(3-2)
「なぁ」
「ちょ、ちょっと失敗しただけよっ!」
手のひらに収まるぐらいの、黒っぽい手帳をめくりながら「おっかしいわねぇ。気化魔法は確か……」と呟くすなをを、耕平は、湿った制服を指でつまみながら睨んだ。
「ちょっとぉ~?」
「あ、えと、……その、ちょっとじゃないかも。うん、少し、少しだわっ」
すなをは顔を引きつらせ、上目遣いに耕平を恐る恐る見上げた。
耕平は、びしっとすなをの後ろを指さす。
びくっと首をすくめるすなを。
「あれが、少し?」
耕平は『何事もなければ良かったわ、気をつけてね』と言う、美佐からのメールを確認し、携帯電話を閉じながら、深いため息をついた。
「もうっ、だからっ、ちょっと待っててよ! 今忙しいんだからっ」
左手を耕平の方に突き出し、再び手帳を見るすなをのその態度に、耕平はムッとする。
耕平の指の先に、押し入れがあり、そこを起点に、がれきが耕平の部屋に崩れ落ちている。
がれきが部屋にあるはずがない。第一、数分前には何もなかったのだ。
わざわざ押し入れまで行くこともなく、耕平の位置からも、押し入れの部分の屋根が無くなっており、満天の星空が確認できる。
「あれが、少しかよ!」
耕平は、すっと立ち上がった。
すなをは、息を呑むと両腕で頭をかばうような格好で首をすくめ、ぎゅっと目をつぶる。
「悪かったわっ! 悪かったからっ、その、契約解除だけはっ」
その前に言うことはないのか! と、耕平は、イライラの頂点に達する。
「『悪かったわ』じゃないっ! さっきもそうだけど、全然反省の色が見られない! どういう教育受けてるんだ? こういう時は『ごめんなさい』だろ!」
耕平は、すなをに怒りをぶつけた。
全く、この押し入れ、叔母さんに何て説明すれば良いんだ。
耕平の声に驚いたのか、頭をかばうような格好で身体を縮めるすなをを見ながら、耕平は大きくため息をつく。
一つ、確実に判ったことがある。
すなをは、大山が言うように、誤って転送したコスプレ趣味の高校生じゃなく、悪魔かどうかは知らないが、とにかく、今の一瞬で耕平の部屋の押し入れの屋根を吹き飛ばすだけの特殊能力を持っている少女であると言うこと。
そして、一つ、言えることがある。
耕平が、事実を、すなをと言う少女の事実を、この現実世界から隠し通さなくてはならない義務が発生したと言うこと。
漫画で見たことがあるが、まさか、自分がその主人公になろうとは……。
「まあ、起こってしまったことは仕方ないけど。てか、こんなのありえないし。今日、星占い何位だったっけ……」
せめて、もう少し可愛げがあったなら……。
耕平は、これからやってくる、あまり楽しくない日々を想像し、深いため息をついた。
「なっ、なによっ! 謝ってるのに、そんなに大声上げなくたっていいじゃない!」
腕の隙間から様子を伺っていたすなをが、おもむろに腕を下ろすと、唇を尖らせ大声を上げた。
その態度に、耕平の中で何かが切れた。
……どこまで自分勝手なんだ!
耕平は、一気に頭に血が上り、ドンとすなをを突き飛ばす。
たまらず尻餅をつくすなを。目を丸めて耕平を見上げた。
「もういいよ。出てってくれよ!」
「!」
すなをの顔が、みるみるうちに絶望で満たされていく。
「か解除するの?」
「ああ? いいから、早くっ。出てけっ!」
早く目の前から居なくなれ、と念じながら、耕平はすなをを見下ろす。
「け、契約解除するの?」
青い髪が小刻みに揺れ出す。
そんな姿が、余計に耕平の怒りを誘う。
弱々しい態度で同情を誘い、少し追求を緩めるとつけあがる。
最低な女だ。
もう、その手には乗らないぞ!
耕平は、びしっと押し入れを指さした。
すなをは再び身体を縮め、ぎゅっと目をつぶる。
「何訳の判らないこと言ってるんだよ! 契約解除とか知らないし! ふざけるのもいい加減にしろ! すなをの部屋は隣。ここは、僕の部屋。さっさと自分の部屋に行ってよ。もう、これ以上俺に迷惑かけないでくれる? 宿題だってあるんだし。第一、早く着替えたいし。誰かさんが服乾かしてくれなかったからねっ」
美佐がすなをのために準備してくれた部屋は、天井が無くなった押し入れの向こう側、耕平の部屋の隣なのだ。
ここは、昔修行僧を受け入れていたとき使われていた、長屋になっている。
耕平が高校に進学したときに、美佐が中を掃除して耕平のために用意してくれたのだ。
そして、今日は、すなをのために、美佐が大急ぎで部屋の準備をし、耕平も突然現れた少女に翻弄されながらも気を遣っていたのだ。
感謝の言葉の一つぐらいあっても良いものなのに、押し入れの天井に穴を開けるわ、挙げ句、契約解除がどうとか、意味不明だ。
すなをは目をゆっくりと開けると、何故か、安堵のため息をついた。
「わ、わかったわよ。部屋ねっ。あたしの部屋に行くわよ」
すなをは、くるりと背中を向けると、戸口に向かった。
「出来れば、二度と僕の前に顔を出さないでくれ」
ドアが閉まる音を聞くと、耕平は呟いた。