2 生きる道を考える交差路
少女と男が親子になってからは、少女は復讐相手を探す時が減った。父の研究が大詰めのため、少女のために時間を割く余裕がなくなってきているのだ。娘はそれを理解していたし、恩返しとも少し違うが、父の手伝いや、家事を代わりに行っていた。何より大きな変化が起きたのは、娘の表情がとても明るくなったことだろう。家族がいる安心感なのか思い切り泣いた結果吹っ切れたのか、何にしても父はそれだけでもとても喜ばしいことだった。因みにお互いお互いの名前を一度も出したことはないし、父は注意力が低下してしまっているため失敗が増えている。少し浮かれすぎだ。
「お父さん、晩ごはん出来たよ。」
「うん、ありがとう。……いい加減、君の名前をしっかり決める必要があるな……。」
「?」
父もわざと娘の名前を一度も呼ばなかったわけではない。娘は五年前の火災事故のショックで記憶の一部が欠除されてしまったのだ。娘はなんとなくその時の情景、両親を殺した悪魔の存在を覚えているが、それ以前……自分の名前や両親の姿、過去の生活が思い出せないでいた。つまり現時点では名無しなのである。以前は深い関係ではなかったためその件を保留にしていたが、親子関係である以上名前はとても大事である。
娘は親子ふたりきり故にそこまで名前を大事なものとは認識していなかった。しかし、もし娘が復讐を終え、人として平穏な生活を歩みたいというのなら、名前はどうしても必要になる。保険証とか。
しかし娘に易々と名前をつけてもいいのだろうか。そんな疑問と、父のネーミングセンスの不安感からどうしても名付けを躊躇していた。
娘はそんな父の悩みを共感出来ずにいた。自分には父がいる。今はそれ以外に何もいらない。故に名前も必要ないし、他の人間との関わりも必要ないと考えている。若干家族への愛情が歪んでいる。更に他人への関心が無さすぎる。
「名前なんてまだ無くてもいいよ。もしお母さんが出来るなら、欲しいけど。」
「おか……ははは、そうだね、私達は親子だけどまだ家族としては不完全なのかもしれない。父と母と子、これが完全な家族の姿だしね。」
「もし、お父さんにお母さんができるならどんな人がいいの?」
「そうだね……君を大切にしてくれる人、かな。」
「お父さんじゃなくて?」
「あぁ、私はいつも研究が忙しくてどうしても君とそばにいられる時間が減る。でも、もしお母さんがいてくれれば、君が一人になる時間は一気に減る。そして君の復讐が終わってからなら、私も研究をやめて、家庭菜園でも始めるんだ。」
「素敵だね……。」
父が研究でひきこもり、娘が殺人目的で外出する時点で、母の存在を確たるものにするのは困難だ。しかし、娘の夢に父は付き合う。
「ふぃー、やっと場所が割れたな。」
「まさかあれから半年以上かかるとはね。」
「まぁ仕方ねーっちゃ仕方ねーよな。半年間出てこなかったんだしよ。」
Xと硝子は件のアーミーガールを半年ほど探し続けていた。しかしまるですれ違いのように少女は半年間殺人行為を行わなかったため捜査が難航していた。しかし今回の被害者の『裏の』情報を割り出す事で、彼女の居場所をあっさりと特定することが出来た。
「まぁ裏社会の情報なら俺んとこにちょこちょこ来るからすぐ見つけられたんだけど、半年前にあのハゲが被害者のデータこっちにくれたらこれ数日で済んだことだぜ?嫁さんが寂しさのあまり近隣住宅のリア充虐殺してたらあのハゲを訴えてやる。」
「その告訴、絶対に数倍になって反射されるよ……あと警視総監さんはまだハゲてないし……。」
「しっかし、この住所情報さ、オッサンが住んでる家なのな。しかもこいつも黒紙出てるし。」
「あぁ、ドクターフェイ、いわゆるマッドサイエンティストで彼の『研究』は一部屋分のスペースの空気から酸素以外を取り除く兵器を始めとした化学兵器や、治療法はおろか、成分すら謎のウィルスを作った。しかもバイオテロまで起こしている。」
