作る彼しかしらないのかも。
「まあ、俺には関係ない話なんですけどね」
そうきりだした彼は依然として顔をあげない。
もくもくと作り出される美しいパイの造型に見惚れるのもそこそこに次の言葉を待つ。
彼はいったい何が言いたいのか。何を知っているのか。
「さすがの俺でも、今の状況を見るにちょーっと不憫に思えるわけでですね、お嬢様。
」
「ええと、何の話をしているの?」
「何のって、お節介なおじさんの独り言ですよ。」
「バンス?」
おじさんというにはまだ早いと思うわと言うとバンスはいやー、そう見えます?そりゃあ良かったと曖昧な返事を返してきた。
榛色の髪を短く刈ったバンスはせいぜい30前半くらいに見える。
例えば23と言われたらああ、そうですか、と納得してしまうかもしれない。
「お嬢様は優しいなーあ。優しいお嬢様は物事をそのまま受け取ってしまわれるみたいですね
考えることなく、抗うことなく、それが状況であれ、人物であれ。
でもそれって、本当に優しいんですかね。」
バンスはパイに溶き卵を塗りながら未だ顔をあげない。
その真剣な横顔に、なんて返そうか考えてあぐねている間に彼はもう一度口を開いた。
「それって、つまり、興味が無いしどうでもいいから気にならないってこと何じゃないんですか。
別にあの糞ガキの味方するつもりも全く無かったんですけどね、あいつはとにかく分かりにくくて自分がしたことを理解されようともしない馬鹿だから、あまりに報われなくって見てらんねえんですよね。」
「いったい、誰の話…」
「おおっと、独り言ですよ、独り言。
まあとにかくちょっとくらい知ろうとしてみてくれたっていいんじゃねえのかって思っちゃうわけでね」
「まあ、結局何が言いたいかって言うとあんたらは似たもの同士ってことです。お嬢様」
ようやく顔を上げたバンスはもう一度ウインクをしてみせた。




