住み心地はいかがですか。
聳え立つ大樹の上には数多くの建物が軒を連ねている。
「こりゃあ凄いな•••••••••」
俺は目の前に広がる光景にただただ感服した。
遅れてやってきたセラも同様の感情を抱いているようだ。
そこかしこからキリキリとした視線を感じる。おそらくここに暮らすシノビの住人たちだろう。姿は見えないが、確実に殺気を俺の方へ向けている。
「安心して。とって食おうとしてるわけじゃないから。まあ少し驚いてはいるみたいだけど。」
背後から聞こえたのはシオリの声。
確かにいきなり攻撃されることはないだろうが、それでもあからさまに敵意を見せられると良い気分はしない。それになんか怖い。
「あんたら、あんまりジロジロ見るんじゃない。お客様だよ!」
シオリがそう言うとさっと熱が覚めるように敵意は消え去る。
なかなか素直な住人たちだ。未だに一人も姿を見せないが。
俺は今、枝の上を歩いている。超巨大な樹木の上は一つの里として成り立っており、全く見たことがない場所がここにある。
よく見れば建物の素材は大樹の枝と同じ材質だ。
「私んところに案内するわ。」
この大樹の上はシノビ里となっているらしく、外敵の攻撃を受けにくいだろうと考えた祖先がここに家を建てたのが始まりだという。少し疲れたのか、俺は眠い目を擦りつつもシオリの後についていく。大樹をぐるっと囲むように螺旋階段が伸びており、頂上まで行くにはかなりの時間を要する。
まあ愚痴を言っても距離は変わらないし、無心でただ歩く。
「すみません。私たちの進む速度に合わせてくれて。」
「シノビは特殊だからね。あなたたちも•••見たところによると新米の冒険者って感じがするしね。」
あ、そうか。このシオリって人はシノビなんだ。俺みたいな鈍間とは異なる存在だったことに今更ながら気付いた。
いつもならずっと早く頂上まで辿り着いているのだと考えるとその移動速度に末恐ろしささえ感じた。
あとなんかすいません。
「ここよ。」
足の疲労を感じ始めた時、ようやく目の前に見えてきたのは今まで視界に入ったものとは違う荘厳な木材建造物だ。
やはりシノビの長ともなれば他とは違う立派な建物に住めるようだ。
それにしてもどうすればこんな建物を造れるのか。枝が伸びる方向を変化させたとしか考えられない奇怪な伸び方をしている。
「これは全て魔法で造られた建築物よ。無数の枝を曲げて、人が住める建物のような形状にしたの。まあ造ったのは先代だから、かなり古いけどね。」
俺の心を読んだのか、もしくは顔に出ていたか、シオリは疑問に答えてくれた。
「まあ、入ってよ。怖い思いさせちゃったからさ、お詫びもしなくちゃならないし。」
「いえ、そんな私たち大丈夫ですよ。」
「そういうときはお言葉に甘えたほうがいいよ。断られたら私が恥かいちゃうじゃない。」
シオリは薄く微笑み、扉に手を掛けた。
その瞬間、何か大きな黒い影がまるでびっくり箱のように跳び出てきた。
シオリがさっと横にずれたせいでその背後にいた俺に被害が及ぶ。思わず倒れてしまうほどの衝撃で受け身も取れなかった。
「痛たたたた••••••••••」
そうやって痛がる俺をじっと見るのは小さな女の子だった。橙色の髪がふわっとなびく。容姿もなんとも可愛らしく、大人になれば絶対美人になるだろうと自信を持って断言できるくらいに整っていた。
「こ、こんにちは。」
まだ五、六歳の女の子に人見知りする俺、情けない。でもその性格は昔から変わらない。生まれ変わってもそれは同じで、まあ案の定という感じだ。
「あれ?シオリ姉ちゃんじゃないけよ。」
「こっちよ、こっち。」
シオリは苦笑しながら自らの子供を見るような目で女の子に視線を向けている。
「ありゃ?そっちかいな、おかえりけよ。」
「うん、ただいま。」
「あら?可愛い子ですね。」
セラも女の子に魅了されているようだ。気持ちはわかる。俺の場合は人見知りが勝っちゃうけど。あと俺子供があまり得意ではない。
「ええ、可愛いでしょ。リン、いつものお茶用意してくれる?」
二人分のねとシオリが言うと女の子は嬉しそうに強く頷いた。
「•••••••••あの子はリン。私の妹、ってわけじゃないんだけど、一緒に住んでるの。」
家の中の方に気を配りながら言葉を続けるシオリ。
「彼女の両親は五年前に亡くなってね。それからはずっと私と一緒に生活してる。」
「それをリンちゃんは知ってるんですか?」
