第二話.再会
誕生式典まであと、4日。
日に日に重くなる心を騙して前に進むには、心を捨てる以外になかったのかもしれない。
フローラは政務をいつも以上に熱心に行いながら、仕事でそれを紛らわそうとしていた。
とはいえ……フローラの仕事は事実上ない。ただ書類に目を通し、はんを押すだけだ。あるいは本来なら書類に目を通すことすら、しなくてもいいのかもしれなかった。
形だけの、王権だった。
つまり彼女の仕事とは、椅子に座り、接見する客に、あるいは国民の前に立ち、微笑むだけでいいのだ。国の傀儡となって、顔も知らない男と結婚させられて、それでも笑って国民に手を振ることだけが、彼女の仕事だった。
そうしていると執務室の扉が開かれる。
中に通すと、入ってきたのはジェダだった。
「姫様。またご確認いただきたい報告書が何点かございます。グロッシュラー領への公道が先日の土砂崩れで埋まってしまった件。領主から国へ人材派遣の要請が。また、トルマ公国から創立記念の式典の参加の要請が……ほかにも」
「読み上げなくていいよ」
フローラはジェダの言葉を途中で遮る。
「ここにきたってことは議会を通ってるんでしょ。なら、何も見ずにはんこを押すから」
「姫様……しかし姫様もご確認を」
そう言った。
「確認して……わたしが、これは通せない、間違ってるって判断したら、押さなくていいのっ!?」
そうだった。そんな権限は事実上彼女にはない。
「……姫様。……そうだ! ご気分転換をなされてはいかがですか? 現在、花祭りでグランプリを獲得した庭師を雇い、セレモニー用の飾りつけをしてもらっているところなのです。中庭は私も見てきたのですが、今まで見たことのないような色とりどりの花々で飾りつけをされ……大変見ごたえがございました。別の公務が入り、先日のグランプリにはご見学いただけませんでしたが……ぜひそちらをご見学をと」
ジェダは彼女を気遣うようにそう言った。
フローラの花好きは宮中でも有名だ。
だけど、本当は違う。
たしかに今までフローラは花が好きだと周囲が思うような振る舞いをしてきた。きれいな花を見れば誰よりも興味熱心に感動を表していた。誰が見ても、大好きなのだろうと、思うだろう。
だけど、実は、フローラは特別花が好きなわけではなかった。
思わず涙をこらえる。
花が好きな人を、好きだったから、……花を見るのが好きだったのだ。
「そうね。見てくる……」
だからフローラは席を立った。涙を、見せたくなかったから。
「……」
昔、伯爵領にまだいた時だ。幼馴染の、少年がいた。彼は伯爵領に仕える庭師の息子で、自身も将来は庭師になると言って庭仕事に励んでいた。
ずっと、大好きだった。どんな時も一緒にいた。
幼い時に約束をした。一生ずっとにいようね、と。それがかなわないなんて、一切疑っていなかった。
つらいこともたくさんあった。伯爵邸にいても。でも、幸せだった。ずっと、ずっと。大好きだった。カイヤと一緒にいられたから。
「ごめんね。カイヤ、私……」
ずっと夢見ていた。本当はこの辛い5年間の生活で思わずにいられなかった。それだけを心の励みにずっと生きてきた。カイヤはもしかしたら待っていてくれるのではないか? 自分はみんなの期待通りに仕事を終えたら、元の生活に戻してもらえるのではないか。また、伯爵邸で一緒に……ずっと一緒に、なんて。
「あ……」
中庭にきて、それを見たフローラは思わずため息をついた。そこには想像をはるかに超える幻想的な空間が広がっていた。色とりどりの花々がお互いを高めあいながら輝く。一切の不和を感じさせない、完全な調和。そしてどことなく、懐かしい香りがするのだ。
まるで幼い時の……スペサルティン伯邸のその庭のそれと……。
「おいおい、姫様。アンタのセレモニーのためにやってんだ。途中の状態で見に来てもらっちゃ困るな」
花をいじりながらそう言った。少年だった。宮廷が雇った本年度花祭りグランプリ。現段階のオヴシディナで最も才能のある庭師である。
「――あ」
それを見た瞬間、フローラはまなこにいっぱいに涙をためた。
「どうして?」
そしてボロボロと涙をこぼしながらフローラはそれを言う。
「カイヤ……」
その瞳は、別れた時のそれと変わらなかった。ただし時がたち、洗練とした顔立ちは美しく成長していた。あのころは、まだフローラより背が低いくらいだった。なのに今は軽くフローラを見下ろしていた。180センチを超える身長。まくられた袖から覗ける腕の筋肉や、服越しにもわかる胸板。男性らしい体つきは少年がもはや子供ではないことを物語っていた。立派に成長した一人の青年として、宮廷庭師として、そこにあった。
「よお。裏切り姫、様……」
ぶっきらぼうに彼はそう言った。第72代花祭りグランプリ、宮廷庭師カイヤである。