少女
「えー、すごい。でも、怖くなかったの?」
数日前の会話が頭を過る。話のきっかけはなんだっけ、と記憶を手繰り、友達の一人が「じつはあたしさ~」とちょっとした家出自慢を始めた時のことを思い出した。
夏休みの終わりに三日間、両親との連絡も一切取らなかったらしい。
「怖くなんてないよー、だって友達のうちに泊まってただけだかんねー」
教室の端っこで、わたしは自分の席に座り、その隣に彼女は立っていた。
「お母さんは、やっぱり怒った?」
「そりぁ、もうカンカン。うるさいったらないよね。本当、あんなだからかわいい娘が家出なんて考えちゃうんだよ」
その時の怒り具合を、彼女は会話の中でも「カンカン」を強く強調してジェスチャーを交える。わたしは軽く笑顔を作って、彼女の話にもう一度耳を傾ける素振りを見せた。そんな時、後ろからもう一人の友人が間に入ってきた。ゆっくりと腰を降ろした先はわたしの机の上であった。
「なーに、あんたまた家出すんの?」
「また、お世話になるかも?」
「あぁダメダメ。もううちは勘弁だよ。あんたんところの親とうちの親、二人から叱られたんだからね、うち。だから今度は、……そうね、みゆき! みゆきにパスパス」
「えぇー、わたしも無理だよー」
『薄情者めぇ!』
「あたっ」
「まぁ、もしみゆきが家出する時があったなら、あたしんちに泊めてあげるからねー」
「え、なにそれ。わたしは駄目なのにみゆきはいいの!? ねぇ、ちょっと!」
「そうそう、みゆきー。あいつの寝顔、みるみる?」
「ねぇってば!」
ふいに、頬が緩んだ。頭を擦り、握り締めた切符を改札機に通す。一通の封筒用紙に目を落とした。【東京都足立区✘✘町―✘―✘―✘】書かれた住所を一つ一つ口ずさむ。駅員の表情が僅かに歪んだ。
バスを使って一五分。そこから徒歩十分。見慣れないビル群の下を歩いて、知らない人に道を訪ねて、初めて耳にする単語ばかりで、挙句の果てに見知らぬアパートへと辿り着いた。
都会への第一歩と、あの時の胸のトキメキはどこへ行ってしまったのか、今はただただ足裏が痛い。
小さな門をくぐり、殺風景な庭を抜け、軒下に設けられた集合ポストを一つ一つ見て廻る。ゆっくりと、たった一人の名前を探す。――見つけた! プレートを指でなぞる。二〇三号室。右手の鉄骨階段から二階へと進んだ。
階段口手前から左に二つ越した一部屋。綺麗に畳まれたビニール傘が一本、窓下に寝かせてあった。インターホンのスイッチに指先が触れる。集合ポストで見つけた三桁の数字と目の前の番号を今一度照らし合わせた。
かちりとボタンがはまる。抑えられない胸の高鳴りを強くはっきりと感じた。
小さなランプが青色に点灯すると、機器のスピーカーが懐かしい音を鳴らした。