あまり踏み込まないほうがいい気もするが、シオリから詳細を明かしているのだから、ここは聞いておくことが礼儀なのかもしれない。
「ええ、知ってるわ。だから私のことはお母さんと呼んでいないの。まあ呼ばないようにって私が言ったんだけどね。」
「それはまた何故?」
「私が実の母ではないから。まあ義理の母ということになるのかもしれないけど、私はあの子が次のシノビの長となってくれることを願ってるの。だからそれ相応の強さを持ってほしいと思ってる。まあ、私の勝手な感情なんだけど•••••••••」
シオリの表情を見るに悩みに悩んでいることは明白だ。本当にこんな接し方でいいのだろうか、もっと違うやり方がこの子のためになるのではないか、そんな揺れる思いが感じ取れる。
俺はその葛藤する思いにかけられる言葉を持ち合わせてはいなかったし、気安くかけるべきではないとも思った。
「ごめん、変な感じになっちゃったね。どうぞあがって。お詫びで連れてきたんだから。」
「あ、はい。お邪魔します。」
異性の部屋に入るなんて何年振りだろうか。小学生の頃、まだ性というものに目覚めていなかったあの時代以来かもしれない。
そう考えると何故だか言いようもない緊張に襲われる。
シオリの家に足を踏み入れると想像とは違う光景が広がっていた。シノビの長ともなれば豪華な部屋に住んでいるという勝手な想像をしていたのだが、ごく一般的な部屋だった。お金持ちでも貧乏でもない、本当に平均的な部屋だ。
「これでいいけよね、シオリ姉ちゃん。」
そう言ってリンはテーブルの上を指差す。そこには白い湯気がほのかに立つお茶が用意されていた。
「よく出来ました。ありがとね。」
シオリがリンに向ける笑顔を見ていると、この人もシノビとしての厳格な性格とは別に温和で優しい人柄の女性なのだと認識させられる。俺はそのギャップにいまだ慣れずにいる。
「さ、座って。」
俺とセラは木製の至って変わり映えのない椅子に腰を下ろした。
「あ、そうだ。リン?これ、アイシャに渡してきてもらえる?」
シオリはリンに何やら紙袋を持たせた。
「うん、わかった。」
「ついでにケーキ食べてきてもいいからね。」
「え、いいの?やった!」
リンは大喜びの様相で家を飛び出していった。それを見届けてからシオリも椅子に腰を掛ける。場所は俺の真正面。若干の緊張は致し方ない。
「まずは怖い思いをさせて申し訳なかった。」
シオリは頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
ただ俺は彼女に対して、またはシノビの対して悪感情を抱いていない。
あの状況でシノビが来なかったことを考えると、良い方向に進んだ気がしないのだ。結果的にシオリには感謝している。
「いいえ、大丈夫ですよ。ねぇ、コウ。」
「はい、逆に感謝してます。あのままだったら結構やばかったんで。」
俺の言葉にうんうんとセラも頷く。
「そう言ってもらえると嬉しい。」
シオリは一度大きく息を吐いて、何か言いたげな表情をつくるが、すぐに躊躇う素振りを見せた。俺には分からない葛藤が生まれているようだ。
「•••••••••突然だけど、あなたたちは黒衣の騎士を知ってる?」
「黒衣の騎士、ですか?」
セラには聞いたこともない名称らしく、首を傾げている。
俺はというもの、エランテルの図書館で見た週刊新聞の見出しをはっきりと覚えていた。
「最近頻発してるエルフ殺しの犯人をそう呼んでたような••••••」
「ええ、その通り。片っ端からエルフだけを狙ってる犯罪者よ。理由は明確じゃないから、何が目的なのかは分かってない。」
「それがどうかしたんですか?」
本題だ。薄々感付いてはいたが、俺たちをわざわざここまで連れてきたのは今話している内容が関係しているのだろう。まあ確かにお詫びという面もあるにはあるだろうが、それは一つの側面に過ぎない。
「冒険者であり、勇気ある貴方たちに協力してほしいのだけど、話を聞いてくれないかしら?」
先ほどと口調は変わらないが、シオリの内心が必死に訴えかけてきているようで、俺は目が離せなかった。
返事をするのを思わず忘れた俺に代わって、セラが胸に手を当てて、強く頷いた。
「はい!お話を聞かせて下さい。」
「ありがとう••••••私たちがシノビだってことは知ってると思うけど、エルフとも無関係ではないの。」
「シオリさんは人族ですよね?」
