発売記念SS 1
いつもありがとうございます!
書籍版『噂によるとどうやら彼はクズらしい。』の発売記念感謝SSです。
web版と書籍版ではいろいろと内容が違ったりするのですが、どちらを読んでくださった方でも楽しめる内容だと思います(だといいな!)
続きは8日日曜日更新予定です。
よろしくお願いいたします!
その日は生憎の曇天だった。今にも降り出しそうな重っ苦しい空を見上げて舌打ちをしたところで、隣の使用人がわざとらしく笑みを浮かべる。
俺は不機嫌な顔を隠しもしないまま奴を睨みつけたが、当の本人は鼻歌すら歌いだしそうに上機嫌だった。それが殊更に俺の機嫌を損なうものだとこいつは分からないのか。……いやそんなわけがない、こいつのそれは間違いなくわざとだ。
もうこいつのことは考えないようにしようと頭を振って、逸る気持ちをどうにか抑えて足を踏み入れる。
久しぶりに訪れたそこは馬鹿じゃないのかといいたくなるような煌びやかさで、とはいえ俺が生まれ育った“実家”でもあるわけで、勝手知ったる長い廊下を視線が煩い使用人を引きはがすように歩いてみたものの、やはりというかなんというか、その男は難なく後ろをついてきやがった。
「王様ったら足が長い自慢ですか? 僕置いてかれちゃいそうじゃないですかー」
「煩い。大体何故お前が付いてくるんだ。あとその呼び方はやめろと何度も言ってるだろうが」
「はいはいハーディスト伯爵、さすがに道中護衛の一人もつけずに移動するには危険じゃないですかー病み上がりなんですし、僕の厚意ですよ」
「嘘をつけ、面白がってきただけだろうが! だいたい、なぜ、こんな……クソ」
騎士やら使用人やらがぎょっとした青い顔でこちらを凝視し、すれ違う貴族連中は揃いも揃って見知った顔で、俺を何とも言えない引きつった表情で見たかと思えばさっと顔を逸らす。俺の評判や立場を鑑みればそれも無理のないことだとは思うのだが、いかんせん今は虫の居所が悪い。凶悪な顔をしている自覚はある。
一つの扉の前で、制止をかけてきた三人の近衛騎士を引きはがすように蹴散らし、ノックもなしに思い切り扉を開いた。
「やあやあ、エル! 早かったねえ。思ったよりも元気そうでなによりだよ」
「これはこれは、国王陛下。今度は一体何を企んでおいでですか」
ソファに腰掛けたまま高らかにそう言う白々しいヴィクターはどうでもいいとして、さっと右側にずらした視線の先で目当ての人物を見つけて、ほっと胸を撫でおろした。
「あら、エルレイン様どうして……?」
「どうしてもこうしてもない。君こそなんでこんなところにいるんだ、さっさとこの魔窟から出るぞ」
きょとんと首を傾げてカップを置いたステラの澄んだ水面のような瞳にどぎまぎしながら小さく視線を逸らして腕をつかんだ。
淑女らしく露出の殆どない詰襟の長袖のドレスごしに感じる、まるで細枝のような柔らかい腕の感触に慌てて力を緩める。どうしてこうも繊細なつくりなのか、下手をしたら容易く折ってしまいそうで未だに扱い方が分からない。
「酷いなあ、まるで人を悪人みたいに。というかエル、お前にとってもここは実家じゃないか。もう少しゆっくりしていきたまえよ」
「そうですわ、エルレイン様。わたしはただ陛下にこの度のことをご報告しに伺っただけですよ」
「そうそう。お前が寝込んでる間のことも含めて彼女がわざわざ報告にきてくれたんだよ。いやー、今年はイゾルテもハーディストもなんにもなくて良かった良かったー」
ははは、と笑いながら「まあ、いいから座りなさい」という呑気な兄に殺意が湧くが、ステラの手前どうにかそれを押し殺して、彼女の隣に座った。数日ぶりの彼女に心が浮つかないと言えば嘘になるが、努めてなんでもないことのように振る舞う俺に向かいのヴィクターは口の端を吊り上げて見せた。
「ふっふーん、なるほどねえー」
何がなるほどだ。腹は立つが、ここで言い返してしまえば奴の思うつぼな気がして歯を食いしばって堪える。とにかく、今は俺で遊んでいる兄のことよりも隣の彼女の方が重要だ。
「……ステラ、なぜ勝手に王都に行ったんだ。何かあったらどうするつもりだった」
できるだけヴィクターに聞こえないよう、小声で彼女に囁くと彼女はやはり不思議そうに口を開いた。
「陛下直々に報告に来るようお手紙が届きましたので、ルーファス公爵家の者として……といいますか一臣下として参りました。それにきちんと護衛もつけてくださったのですよ」
「そうじゃなくて、この男の性格を考えてみたら危険なことくらい分かるだろう。俺に相談の一言くらい……また君を何かに利用しようとしているのかもしれないんだぞ!」
