5ー(3ー1)門
薄暗い室内。
紅い光が、ゆらゆらと空間を照らす。
「やっぱり、無理なのかな」
耕平は、ため息をついた。
蝋燭で出来た六角形のエリアの中央に、二重の同心円が描かれ、幾何学模様が等間隔に描かれている紙が置かれ、その周りでは、短剣や、短い棒のような物や、フックのような物が、ゆらゆらと鈍く光を弾いている。
大山は言っていた。
『儀式に使用する道具は、通販で買った物が部室にある。しかし、この魔法円を描くためのインクだけは、どうしても手に入らないのだ』
つまり、魔法円を正確に描くだけではだめで、定められたインクで、また、描くときのペンも厳密に決められているのだそうだ。
この時代では、それを入手することが出来ず、それ故に、この時代は体裁を保てているのだろう、と大山は、「ルーンと魔術の世界」と言う本を見せながら、耕平に説明した。
それでも、と言う耕平に対し、大山は、机からボールペンを取ると、慣れた手つきでA4の紙に魔法円を描き、耕平に渡した。
恐らく、大山のことだ、過去に何度もやって、成功しなかったのだろう。
「朗報を期待している」とだけ言い、細かい理由を聞かなかった、大山の性格に感謝する。
大山は、個人にどういう思惑があるのか、そう言うことにこだわらない。
相手が必要としている情報を正確に与えるだけ。そう言う性格なのだ。
しかし、いきなり家に押しかけ、「門の開き方を教えて下さい」と言っただけで、よくここまでの情報を与えてくれたものだと、大山の「業界人」らしさに今更ながら感心する。
「我、番人の名に於いて、門を開かん!」
……
ジジ、と蝋燭の炎が揺れる。
「……だめか。そりゃ、魔法円が本物じゃないんだから、仕方ないよな」
もしかして、大山に本当のことを言ったら、更に有力な情報を得られるのかも知れない。
だけど、このことを人に言うわけにはいかない。
すなをが本物の悪魔であったと言うことも、言うわけにはいかない。
すなをがさらわれた、その責任は契約者である耕平にあり、それは、耕平とすなをの世界の問題なのだから。
そんな事を、皆の日常に持ち込んではいけないと思うから。
それにしても、その世界で行動するには、耕平は、その世界に疎すぎた。
「もともと、悪魔と契約する資格など、僕には無かったのに。何で……」
そんな耕平との契約のために、すなをは危険な目に遭っているのだ。
本当は、もっと悪魔を活かせる、有能な人間のところに行くはずだったのかもしれないのに、面白半分に呼び出して……。
すなをに、悪魔に釣り合うような人間でもないのに、あれこれ行動に口出しして、彼女の行動の意味すら理解できずに、挙句、追い込んでしまった。
そして、そんなすなをを助け出す事すらできない。
……なにが、「すなをを守る事が出来なくなる」、だ。
唯一の理解者ぶって、すなをにそう言った場面を思い出し、自分が嫌になる。
自虐的な笑みを浮かべ、耕平は机の上に置かれたグリモアに手を置く。
「ははっ、そもそも、これがグリモアだなんて知らなかったもんな~。そうか、契約している今なら行けるかも。『契約者の名の下に命ずる。出でよ、炎っ』……なーんて、そんな事出来――」
耕平は、呟くようにそう言い、再び、蝋燭に囲まれた魔法円に視線を移しかけ、
「えっ?」
一瞬、目の前の出来事について行けず、耕平は、状況の理解に努める。
グリモアの上に突如として発生した炎。
「まじか!」
耕平に応えるかのように、グリモアから一センチぐらい上で青白い炎がゆらゆらと揺れた。
耕平は、慌ただしく鞄から『悪魔の辞典』を取り出すと、ページをめくる。
あの日、すなをが現れた日の前日に、大山から借りた物だ。
「なるほど……」
耕平は、呼吸を整えると、
「魔法解除!」
と叫ぶ。
耕平の言葉に反応し、炎が消えた。
「――そうかっ!」
耕平に魔法を発動する力などあるはずがない。今の現象は、グリモアを通して、すなをの力が発動したのだ。
間違いない!
今、まだ、このグリモアは、すなをと繋がっている。
きっと、この先にすなをがいる!
耕平は確信した。
「ふふっ、何で気付かなかったのかな」
耕平は、疲れたような目で、グリモアを開いた。
程なくして、大山が描いてくれたものと同じ魔法円が描かれたページにたどり着く。
今まで、開くことなど無かったのだが、言われてみれば、グリモアは、悪魔を扱うための手順書だったはずだ。
そして、これは〈本物〉。
「すなを……」
呟きながら、耕平は、グリモアを蝋燭の中心に置き、急に愛おしくなって、魔法円を手で撫でる。
瞬間、耕平の周りで空気の流れが止まった。
同時に、音も光も耕平の感覚から奪われた。
前後左右も判らなくなり、闇の中に浮いているような感覚に陥った。
「――!」
その、何もないはずの闇が、こちらを見た。
見た、と言う表現はおかしいが、確かに何らかの意思が耕平にぶつかってくる、その〈存在〉がはっきりと感じられた。
〈汝、如何なる資格を持って門を開けようと欲す〉
ドクン、と耕平の奥底で脈打つ、何か。
まるで、身体全体から直接染み込んでくるような、低く、しかし、威圧感のある声。
〈汝、如何なる資格を持って門を開けようと欲す〉
再び、耕平の中に、声が入ってくる。
「わ、我、耕平は悪魔すなをとの契約者だ」
〈……〉
沈黙。
額に、ねっとりとした感覚を感じる。
鼓動が速くなっていく。
今、自分は、〈本物〉と遭遇している。耕平は理解した。
つまり、限りなく、危険領域に近い、その境界線を踏み越えようとしていると言うこと。
今までの、日常の延長線上にある『本物ごっこ』に興じていたのとは訳が違うのだ。
こういうとき、恐怖こそが最大の敵だと言うことを、大山に聞いたことがある。
自らの闇に呑み込まれたら、命はないと。
〈……確認した〉
若干の驚きを含む声。
耕平の鼓動は頂点を超えようとしている。
〈では、如何なる目的を持って門を開けようと欲するか?〉
次第に大きくなっていく圧迫感に、耕平は目眩をもよおす。
すなをの顔を思い浮かべ、耕平は、歯を食いしばった。
「た大切な物を、取り戻しに」
闇が揺れた。
〈……ふむ〉
ここで、耕平は、呼吸を整える。
〈では、如何なる対価を持って、ここを通過するのか?〉
「たっ、対価?」
そりゃそうだ。
しかし、ここに来て、耕平は、すなをを連れ戻すこと以外何も考えていなかった事に気付き、全身の毛穴から汗が噴き出す。
〈……特に無いなら、汝の命を持って対価とせよ。クク、命が一つしかない下等動物には出来まい。ならば、汝に通行の資格は――〉
最初から判っていたさと言わんばかりの、あざ笑うような意思が耕平にぶつかってくる。
「待ってくれ!」
耕平は、反射的に叫んだ。