「ええ、そうよ。ただ人族じゃないとシノビになれないかといったらそんなことはなくて、エルフや獣人のシノビもいるの。この里にも少数のエルフ族がいるわ。」
「そのシノビのエルフ達が被害を?」
俺の問いかけにシオリは一度お茶を飲んでから時間をかけて答えた。
「•••••••••ええ。私たちの仲間にも被害が出ているの。それを黙って見てるわけにはいかない。」
決心を固めた表情はシノビの長としての顔つきだった。
「それで俺たちは何を?」
「黒衣の騎士は一つのパーティと関わりを持ってると言われているの。それはあなたたちも知ってるであろう、邪龍の鉤爪というパーティ。」
セラは驚いて目を大きく見開き、俺は訝しげな視線をシオリへと向けた。
ついさっきまで湯気が立ち上り、渋みのある香りを漂わせていたお茶はすっかり冷めてしまっていた。
「何故、俺たちが邪龍の鉤爪について知っていると思ったんですか?」
「いい気分はしないだろうけど、あなたたちについて少し調べさせてもらったの。邪龍の鉤爪の情報を調査している最中にセラでいいかしら?あなたの情報を手に入れたの。だから尾行を始めた。」
「ってことはエランテルに向かう時に出会ったときも、プロストに戻ろうとした時に会ったのも偶然じゃないってことですか?」
シオリは少しだけ言い淀んでから重い口を開く。
「ええ、そうよ。エランテルに向かってるあなたたちを尾行してたんだけど、セラとは別に情報のない人物がいたからそれを確認したいと思ってね。」
俺の人柄や素顔、いわゆるどんな人物なのか知っておく必要があるとそう考えたらしい。セラの隣にいる男が謎めいたままだと動き辛いと思ったのだろう。
「そういう裏事情があったんですね。」
「今のことを踏まえて、もう一度聞くわ。私たちに力を貸してもらえないかしら。」
ちらっとセラの方に目を向けてみるが、答えは決まっているみたいだった。相互に確かめなくても理解できた。邪龍の鉤爪に接触できる良い機会だ、断る理由はない。それにセラの安全のためにもその方がいいと俺も思った。
「もちろんです。邪龍の鉤爪と関わりがあるのなら、彼らについての情報も得られるかもしれませんしね。」
「ありがとう。••••••ではこれからよろしく。」
シオリは右手を前に出した。それが握手を求めているのだと気付くのに時間は掛からなかった。俺はシオリの右手を軽く握り、しっかりと彼女の目を見た。その時の俺に恥ずかしさは消えていた。
シノビの里には宿屋といわれるものは存在していない。武器屋や防具屋もなく、あるのは薬草やポーション、エーテルなどが売られている道具屋がひっそりとあるくらいだ。元々外部から訪れる者はほとんどいないので、旅人に対する商売は重視されておらず、閉鎖的な里になっている。
俺とセラは今日のところはシオリの家で世話になることになった。
シオリから自由に里を見て回っていいとの許可を得た俺はセラと共に里の中を散歩がてら歩き回った。
唯一の店屋である道具屋に入る。名前はドロンという店らしく、なんともシノビアピールの激しい店だ。
店員はほとんど黒い布で顔を隠しており、両目だけが確認できる程度だ。
「•••••••••••いらっしゃい。よそもんとは珍しい。」
声は小さく、そして低い。店屋としてはあまり良くないんじゃないかと心配になるほどだ。ただ外部から客が来ないと考えるとそうなるのも致し方ない気もした。
俺は店員に軽く頭を下げてから店内を見て回る。
この世界に来てからまだ見たことがなかった品物も多くあり、俺は興味深げにそれを手に取って眺めていた。
「セラ、これは何かわかる?」
「えっと、それは•••たぶん筋力上昇の薬だと思う。」
俺が手渡した瓶の中の匂いをセラは躊躇うことなく嗅いでから少し自信なさそうな声で言った。
「ん••••••ホントか?」
「わかんない、たぶん。」
完全に信じない方がいいかもしれない。俺は店員に聞こうと振り返ったが、さっきまでいた店員は忽然と姿を消していた。
「あれ?」
そう呟いた瞬間、耳元で低音の声が聞こえた。
俺のすぐ横に店員は移動していた。いつの間にと思う前に体が反応し、後方へ跳躍していた。
「な、何でそこに?」
「うわ!びっくりした。ホントだ、いつの間に?」
セラは俺が咄嗟に移動したことで店員の存在に気付いたようだ。それくらい物音を立てずに移動できるのはやはりシノビだからであろう。
「それは••••••変化の薬だ。筋力上昇の薬と少し匂いが似てるから間違うのも無理ないがな。」
「変化の薬って、飲んだら姿形を変えられる、みたいな感じっすか?」
