宮之森学園
車からそのままスーツの男性に校長室まで案内された八雲黒羽は、この学園の校長と名乗った朝比奈真澄という女性教諭を前にひどく緊張していた。
朝比奈校長の年齢は40後半くらいだろうか、若いころは美人と言われたであろうその容貌は加齢によって威厳へと昇華され、鋭い眼差しと相まって少々威圧感を感じる。
『ようこそ宮之森学園へ、私たちはあなたを歓迎します』
『八雲黒羽です。よろしくお願いします』
というあいさつからおおよそ20秒ほどの時間が沈黙を保ったまま経過している。
(何かわたし、失礼な事でもした?それとも何か他に言うことがあったかな?)
黒羽にはその沈黙が何からくるものか分からず、かといって話す事もみつからないので、だまって彼女の次の言葉を待っていた。
朝比奈校長はそんな黒羽の緊張などは気にもせずに、そのなんでも見通しそうな鋭い目で黒羽を上から下までゆっくりと眺めると、こう言った。
「八雲さん、荷物はそれだけ?」
「…は、はい!」
予想もしていなかった質問に黒羽は慌てて答えた。
「その…寮には必要最低限のものは揃ってると聞きましたから。重い荷物を持ってくるよりは必要になったものだけこちらで買えばいいかと思って…」
そう伏目がちに言うと、朝比奈校長は少しあきれたような雰囲気で、(それにしても小さなバッグ一つで来た子は初めてね)と小さく呟いた。
「買い物の件は後で案内してくれる生徒に聞きなさい」
そう言って朝比奈校長はまず学園での規則や生活について詳しく話し始めた。
一通りの説明をし、それについての質疑応答も終わると、朝比奈校長は机の引き出しの中からテレビのリモコンのような機械を取り出した。
黒羽が何だろうと疑問に思っていると、朝比奈校長は一番後ろに何かカードを差して表面のボタンをいくつか押すと、彼女の方にそれを差し出す。
「上にある円の真ん中に右手の人差指を置きなさい」
おそるおそる指を機械の上に置くと、ピッと電子音がして先ほど挿入されていたカードが排出された。
「これはあなたのIDカードです。この学園の扉はすべてオートロックで鍵がかかるようになっていますが、これを持っていれば入る事を許可されている建物や部屋のカギは自動で解除されます」
黒羽がカードを受け取ると、そこには [八雲 黒羽:14歳: 中等部 2年8組: D1 306]などといった自分の写真と名前、クラスや寮の部屋番号など色々な情報が書かれていた。
「常に携帯するように。それからもし紛失した場合は事務局にすみやかに届け出なさい」
「わかりました」
見ていたカードから顔を上げると黒羽はそう返事をした。
「はぁ…」
細かな事は案内の生徒から聞くように言われ、そそくさと校長室から退室すると同時に黒羽は大きく息を吐いた。
「あの校長せんせの威圧感ははんぱないから初めてやと緊張したやろ?」
横から突然そう声をかけられる。
少しびっくりして声がした方に顔を向けると、そこには一目で外国人と分かる女の子が立っていた。
栗色に微妙に金の入った髪を肩くらいまでのばし、ふちなしの眼鏡をかけている。
肌は白く、理知的で可憐な美少女といった印象だ。
宮之森学園の制服として指定されているカーディガンの上から腰までの長さの妙な白いマントのようなものを羽織っているのが少々可愛さをスポイルしているようにも感じるが、それを言うなら変な関西弁の方がネックであろう。
「うちはヒルダ・ボールドウィン。今日の案内役や。ちなみにクラスも一緒やからよろしゅうね」
そう言って彼女は右手を差し出してきた。
「よ、よろしくおねがいします…」
黒羽はその妙な格好と変な関西弁に気圧されながらも差し出された右手を軽く握った。
「まぁ、まずはその荷物を置きに寮にいこか」
ヒルダは誰もが見惚れるような極上の笑顔を浮かべると、綺麗な所作で振り返り、おもむろにスタスタと歩き始めた。
校長室から八雲黒羽を下がらせた朝比奈は机上のモニターで彼女の情報を見ながら思案していた。
黒羽は理事長が急遽転入をねじ込んできた生徒だ。
転入にあたって試験すら受けさせていない。
この学園は魔法使いとそれを支援する者達を育てるための学校だが、才能を持つ者は世界中を探しても驚くほど少なかった。
現在魔法使いと言われている者の人数も三桁には届いていない。
つまりはそういう事なのだろうと思う。
だから大切に育てねばならなかった。
朝比奈は先ほどの黒羽の受け答えの様子から少々心のケアが必要だと感じていた。
彼女の調査データを見る限り、本来は明るくて元気な娘のようだ。
案内役に指名したヒルダならうまく対応してくれるだろう。
それにここは魔法使いのための場所だ。
素養のある黒羽なら何かを感じ取っているに違いなかった。
朝比奈はそこまで考えると、黒羽に関する思索は打ち切り、急ぎの案件についてのデータをモニター上にいくつか広げると対応策の指示を入力し始めた。