「そんな人間の情報まであっさり割り出せることが異常だが、それを野放しにしたヒーロー協会や世界政府の無能っぷりよ。」
「ぐっ、それは耳が痛い……。」
ヒーロー協会とは、その名の通り世界の平和を願い、担い、日夜励んでいる協会である。警察組織と似たようなことをするが、警察とは違い武力行使メインで活動するので人を殺しかねない危険人物相手に主に対峙する。また資金源は税金の一部であり、他の税金を資金源に活動している組織と話し合った結果、税金の利率をあげたりせずに各公共組織の取得料を下げ、分散化させているらしい。何から何まで胡散臭い話だが、協会会長が自ら武力行使で理解してもらったとか言い出すためXも信じてやることにしている。あまり自分には関係ないため対応が投げやりなだけだが。
「………っと、ご丁寧にインターフォン鳴らした方がいいと思うか?」
「ご自由に。相手は警戒してないだろうし、今回の一件、あなたの一任に任せるって話だから。」
「んじゃ遠慮なく。」
Xは鼻歌交じりに軽いノリでインターフォンを軽く二回押す。
半年間娘は父のために、時に家事、時に研究の手伝いをした。娘にとってそれは幸せな時間だった。父も娘との交流をまともに出来ていたこの時期は幸福そのものだった。
しかし、娘の復讐の心は無くならなかった。やはり家族を殺された哀しみはどうしても拭いきれなかった。父にまた目星をつけてもらい、その人物を殺した。あっているのか間違っているのかはよく分からない。しかし、娘は半年ぶりに人を殺す事によって自己嫌悪に陥った。
「私……本当にこのままでいいのかな……。」
復讐自体への想いは変わらない。けれども、
「無関係な人をたくさん殺しちゃった……。前は、気にしてなかったのに……。」
父からの愛を一身に受けた娘はもう人殺しを平気でやれる心は無かった。
「……帰ろ。お父さんが待ってる。」
娘は足早に殺人現場から逃げ出す。その時、娘は無意識に涙を流していた。
家に着いた娘は扉を開ける。
「おかえり。」
いつもと同じ顔、同じ声で父は娘を出迎える。娘はその返り血で赤くなった体を無遠慮に父の胸元に擦り付ける。
「……えぐっ、ただっ、いま………。」
娘はさっきから涙を止められないでいた。父に抱かれていると安心感を感じ、同時に自分が人を殺した事による自己嫌悪が強まり、ただただ泣き続ける。涙は溢れ、嗚咽は止まらず、血と涙で娘の全身はグチャグチャになっていた。父は何も言わず、しかし娘の心をなんとなく理解し、強く抱き留める。
暫く泣いてスッキリした娘はシャワーを浴びる。仕切りをつけて、同じ室内で父も血濡れの服を脱いで着替えて、親子の服を洗う。
「そういえば。」
父は何気ない導入で娘と話を始める。シャワーの音が少し大きいが、娘は聞こえているので耳を立てる。父は別に聞こえてなくてもいいと思っている。必要なら改めて伝えればいい。その程度の考えだった。
「君の名前を半年間、ずっと考えてみた。それで、君が気に入るかはわからないけど……。」
聞こえているか聞こえてないか分からないため、どうしても歯切れの悪い言い方しかできない。
「……クリス、なんてのはどうだろうか。」
父は照れ臭そうに言う。娘は……クリスは、その名前を受け入れる。お互い会話になっていないので、父は娘がその名前に対しどう思っているのかはわからない。
「クリスっていうのは、クリスタル……水晶とかの事で、君のもつ心を表している気がしてね。いくら血で汚れようと、君の心は一度洗えば元の透き通るくらい綺麗なものを見せてくれる。君が気に入ってくれればいいんだけど……。」
クリスはしばらく自分の名前を噛み締める。本当は別の何か名前があったかもしれない。しかし、思い出せない名前より、今父が付けてくれたこの名前の方が愛おしい。
それから父に名前を呼んで欲しくて、自分が名前をとても気に入ったことを伝えたくてシャワーのお湯を止める。
その時、急にインターフォンが鳴り出した。
ここから、分かれていた二つの物語が一つに交わる。