「ああ、一定時間だけだがな。もって五分くらいだろう。」
「へぇ~•••••••••凄いな。そんなことまで出来るのか。」
俺はその薬をまじまじと見つめた。ガラス瓶に入れられており、中身の色は蓋を開けて上から見ないと確認できないようになっている。ポーションやエーテルも同じような形で保存され、販売されているので見慣れてはいるが、変化ができるという特殊な効果は興味を惹かれるものだった。
「いくらするんですか?」
「五万ペリー。」
「え、高い・・・・・・」
「ふーん、そんなもんか。」
前者がセラで後者が俺。両者ともに当たり前の反応だ。一般的な金銭感覚はセラの方であることは俺自身も理解している。ただお金には全く困っていない、というよりもいつでも、どれだけでも自由にお金を作り出せる能力を持てば感覚が狂ってくるのはしょうがないことのように思う。
「一つもらおうかな。」
俺はそう言って懐から乱雑に金貨を五枚取り出して、店員に手渡した。
店員は終始ポーカーフェイスだったが、内心では呆気に取られていた。五万ペリーという金額を聞いて驚かずに、安い買い物をするかのように振る舞う青年の存在がその理由だ。貴族か何かか?と疑うほどだった。金銭感覚がぶっ飛んでいる、という俺の噂がシノビの里全体に広まるのに時間は掛からなかった。
里の中を見て回った結果、やはり住人の警戒心をゼロにすることはできていないらしく、あからさまな不信感を込めた視線を幾度となく浴びせられた。まあそれも仕方ないことだろう。いくら首長であるシオリが安全だと言っても心の奥底で気を許すことなどできないであろう。ただセラがいることで幾分緩和されているようだった。あんな可愛い子が危険なわけない、とでも考えているのかもしれない。俺一人ならばもっと敵意を持たれていただろう。
俺たちは一時間ちょっとでシオリ宅へと戻った。住人と交流を持つのはまだ難しい気がしたからだ。
そういう面をシオリも少しは理解していたのか、何も言わずに何か食べたいものはないか聞いてきた。
「何が好きなの?まあ私が作るわけじゃないけど。」
「お気遣いなく。ホントに何でも大丈夫です。」
セラの返答に俺も頷く。別に食べたいものなんてない。というよりもこの世界の料理をまだ詳しく知らない。カエル肉の串焼きくらいしか食べていないかもしれない。あれは抜群に美味しかった。
「まあ、そうだね。わかった、適当に作らせておくよ。」
シオリはそう言って台所の方へと姿を消した。
この家にも少し慣れてきて、俺はだいぶリラックスできていた。その証拠に椅子に深く腰掛けることができている。さっきまで緊張からか、浅めに腰掛けていたのだ。
自分でもそれを自覚した。良いのか悪いのかは分からないが。
「ねえねえ、お姉さんは魔法使えるの?」
セラに質問したのはリン。先ほどまで本を読んでいたのだが、すっかり読み終わったらしく、今はセラと話をしている。
「うん、一応ね。でも簡単なのしかできないよ。」
「フレイム!とか?サンダー!とか?」
「うーん、どっちかっていうと補助魔法っていうのが得意なんだよね。でもリンちゃん、魔法が詳しいんだね?好きなの?」
「うん、好き。一つ使えるの、見てて。」
そう言うとリンは右手の人差し指に意識を向けた。人差し指から青白い光が放たれる。それは点滅するように光り続けて、やがて消失した。
「ね、凄いでしょ!」
「うん!ホントに凄いね!誰に教えてもらったの?」
俺も横目で見ていたが、あんな小さな子供でも魔法が使えるという事実に衝撃を覚えていた。これが普通のことなのか?リンが行使した魔法はルーチェという光魔法の最も初歩的なものだ。ただ俺はそれすら使えない。そう考えるとこのままではいけないという何か漠然とした危機感を覚えた。
「もちろんシオリお姉ちゃんだよ。」
リンは嬉しそうにそう言った。
「私も忍術だけを使うわけではないからね。魔法も少しはかじっているさ。」
台所の方から戻ってきたシオリはパンがいくつも入った籠をテーブルの上に置いた。焼きたてなのか、パン屋のような美味そうな香りが漂ってくる。
「うわ••••••おいしそう。」
セラは今にも跳びつきそうな勢いでパンを凝視している。気持ちは凄いわかる。俺もこの匂いだけで腹の虫が刺激されている。
「さっき焼いたばかりだからね、これは自信作だよ。それに、これに関しては私が焼いたからね。」
