キャンディーハウス
黒羽が入る事になった寮は学園の敷地のはずれにあった。
いや、正確に言えば敷地のはずれからさらに森の中へ入った場所に木々に囲まれて建っていた。
これでこの寮がごく普通の一般的な建物だったら、入るのに躊躇いを覚える不気味さを醸し出していたに違いない。
だが幸いなことにこの学園の校舎や講堂等の他の建物と一貫性のあるデザインで建築されたであろうその寮は森の中に溶け込んで、そこにあるのが当然といったごく自然な空気を纏っていた。
「ここがうちたちの寮、キャンディーハウスや」
「キャンディーハウス?」
「ほんまの名前は宮之森学園第一学生寮やけど、生徒はみんなこっちの名前で呼んどるんよ。やっぱ森の中にあるのはお菓子の家やんな?」
ヒルダはそう言って笑うと先に透明度の高いガラス製の自動ドアを抜けて玄関ホールへと入っていった。
黒羽は立ち止まって建物を見上げると、よく目を凝らして見てみた。
奇抜なデザインとまでは言わないが、大胆に設置された柱や窓と一体化した大きめののガラスの壁はよくある学生寮のイメージからはかけ離れている。
色も淡い色やパステルカラーがワンポイントとして使われていて、それが若干子供向けの雰囲気を出していた。
確かにお菓子の家というのは言いえて妙かも、と納得しながら急いでヒルダの後を追う。
中に入ると玄関ホールは吹き抜けになっており、採光もよく考えられているようで思ったよりもずいぶんと明るい。
「1階は食堂とちょっとした買い物ができる購買と多目的ホールに大浴場、寮監の先生達の部屋なんかがあるんよ。2階と3階が生徒の部屋でうちらは3階。左のエレベーターが男子の部屋につながってて、右が女子。」
言われてみてみると確かに左右に分かれてエレベーターが設置してある。
「まぁ、間違えて乗っても動かへんから大丈夫やけどね」
そういえば校長室でIDカードの話を聞いたのを黒羽は思い出した。
「このIDカードって持ってるだけでいいの?」
「そや、FFALの特許技術が使われてて、わざわざ取り出したりせぇへんでも認識してくれるすぐれもんなんよ。ちゃんと個人に紐付けされとって他人のカードは持ってても使えへんよ」
「へ~~、このIDカードってほんとすごいんだね」
黒羽は素直に感心した。
「この学園には他にもいろいろ凄いものがあるんやけど、まぁ、そっちも追々体験できる思うよ」
ヒルダは右に4つ並んだエレベーターの前まで歩きながら簡単に説明すると、壁に設置されたパネルのボタンを押す。
待つまでもなくドアはすぐに開き、二人は部屋のある3階へと移動した。
その後、部屋に荷物を置いた黒羽はヒルダの案内で中等部校舎を一通り回り、図書館、講堂、体育館、室内プールと廻った後、さらには遠埜自然公園に隣接するショッピングモールへと連れ出された。
寮に帰ってきてからも、一緒に食堂で食事をとり、大浴場で入浴した後、3階共有スペースのリビングルームでとりとめのない話をするなど、ヒルダはなかなか黒羽を放してはくれなかった。
ようやくヒルダから解放され自分の部屋へ帰ってきた黒羽はそのままベッドに倒れこむ。
ここには備え付けのクローゼットとベッド以外には昼間ヒルダと一緒に買ってきた数着の服や下着の入った紙袋と持ってきた小さなバックしかない。
ただでさえ広すぎるこの部屋はがらんとしてて寂しかった。
これまで暮らしていた自分の家の事を思い出す。
事故の後は思い出の品がたくさんある自分の部屋にいることが苦痛だった。
どうしても両親と飼い猫だったノルの事を思い出してしまうから。
財産を管理してくれている弁護士さんからこの学園の事を聞くと、そのまますぐに転入手続きをしてもらった。
