鋼鉄の空間
「B3ってこんなところだったか?」
ベイルは呆気に取られたように周囲を見渡す。
床も天井も全てが冷たい鋼鉄に包まれた空間がそこにはある。
牢獄の中にはどんな極悪人がいるんだ?とと思うのは当然のことだ。
囚人達は食い入るように牢の中を見るが、今までの階層にある牢屋と違って天井は高く、奥行きがあり、全体を捉えることができない。人を収監するとは到底思えない施設だ。
俺がメドヴィスと面会するためにここを通った時もこの階で人を見ることはなかった。もちろん刑務員以外で。
不気味な空気を感じ取り、俺の本能が早くここから立ち去ったほうがいいと急かしてくる。
しかし囚人達は荒くれ者らしく、牢屋をぶち壊そうとしている。ベイルの持っている鍵ではB3の牢屋を開けられなかったかららしいけど、何故そんなことをするのか、よく分からない。
B4の囚人達が加わってからますます統率が取れなくなっている。
こりゃあなるようにしかならないな。
最終手段としてこの囚人達を置いて、一人で地上を目指すというのがあるが、これはなかなかハイリスクだ。
出来ることならベイル達と共に地上を目指したい。
「おりゃあ!!よし、ぶっ壊れたぞ!!」
声の方向を見ると一人の囚人が馬鹿力で鉄格子をひん曲げていた。
そこにはちょうど人が一人通れるくらいの空間が生まれていた。
深淵の中に淀みがある。空気の揺らぎが波のように伝わり、俺は肌を刺激されるような錯覚に陥る。
「おい、そこから離れろ!!!」
俺は唐突に、かつ無意識にそう叫んでいた。
「あぁ••••••?」
今まさに牢屋に入ろうとしていた囚人が間抜けな顔で俺を見た。
その途端、暗闇から鉄格子に張り付く獅子舞のような巨大な顔面が現れ、その場にいる全員が飛び上がるほど驚いた。
「な、何じゃこりゃあ!!」
囚人達肌を絵に描いたような驚愕を超えるほどの驚き方をする。
「モンスター••••••飼ってやがるのか。ここで。」
「奇王だ。シノビの里とヒエラポリスの間•••ゲノン森林の守護者と言われているモンスターだぜ、こいつは。」
ふさふさの体毛を持つ猿のような身体をしている。顔は獅子舞のような仮面を被っており、何やら奇怪な踊りをおどっている。一見愉快そうに見えるのだが、近付けば絶対に襲ってくる。間違いない。俺の本能がそう言っている。
なのに何でお前らは近づこうとしてるのかな?ここは見て見ぬふりして、急ぐべきでしょう。
「おい、お前ら。こんなところで道草食ってる暇ねぇぞ?早くここから出て、シャバの空気を吸いたくねぇのか?」
ベイルが眉間にしわを寄せて、囚人らに注意する。
俺はうんうんと何度も頷く。わかってるねぇやっぱり。ベイルが常識人でよかった。ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、お前ら!という叫び声が反響し、鼓膜を揺らした。
俺は声の主へと目を向けた。
もう驚きもしない。王国騎士がこちらに向かってきており、今にも戦闘が始まりそうだ。
さてやりますか。 切り替えの早さは一級品。俺は小慣れた動きで王国騎士に突進した。
振りかぶったところで顔面をぶん殴る。その行動に全く抵抗がないのもどうかと思うが、やらなきゃやられてしまう。だから仕方ないと自分を納得させる。
殴られた王国騎士はいとも簡単に後方の壁まで吹き飛んだ。
やっぱりこの世界の物理的な法則はおかしいね、うん。
「あんな若造にばかりやらせてられるかぁ!」
俺の一撃を見て、囚人の士気が極端に上がった。まるでお祭りのように騒ぎ出している。
おいおい、まるで俺がリーダーみたいになってるじゃん。違うからね、俺。無関係だからね、俺。
他の王国騎士が何やら俺の方を見てコソコソと話をしている。
あいつがこの集団のボスってことか?という勘違いも甚だしい言葉が微かに鼓膜を揺らし、俺は肩を落とす。
予想通りの展開になった。
刺々しい視線を俺に向けてくる王国騎士。
よし、決めた。こいつら全員、記憶無くすまで痛め付けよう。
俺の中の非人道的な悪魔が表出した。
囚人達のリーダーで脱獄の計画者、なんて噂されるのはたまったものじゃない。
「悪く思わないでくれよ。」
殺気を向けてくる王国騎士に有無を言わさず、殴りかかる。
強気強気。そう言い聞かせながら戦いを続ける。
やはりシオリとの訓練のおかげか、王国騎士の動きが手に取るようにわかる。
確信する、俺強くなってる。
そんな俺に続こうと走り出していた囚人達の出番もなく、王国騎士は全て俺が片付けた。
「お前、何者だ?明らかに素人の動きじゃねぇぞ?」
ベイルの言葉に俺はうまく答えられない。
俺ってこの世界で何者なんだ?