胸を張って自信満々に話すシオリの後ろから音も立てずに女性が現れた。何も言わずにテーブルに置いたのは湯気の立つ野菜盛りだくさんのシチューだった。
「そういえば紹介してなかったわね。うちの手伝いをしてるクロネよ。」
シオリの紹介で女性はお手本のようなお辞儀をした。黒髪を後ろで結えられて、綺麗なうなじが露わになっている。クロネという女性もシオリに負けず劣らずの美貌だった。
「クロネ ラインハットです。シオリ様の護衛かつ身の回りのお世話をさせていただいております。」
「あ、どうも。よろしくです。」
俺はぶっ格好ながら頭を下げた。
この世界の女性は皆、綺麗だ。いやホントに。
セラもシオリも、そして目の前のクロネも。今も可愛いが、リンも大人になればより可愛くなるだろう。
美人と話せるだけで俺は幸せだった。
「どうしたの?コウ。」
「あ、いや、なんでもない。」
「さてはクロネさんに見惚れてたな。」
セラは肘で俺を小突く。漫画のように俺は焦った。その様子をセラは微笑ましい様子で見ていた。
「ち、違うって。」
「ふふふ、焦ってるじゃん。」
そりゃあ図星だったからね。それにこういう弄りには慣れてないってのもある。
「早く食べようよ~。」
リンはもう席に着いてパンを一つ自分の前に置いていた。
助け舟。ありがとう、リン。
俺は食べよう、食べようと呟きながら席に着く。それに続くようにセラとシオリも椅子に腰を下ろした。クロネは台所の方へと戻っていく。
「あれ、クロネさんは?」
「クロネはいいのよ。彼女は断固として共に食べることはないの。」
「え、何でですか?」
「主人である私と共に食べるなんて恐れ多いって。」
「フケイニアタリマス。って言ってたよ。」
リンはスプーンでシチューを食べながら言った。
そういうものなのかと納得したが、同時にシオリの存在の大きさをより自覚した。やっぱりすげぇんだな、この人。
俺はパンとシチューに舌鼓を打った。やはり熱は偉大だ。熱を帯びたものは美味しい、これはどんな時代でも、どんな世界でも変わらない。
「うん、やっぱりクロネは料理が上手いな。」
シオリも絶妙に味付けされたシチューに好評価をつけている。
「ふん、ふん、っふふ~ん。」
思わず鼻歌を歌うリンを微笑ましく見つめるシオリとセラ。
ああ・・・・・・この空間は幸せで満ちている。形でくっきりと見えることはないが、感じることは出来る。前世の俺はこの感じを味わうことなく、命を終えた。
今、俺は幸せなのだろう。こういう何気ない日常が幸せを生んでいる。
俺も思わず笑ってしまう。
食べ終えた後はシオリといろいろな話に花を咲かせた。忍術について、魔法について、その他諸々。
ふと気づいた時にはもう外は暗闇に包まれており、月明かりだけが里を仄かに照らしていた。
シノビの里には古来から風呂という文化があり、ここからアトランティス全域に広がっていったという。元の世界、地球で風呂の気持ち良さを知っていた俺は風呂がこの世界でも存在していることを期待していた。でもそれはプロスト、エランテルの宿屋で儚く散った・・・・・・そう思ったが。
風呂は存在したのだ。ただ単に宿屋にはなかっただけ。
俺は肩までお湯に浸かり、頭にタオル地の白布を折り畳んで載せた。これが日本スタイル。これがアトランティスで大流行することを俺はまだ知らない。
眠気が襲い、危なく寝落ちしてしまうところを何とか耐えて、風呂を上がる。
俺とセラは一人ずつ部屋を用意してもらった。なんともありがたい。それと同時にシオリの家は思ったよりも広いことに気付いた。
なんか地下みたいなところもあるらしい。
興味はあったが、見て回るのも失礼な話なので俺は用意された部屋で長剣グラム クロスの手入れをすることにした。
ほとんど使われていない高級な長剣は磨く前から光り輝いている。
「魔法も学びたいけど、剣の訓練もしないとな・・・」
生きていくために、自分の身を守るためにやらなければいけないことがたくさんある。
神様にもらった力がいくら便利だからといってそればかりに頼っていられない。もっと力をつけなければ。俺はベッドの中で強くなるために何をするべきか、真剣に考えた。
考えている最中に眠りについてしまった。
そしてその日も夢を見た。何かからただ逃げ惑う夢。恐怖や絶望に染まった俺の顔が見えた。そのせいか、次の日の寝起きはあまり良いものではなかった。
そんな状況とは裏腹に外から微かに聞こえてくる小鳥のさえずりは歌を唄うように楽しそうだった。