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〈……ふむ。待てと言われたのは初めてだ。普通の人間なら、事の重大さに気付き、ここで逃げ出すものだが。汝は、我の温情を無にするのか……。よかろう。では、真の対価を示せ〉
少し呆れたような声で、闇が言う。
確かに言う通りかも知れない、しかし、ここまで来て、引き返すわけにはいかない。
だって、命に代えても叶えたい、たった一つの願い事があるのだから。
……命、か。
いざとなったら、命でも構わないが、すなをを救い出すまで待ってくれるか判らない。
耕平は、対価になりそうなものを必死に考える。
……
僅かの後、耕平の表情が緩んだ。
……何だ、対価なんか、最初から決まっていたじゃないか。
たった一つの願い事に、取り戻したいものに、ちょうど等しい対価。
耕平は、その言葉を頭の中で復唱すると、呟くように、しかし、はっきりと言った。
途端、闇が笑った。
いや、笑ったように感じた。
〈面白い事を言う人間だ。……だが、通行料の相場としては、ささやか過ぎるな〉
……だめか!
耕平の身体が、絶望で満たされ始める。
すなをに会えないまま、ここで塩になるのだろうか。
命以外に、解はなかったのだろうか。
〈それにしても、汝の欲する物の何とささやかな事よ。……なるほど、求める物に丁度等しい対価という訳だな。この世の理を正しく理解していると言うことか。しかし、これを認めてしまっては、門としての格が……〉
闇が、思考を重ねていく様子が、耕平に伝わってくる。
身体の至る所から汗が噴き出し、気を失いそうになる。
〈これも時代と言うことか……〉
闇が、ゆっくりと耕平を見た。
〈汝の差し出したその対価、そして、汝が欲する物に、嘘偽りはないな?〉
「他に欲しいものなんて、何もないから!」
耕平は、即答した。
〈気に入った! 確かにその対価受け取ったぞ。……さあ、門は開いた。行くがいい、汝が欲する物が、その対価にふさわしいか、己の目で確かめよ!〉
声と共に、耕平の目が眩む。
グリモアを中心に金銀様々な光線が延び、部屋中が光で満たされる。
光には形があり、それがグリモアから飛び出しては、部室の壁に突き刺さって消えていく。
すごい音がしそうな景色であるが、全くの無音である。
それが、妙に非現実的な感覚を彷彿させる。
と、その光の一部が、耕平の身体を突き抜けた。
耕平の意識の部分に直接入り込む映像。白黒映像のそれが、情報となり、記憶となり、そして、消える。
その中に、歴史の教科書で見た写真と、同じような映像を見つけた。
……そうか!
耕平は気付く。
これは、この世界を形成する、膨大な情報の〈記録〉なんだ。
その任意の情報を手に入れ、実体化することによって、人は、望む物を手に入れられる。
それが、〈門〉。
かつて、あらゆる人間が黄金を求め、開き、生還した者はないと言われている〈門〉。
そんな〈門〉を開く対価として、確かに、人一人の命では、少なすぎるというわけだ。
耕平は理解した。
だが、耕平には自信があった。
自分の差し出した対価と、求めるものの価値は丁度同じはずだと。
番人も言っていたではないか。
「!」
耕平は、その、白黒の世界の中に、現実の色彩を帯びた景色を発見する。
……見つけた!
探しているものがそれだと、本能が告げる。
耕平は、その景色に全ての意識を集中した。
色彩がはっきりしていき、ピントが徐々に合うかのように、映像がくっきりと映し出される。
……すなを!
幾何学模様が描かれた灰色の壁の前を、連行されるすなを。
両脇には、屈強な男が二人。
あの夜の、男達!
後ろ手に手錠をかけられたすなをの姿が、その扱いを示していた。
……やっぱり!
「すなをっ!」
迷うものは何もない。
耕平は、叫ぶ。
失ってしまったものを、取り戻すために。
「すなをーーーっ!」
自分でも驚くほどの声量で、耕平は、叫ぶ。
耕平にとって、今や無くてはならない、ささやかな日常を、取り戻すために。
すなをが、虚空に視線を彷徨わせる。
透き通るような青い髪が、ふわっと揺れた。
……いける!
耕平は、確かな手応えを感じた。
今、まさに、すなをの空間と耕平の空間が、繋がった。
「すなをっ! こっちだ!」
すなをの視線が、耕平を捉えた。
目を見開くすなを。
「コーヘイっ! 何で?」
いくつもの感情が複雑に絡み合った、すなをの声が、耕平の意識に直接飛び込んでくる。
「早くっ! いつまで持つか判らない! ギリギリの対価しか無いんだ!」
耕平は叫んだ。
「しめたっ、〈門〉が開いているぞ!」
耕平の知らない声がした。
「え! まさか、〈門〉を? 何で? コーヘイ! 何て馬鹿なことを!」
すなをは、怒りの表情を浮かべる。
「良いからっ! 怒るなら後でっ! すなをっ! 還ってこい! ここが、すなをの住む世界だろ?」
「でっ、でも……」
「お前の契約者なら、彼なら、〈過ち〉を犯してはいないはずだ。契約者を信じろ! それとも、命を賭して〈門〉を開いた契約者に、恥を掻かせるつもりか!」
すなをは一瞬躊躇したが、再び発せられた第三者の声に頷くと、男を振り切って駆け出した。
「Jesus!」
「Freeze!」
英語だ。そのぐらいの言葉は、耕平にも聞き取れた。
事態を把握した男が、銃を抜きつつ走り寄る。
「すなをっ! 急いでっ!」
「コーヘイ!」
すなをは、不安定な姿勢で耕平に向かって上半身を突き出し、思いっきり床を蹴った。
「すなをっ!」
「コーヘイ!」
ただの映像が、実体化し、同時に、耕平の腕に感覚が発生する。
とても、愛しい感覚が。
耕平は、その感覚を逃さないように、しっかりと抱きとめる。
そのままバランスを崩し、すなをと共に倒れ込んだ。
すなをの体重が、鼓動が、直に感じられ、耕平の下にすなをが還ってきたことを知る。
「すなをっ。大丈夫か?」
すなをは、しゃくり上げながら、耕平の胸の中で何度も頷いた。
そのまま、すなををそっと抱き寄せようとし、
「動くな、そこまでだ。コーヘイ」
少し変な発音で言う黒服の、手の先で鈍く光る物に焦点が合い、耕平は硬直した。