冒険者ってことでいいのかな?
「ま、ただの冒険者っすよ。」
それしか言いようがない。日本って国から来ましたなんて言っても意味不明だろうし。
「なら、さぞランクの高い冒険者なんだろうな。」
ランク?ああそういえば、そんな制度があった気がする。ええと確か俺は最下位のDだった。
そこで俺は口をつぐむ。思い出した途端に恥ずかしくなった。結構強いなと思わせておいて、実はランクDって。
なんか笑われそう。
「まあ、それなりには。そんなことより急いだ方がいいっすよ。」
俺は先頭をきって歩き出す。横手にいるモンスター、奇王の肌を刺すような空気を感じながら。
今にも鉄格子をぶち破って出てきそう勢いだ。
「け、こいつ睨んできやがる。気に食わねぇモンスターだな!」
一人の囚人が牢屋を蹴飛ばして、中に唾を吐いた。
すると今までの奇王が被っている仮面とは異なる表情が生まれ出でた。
穏やかさとはまるで無縁な般若のような仮面の表情に俺は一瞬にして冷や汗をかく。
ヤバい。怖いとか危ないとか、そんなんじゃない。それを超える何かが現れた。
グヌラオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
この世のものとは思えない悪魔の咆哮。
触れてもいないのに咆哮による振動で鉄格子が棒切れのように吹き飛び、囚人らに命中率する。そのせいで奇王と俺達の間を隔てる塀は消え失せた。
「おいおい、こりゃあヤベェぞ。もちろん悪い意味でな。」
「クソ馬鹿野郎がぁ!!奇王を怒らせやがって!!」
ベイルもディロスも後退りしながら戦闘態勢を取っている。
これと戦うことを想像するだけで寒気がする。
いやでも岩龍の迫力と比べたらそうでもない!と無理やり思い込み、俺は右手に力を入れる。
面倒だし、一気に片付けちゃおうか。
B2へと続く階段に向けて一斉に走り出した囚人達が気に食わなかったようで、奇王は前にいたベイル、ディロス、グラマン、俺の四人以外をまずは狙い始める。
巨大な図体に似合わない跳躍で一気に階段の前まで移動すると、囚人らに向けて手を払う。足払いならぬ手払いだ。
囚人達は何か言葉を発する前に肉塊と化す。
次々と虫を殺すように囚人を殺していく奇王を俺は呆然と見つめていた。
直感は当たった。あれは相当ヤバい。
動きは猿と変わらない。巨大な猿だと思えば、まだ楽かもしれない。
「よっしゃ、なるようになれ。」
まず走り出したのは俺だ。他の三人に比べれば圧倒的に俺の方がスピードはある。
ということは逃げ切れる確率が高いのは自然と俺ということになる。
数十メートルまで接近するものの、奇王は俺の存在に気付かない。
一発ぶん殴ってやりたいけど、それをしたところで何の意味もない。下手したら殺される。
俺は走りながら懐を弄る。アイテムボックスは没収されている、んだと思う。だって持ってないから。
ということは唯一の武器、グラム クロスはないということ。まあ、あってもどうせ使いこなせてないから無意味なんだけど。
もうアルジャン ロワを使うしかない。というより俺にはそれしかない。
鈍く光を放つ俺の右手を訝しげに見る奇王とベイル達。魔法の兆候は見られないから、余計に不思議な光景に思われるだろう。
自分の世界にはない謎の力は警戒心を呼び起こす。
チートな異能を隠してる俺カッコいいなんて思っていたけど、そのせいで困難が襲ってくるのなら異能使いまくった方がいいんじゃね?と考えを方向転換する。
奇王はまたも咆哮を轟かせて、周囲を威嚇する。
俺はその迫力に負けじと一気に駆け出して、奇王の懐に迫ると、思い切り床に手をついた。
予想通り。床が抜けた。
床が多種類の硬貨に変貌し、奇王の身体はB3の階層へと落下していく。
ぽっかりと開いた床穴にあんぐりと口を開けたままのベイル。
「何だ、おい、こりゃあ•••••••••」
硬直が解けたグラマンは床に開いた大穴を覗いた。奇王が硬貨まみれで仰向けになっている。見間違いではない。やはりあれは金貨や銀貨だ。どれくらいの総額になるのか想像もつかない。
「コウ、お前何やったんだ?」
「まあちょっと特別な能力を持ってるんで。それ使わせてもらっただけっす。」
「能力って、何だ?」
当然の疑問ではあるけれど、目の前でやって見せたのに、その問いをするのは少しお粗末な気がした。
「見ての通りです。何でもかんでもお金に変えられるんです、俺。」
こいつは何を言っているのだろう。この時のベイルの気持ちはまさにそれだった。
お金に変える?は?そんな馬鹿げた能力があるはずがない。そう心の中で呟くが、目の前の状況はその心情に反している。
確かにコウが言ったことに矛盾はない。
しかしそれではあまりにも••••••
「へぇ、そりゃあ喧嘩売ってるような能力だな?」
ディロスは驚きよりも好奇心と羨望を含んだ目で俺を見る。
「喧嘩?」
「だってそうだろう?この世界に貨幣制度がある限り、お前のその能力は制度を根本から破壊する行為だ。世界の経済がおかしくなるぜ?」
まあ、確かに。貨幣制度があるこの世界(まあ無い方が珍しいと思うけど)でお金という物の価値をおかしくしてしまう可能性を秘めた能力だ。それに間違いはないだろう。
しかも俺のこの便利な能力を狙って、何か危ない輩が近付いてくるなんていう可能性も考えられるし。 今のところは無いけどね?