逃げるように何も持たずにこの学園に来た。
(ヒルダは私の事、聞いてて気にかけてくれたのかな…)
ヒルダと話をしてると前の学校での友達を思い出した…
気を使ってくれる友達が余計に負担に感じて、学校に行けなくなって…
(許してくれるかな…また、会いたいな…)
まぶたがひどく重い…
黒羽は自然と目を瞑った。
にゃぁ…猫の鳴き声が聞こえたような気がした。
(ノルは私の寝顔をよく舐めてたっけ…)
黒羽は何故かノルが顔をなめにくるような気がして瞼をあけようとした。
(とっても…眠い…)
でもそのまま睡魔には抗うことができず、眠りへと落ちていった。
翌日いつもより少し早く目覚めた黒羽は寝ぼけ眼で殺風景なベッドの周辺を見渡すと、日曜日である今日のうちに適当な家具類を購入しようと決心した。
黒羽が自分から買い物に出かける気分になるのは久しぶりだった。
部屋に備え付けられたシャワーで軽く汗を流し、身支度を整えていると来客を告げる軽快なメロディーが鳴る。
「おはよう!一緒に朝食いかへん?」
ドアを開けるとヒルダが元気に声をかけてきた。
外国人の美少女がみょうちきりんな関西弁を話す事にも昨日でだいぶ慣れた。
「おはよう。…あ、ええっと」
黒羽は普通に返事を返そうとして、彼女の隣にもう一人女の子がいることに気が付いた。
「あ、こっちはエイラや。うちらのいっこ下でこの3階の住人や。この子とも仲良うしたってな」
そう言って彼女の肩を軽く掴んで黒羽の正面にくるよう引き寄せた。
「エイラ・ハーヴィスト、中等部一年…」
彼女は短く自己紹介をした。
ヒルダもすごい美少女だが、このエイラという少女も彼女に引けを取らない。
背は黒羽たちよりも少し低く、体は折れそうなほどに華奢で細い。
ショートカットにした薄い金髪は光の加減で銀にも見える。
ただ、右目にしている髑髏マークの眼帯が異彩を放っていた。
ヒルダといい、この学園の留学生はちょっと自由すぎやしないだろうかと黒羽は思った。
「えっと…中等部二年の八雲黒羽です。よろしくね」
気を取り直して挨拶をすると、ヒルダは「じゃぁ、いこか♪」とエレベーターホールに向かって歩き始めた。
「ちょっと!まって!」
黒羽はエイラと並んで小走りになりながらヒルダを追いかけた。
「確かにそのままやと何もあらへん殺風景な部屋やしな」
朝食の後ホットミルクを飲みながら、ヒルダに今日の予定を聞かれた黒羽は何か家具を見に行く予定だと伝えると、こう返された。
「うん。せめてテーブルとクッション、絨毯は欲しいかな。あとチェストとか」
「それにしてもこの寮の部屋ってみんなあんなに広いの?寝室とは別にフローリングの洋室がもう一個あるし」
黒羽は昨日から気になっていた事を尋ねてみた。
「いや、3階だけや。2階はもう少し狭うて一部屋だけやよ」
「まぁ、もともとは2人部屋らしいんやけど、今はそんなに生徒がおらへんからね。得した思て使ったらええんやない?」
ヒルダは簡単にそう言った。
「う~ん、広すぎて落ち着かないんだよね。やっぱり一部屋は使わないでおこう」
黒羽は一人でそう結論付けるとマグカップに残ったホットミルクを飲み干して立ち上がった。
一緒にヒルダとエイラも立ち上がる。
「ほな、昨日のショッピングモールがええ?それもと市街行く?」
「そんな…昨日も色々遅くまで付き合ってもらったし、悪いよ」
黒羽は一瞬キョトンとするも慌てて断ったが、ヒルダとエイラは首を軽く振ってこう答えた。
「もう友達。せやろ」
「私も」
本当に何気ない言葉だったが、それだけに黒羽は嬉しくなった。