「おーい、丸聞こえだぞ。お兄ちゃん泣いちゃうぞ」
ヴィクターがなにやら言っているがそれどころではないのだ。彼女の様々な枷がなくなってしまった今、どこにどんな危険があるか……しかもあの一件以来の彼女と言えば、妙に肝が据わっている上に行動力があるものだから俺ははらはらさせられてばかりだ。
「ふふ、違うのですよ。エルレイン様、ヴィクトレイク陛下は……」
「おーーっと、アルトステラちゃん。お茶のお代わりはいかがかな? 西方から取り寄せたこの紅茶は格別でねえ、北方のイゾルテでは手に入りにくいだろう。お土産に持って帰ったらいいよ」
「まあ、ありがとうございます。我が邸の使用人が喜びますわ」
ふわふわと効果音でもつきそうなほどに呑気な二人に何か複雑な思いがたぎる。誰が“アルトステラちゃん”などと呼ぶことを許した。ステラもこの男にそんな優しい笑みを向けなくてもいいじゃないか、勿体ない。君の命を平気で餌にするような奴だぞ? というかなんでこんなに仲が良さそうなんだ。
談笑する二人についに我慢ができなくなった俺は、立ち上がると再び彼女の腕を取りヴィクターを睨みつけた。
「もういいですか、陛下。報告とやらはさすがに終わったでしょうし、忙しい御身をいつまでも辺境の田舎貴族ごときが独占するわけにもいかないでしょう。俺たちは失礼させていただきます」
「固いなあー、ここにいるのは気心の知れた者ばかりなんだから、もっと昔みたいにお兄ちゃんって呼んでくれていいのに」
「一度もそう呼んだ覚えはありません」
「あ、アルトステラちゃんついでにエルの小さい頃の日記を見ていくかい? エルの、というか私が書いているエルの日記なんだけど」
「おいっ! なんだそれは……!」
「まあ! 是非拝見させていただきたいですわ」
「ま、毎日仏頂面で大して面白くもなかったんだけどねえ、今よりは可愛げがあったというか」
こっちこっち、と手招きをするヴィクターにステラが満面の笑みでついていこうとする。おいおい、ふざけるな。そんな馬鹿げた日記があることも初めて知ったし彼女には絶対に見られたくないが、それよりなによりヴィクターに近づくなとあれほど……! 好奇心は猫をも殺すとよくいうが、この人は本当に危なっかしい。
飄々とするヴィクターを睨みつけながら彼女の腕を引き、そのまま腕の中に収めると小さな愛らしい悲鳴が上がった。彼女の華奢な体を壊してしまわないよう細心の注意を払っていると甘い香りがしてなぜだか頭がくらくらとした。いや……、だが、しかしそんなことは二の次だ。
「おやおや、相変わらずだねえ、エル。あんまり縛ってしまうといつか逃げられちゃうよ」
「余計なお世話です」
「エルレイン様、あの違うんで」
「しっ、少し黙っていろ」
なにやら、赤い顔をして先ほどまでの朗らかな笑顔とは違う、焦ったような彼女にムッとした。なぜ、ヴィクターにはあんな笑顔を向ける癖に俺にはそんな顔をするのだ。
もやもやとする心の内を隠し切れないまま放った言葉は想像よりも硬くなってしまったが、それでも今はこの危険な兄から彼女を守る方が大切なのだ。更にぎゅっと抱きしめた彼女の細い肩が震え、腕の中の体温に動揺しなくもないが、それを隠すように俺は口を開いた。
「では陛下、俺たちはこれで。数々のご無礼失礼いたしました。咎があるのならばどうぞ俺に」
「ああ、いやないない。そんなのないよ。君たちにはたんまり借りがあることだし、なにより私たちの仲じゃないか」
「陛下の寛大な御心に感謝いたします。それでは失礼いたします」
礼をして顔を上げるとヴィクターはいつもの愉快そうな笑みより幾分も穏やかな顔をしていた気がして、少し驚く。
「あ、おいっ」
「もう、エルレイン様ったら! 陛下、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございません。此度の滞在、とても楽しく過ごさせていただきました。ありがとうございます」
そのまま踵を返したところでステラが俺の腕から這い出てしまった。それからアルトステラ・リンジー・ルーファスらしい、最敬礼をしてやはり美しく微笑み俺の隣に戻ってくる。
……だからなぜそんなに親し気なんだ。ちりちりと焼けるような焦燥感から眉を顰めた俺に、彼女はとろけるような甘い笑みを向けた。
「こちらこそ、ありがとう。本当に君のおかげだよアルトステラちゃん。エル、気を付けて帰るんだよ」
後ろから聞こえた声にまたなにか返そうとしたステラを引っ張り、俺はヴィクターを無視して部屋を出た。くすくす、という奴のからかうような笑い声にも腹が立ったし、扉の向こうで待っていたらしいトルネオのにたにた顔にも腹が立った。