でもどっちにしろ、今の状況をどうにかするにはこの能力を使うしか道はない。
何度も頷きながら、感心した様子で俺は口を開いた。
「そういう考えを持ったことはなかったっすね。個人的にお金に困んないのラッキーくらいしか。」
俺はあははと小さく笑ってからすぐ後に床に開いた大穴からものすごい跳躍で奇王が戻ってきた。
そりゃあ落としただけだから死んではいないだろうけど、予想以上のジャンプ力に思わず腰が引けてしまう。
「どうしよう。実際、勝てる気しない。」
B4であれだけ解放した囚人は全て奇王の薙ぎ払いにより瞬殺された。
あの死に方は嫌だな。身体は綺麗に残っててほしい。
「肉塊にされるのは御免だ。」
動けないでいるベイル達を尻目に、俺はまたも奇王に直撃する。
奇王も先ほどとは違い、俺に警戒心を募らせているようだ。あまり誘いに乗ってこない。
あの図体、あの速度で慎重になられるのは純粋に困る。欠点という欠点がもはや無くなってしまっている。
モンスターでありながら知性は優れているらしい。流石はゲノン森林の守護者だ。
ボクシングのリングに立ったように俺と奇王は対峙する。
「オマエ、カミノシュクフクヲウケテイルナ?」
•••••••••え?喋れんの?
奇王は重低音な声で俺に言葉を掛けた。
こんなどデカい生物から人間の言葉が発せられるのは非常に大きな違和感を覚えたが、俺は努めて平静さを保ったままで、奇王の質問に答える。
「神の祝福って何だ?魔法の名前か?」
答えになっていなかった。むしろ質問に質問を返している。会社での上司と部下の関係ならば、怒られるやつだ。
「チガウ。マホウナドトイウテイドノヒクイモノデハナイ。カミカラチョクセツアタエラレルシンセイナルチカラダ。」
人間の言葉を話すのに驚きはしたが、やはり少し聞き取りづらいのは難点だ。
奇王さん、もう少し練習しといて。
んで、肝心の内容についてだけど、神から与えられた神聖なる力••••••まあ確かに直接神様から貰ったというか、選んだというか。
「神聖なる力か。じゃあそれに免じて見逃してくれない?」
「イイダロウ。タダワシヲココカラダスノガジョウケンダ。」
いや無理だよ。もっとコンパクトな胸ポケットに入るサイズに小さくなれるなら問題ないけど、見上げるほどの大きさのあんたをどうやってここから解放しろと言うのだ。
しかしこの奇王というモンスターとまともにやり合えば、俺も無事で済まないのは必然だ。
「わかった。いいだろう。でも俺はあんたをここから解放する方法が思い付かないぞ?」
「カンタンナコトダ。」
奇王はそう言って、腕をゆっくりと上げて人差し指を地上の方へ向ける。
「ドハデニヤッテシマエバイイ。」
奇王は階段を上ってちまちま進むのではなく、異能を存分に使って、上へ上へと進めばいいと言っているようだ。
俺はまるで地下とは思えないような吹き抜けの天井を見上げる。
この鋼鉄の天井を破壊して最短距離で地上へ進む。馬鹿げてるように思えるが、実際にはそれが最も生還する可能性が高いような気がした。
ドハデニヤッテシマエバイイ。
上等だ、やってやるよ。俺の心は決意を固めた。
「了解。あんたの言う通り、やるよ。」
予想だにしない言葉だったのでベイルは俺に駆け寄ってきた。
「おい!お前、本気か!?」
「本気っすよ。それにその方法が最善の方法ですよ、たぶん。」
ベイルも本当は理解している。上へ上へと進むごとに困難な状況に追い込まれているのを。
メドヴィスがいない今を狙って、脱獄計画を実行したが、奇王などという反則級のモンスターがいるなんて想像もしていなかった。
ヒエラポリスで生まれ、ヒエラポリスで育ったベイルにとってゲノン森林の守護者である奇王の存在は伝説級だった。
