領主様のおしごと。
エル様が突然この邸にやってきてトレイシーを激怒させてから早くも10日がたった。
その間に王子時代にエル様の護衛騎士をされていたジーク・セレフィム様がお越しになられたらしいがわたしはお会いできていない。
どうやら陛下からの使者として勅令を届けるためにわざわざいらしたようだ。
またもや眉を寄せて目を釣り上げたトレイシーにあとで聞いた。
彼女ったらあの一件以来すっかりエル様を苦手にしているらしい。
その日わたしはいつものように執務室で書類に目を通していた。
2年もクロードにつきっきりで毎日、毎日領主仕事をしていればさすがのわたしでも仕事を覚える。
いまや、邸内でできることのすべてを任せて貰えるようになった。
もちろん、父公爵とクロードの許可をうけて毎週の報告の手紙も欠かさずにしている。
ついでにリヒテンへの手紙も毎週(忘れるとかなり面倒なことになるの)出しているが、もうずっとネタ不足だ。
殿下がハーディストへ来られたことも伝えてみようと思ったが、なんとなくまだ書いていない。
来週あたりに書いてみてもいいかもしれない。だって本当にネタ不足で困っているのだもの。
わたしが来る以前家令、執事、領主代理(しかも隣の領地まで)という地獄の3足のわらじ業務に当たっていたクロードの負担を少しは減らすことができたらしくメイド長兼妻であるトレイシーは喜んだ。
当のクロードもようやく家令業に専念できます。
と笑って、領主様にいつ忙殺されることやらと思っておりましたと肩を竦めた。
いつ仕事をしているのか分からないくらい余裕の笑みを浮かべてこの地獄の仕事量を難なくこなす彼に限ってそんな事は有り得ないと思うが(どうこなしているのか本当にわからない)、どうやらトレイシーと共に引退する事も考えているらしかった。
凝り固まった目頭を指で抑えているところでノックとともに心の中で噂していたクロードの声が聞こえる。
「アルトステラお嬢様、ハーディスト伯がお越しです。いかがいたしましょう?」
今回、エル様はきちんと先触れをだしそして時間を見るところによるときっかり10分前である。
さすがはエル様とかなんとか思いながらクロードにお通ししてくださいと返事をする。
正直、元王子との会合は気が重いが現在のハーディスト領の最低限の管理を受け賜っている以上、引き継ぎは必要不可欠である。
それさえ終わればいつもの日常、がんばれわたしと密かに激励して特に散らばってもいない書類を無意味にとんとんと揃えた。
「アルトステラお嬢様、ハーディスト伯をお連れ致しました。」
「どうぞ」
かチャリと静かに開いた扉の脇でお辞儀をするクロードの隣に長身の彼が並ぶ。
ぴしゃりと伸びた背すじに流れる長い黒髪は深紅のリボンで結えられていて彼が礼をした拍子にさらりと靡いた。
「………ス……アルトステラ嬢、ごきげんよう。
此度は忙しい中この様な時間を設けていただきありがとう。」
「はい、エル様、ごきげんよう。
とんでもないですわ。わたくしで役に立てることがございましたらなんなりと」
エル様の礼にカーテシーを返すと彼はほっとしたように微笑んだ。
「助かる。彼に貴方がハーディスト領の一切を管理してくださっていると聞いた。本当に感謝している。」
「いえ、わたくしの方こそ。
我がルーファス家ではあまり大っぴらにかの地に近付けませんので、エル様があの地を収めてくださることありがたく思います。」
「……ああ、承知している」
声音をいくらか低くして困ったように眉を寄せたエル様に微笑んでみせる。
彼がいったい何を思っているのかは分からないが、彼の様子を見るに事情はしっているらしい。
まあ、それはしっているに決まっているか。
領主になるのだし、というかとても有名なはなしである。