脱獄の意思が当初より削がれたのは言うまでもない。
「け、俺らも連れてってくれんなら何も文句は言わねぇよ。」
ベイルはディロスの口から出た言葉に意外感を露わにした。でもすぐに納得した様子で薄い笑みを浮かべる。
ディロスにとって脱獄した後のことは二の次。外に出て、自由になってからのリスクは派手に脱獄しても、地味に脱獄しても変わらない。
ならば奇王の提案したことに乗っても何ら問題ない。
ベイルが決めかねているとグラマンがベイルの肩の上に手を置いた。
「ベイル、俺はディロスに賛成だ。俺ら四人以外は全員死んだ。ここから上がってくのは現実的に無理だろう?」
グラマンはなおも言葉を続ける。
「王国騎士があと何人いるのかも定かじゃない。それに一番の利点は奇王が敵にならないことだ。」
「確かに、な。方法はそれしかないか。」
ベイルも残された唯一の選択肢に手を伸ばす。
「キマッタヨウダナ。ナラバサッソクワシノカラダニツカマレ。」
掴まれって言っても掴まるところ無いじゃん。俺は他の三人がどう動くか見ることにしたのだが、三人とも何の躊躇もすることなく、奇王のフサフサの体毛に掴まった。
俺は一つ溜息をついてから、彼らと同じように奇王の体毛に掴まった。
「デハイクゾ。ソレニハオマエノイノウガフカケツダ。」
「分かってるよ。任せとけ。」
俺は強く念じる。右手に鈍い光が宿る。
奇王ら俺を持ち上げて、思い切り跳躍した。一気に目の前に天井が迫る。恐怖を感じる前に俺は右手を前に出し、天井に触れた。
まるでそこには最初から何もなかったかのように、地上までずっと長い抜け穴が出来ていく。その代わりに生まれるのは青銅貨。
下に落下していく硬貨の雨は囚人達への冥銭のように見えたし、そうなればいいなとも思った。
そんなことを考えているうちに地上へ到着した。しかしまだ止まらない。すべての天井を突き破り、次に見えたのは煌びやかな星々が浮かぶ無限に広がる空だった。
「•••••••••見えた••••••空だ。」
「へ!脱獄成功だああ!!!」
空高くディロスが叫ぶ。浮かび上がる月の光に照らされたディロスの顔はこの日一番輝いていた。
自由の二文字が頭をよぎる。しかし状況はまだ不透明だ。王国騎士の追っ手も必ずやってくるだろうから、完全に安心はできない。
奇王はヒエラポリスの中心である国王の住まう城をじっと眺めている。
俺たちが捕らえられていた場所はその城の真横にある囚人棟という施設だった。
「奇王、どうすんだ?お前、これから。」
「モリヘカエル。ソノタメニジユウニナッタ。」
不得意な人間の言語を話す奇王だったが、そうしたいという強い思いが伝わってくる。
「そうか、んじゃ、俺も森まで連れてってくれ。そこで別れようぜ。他の三人さんはどうするんすか?」
「俺もそうしてくれ。ヒエラポリスに残るなんて今の状況じゃ無理だ。」
とベイルが。
「ああ、俺もそうしてくれ。」
とディロス。
「俺はここでいい。一度スラム街に戻ってみる。」
グラマンはそう言って、奇王の体毛から離れた。
はっきり言えば、こんなところで降ろされるのは普通危険なので絶対嫌だろう。でもグラマンは自ら降りた。捕まるかもしれないところで。
ヒエラポリスのスラム街への思いは予想以上に強いものだったのだろう。
監獄で共に過ごしたベイルは何も言わなかった。彼らの関係はあくまで脱獄するための協力関係。仲良しこよしの二人組ではない。そして実際脱獄に成功したのだから、もう解放されることになる。
奇王はそのまま、呆れるほどの跳躍力で空を駆ける。
豆粒ほどになるグラマンの姿を最後まで見つめていたのはベイルだった。その瞳に映る感情が何を表しているのか、今の俺にはさっぱり分からなかった。