4-(3)先輩
肩を持ち上げられるような感覚に、耕平は目を開ける。
ぼんやりとした視界が徐々に鮮明さを取り戻し、それが、月光に照らされた道路だと判る。
身体が上下に揺さぶられ、その道路がゆっくりと動いていく。
動いていく?
「すなをっ?」
意識が完全に覚醒し、耕平は弾かれたように顔を上げた。
ふわっと甘い香りが鼻腔をくすぐるが、すなをの物とは違う。
「気が付きました?」
耳元でする、張りのある少女の声。
動きが止まった。
視線を移すと、高山学園の制服、ついで、その少女の顔が飛び込んでくる。
黒髪をポニーテールにしている少女は、無表情に耕平を見下ろしていた。
「自分で立てますか?」
耕平が頷くと、少女はため息をつき、バランスを取りながら、耕平の脇から肩を外した。
「おっ……」
思うように力が入らず、少女の方に倒れ込む。
「ほらっ、しっかりしてくださいよ~」
少女は、さっと耕平の腕を掴むと、再び立たせた。
耕平は、こんどこそは自分の足で立ち、少女の顔を見た。
少女の表情が緩んでいき、笑顔を浮かべた。
「ねっ? コーヘイ、さんっ」
「――っ!」
その言葉に、意図せず耕平の目から大粒の涙が溢れだす。
最悪の別れだ。
今朝からの出来事が、走馬燈のように耕平の脳裏に次々に映し出される。
特に、最後の場面。
売り言葉に買い言葉、なのか?
『下等動物』
鼓動が速くなる。
耕平に対し、何の感情も示さない表情で、すなをはそう言った。
結局、今まで耕平に対し媚びていたのは、悪魔としての目的があったから。
そう言うことだったのだろう。
自分も問題だ。と、耕平は思う。
衝動的とはいえ、一度はグリモアを燃やそうとした。
つまり、お互いの信頼関係は、その時点で崩れているのだ。
信頼関係?
そんなもの、元々あったのだろうか?
すなをの態度を拡大解釈し、自分で勝手に浮かれていただけではないだろうか?
悪魔と人間との契約関係なのだ。その先は、あり得なかったのだ。
それを勘違いし、そして、近しいと思っていたからこその、苛立ち。
……すなをなら、解ってくれてると思っていたのに
お互いの距離を保っていれば、絶対に口から出ることはなかった、失言。
でも、すなをからの距離は、耕平のそれとは同期していなかったのだろう。
だから、その失言が、単なる中傷になり、取り返しの付かない溝を生み、愛想を尽かしたすなをは、耕平の下を離れることにしたのだろう。
すべて、手遅れ。時計の針は戻らない。
「先輩?」
少女の声に、耕平はハッとなる。
慌てて両目を拭い、歪む視界に少女を捉えた。
……しまった、女の子の前で、みっともない。
夜風が通り抜け、頬がひんやりとする。
少女は、困ったような顔で耕平を見下ろしていた。
どうやら、耕平より数センチ身長が高いようだ。
「……何があったか知らないですけど、すなをには、すなをの事情があったと思うんですよね。あの子、真っ直ぐ過ぎて、……不器用な生き方しか出来ないから、本人は一生懸命でも、相手に誤解を与えちゃうんですよ。でも、あの子の事だから、すべての行動は、多分、先輩のためだったんじゃないかな~って」
少女は、肩に掛けている鞄のストラップを重そうに掛け直すと、遠い目をした。
ドクン、と耕平の心臓が脈打つ。
目の前の少女の発してきた言葉が、フラッシュバックする。
「君は、誰?」
耕平は、冷静に考えれば、目の前の少女こそが、この場に最も不釣り合いだと気付く。
少女は笑った。
「ふふっ、その言い方、ありえないし~。ははーん。そんなだから、すなをもカチンと来るわけですね~。あたしは、作本葵、先輩と同じ学校の一年生ですよ? 葵って呼んで下さいねっ」
胸の名札を見せながら、葵。
「あおい……さん? すなをを、何故知っているの?」
「ちゃんで良いですよ~。えっと、どう言ったらいいのかな……。部活の時にたまたま見学に来ていて、それだけの知り合いですけどね」
「にしては、葵ち……さん『すなをの生き方』とか、やけにすなをに詳しいよね」
耕平の追求に、葵は、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「リアルに『葵ちゃん』で良いですって。それより、先輩は、女の子を知らなすぎですよ? そういうことは、女の子なら、ちょっと見れば解っちゃうんです。ちなみに、先輩の事は、すなをから聞きましたよ」
どうして自分の名前を? と言う質問は呑み込んだ。
思い出した。
今は学校帰り、おまけに胸の名札には『浅倉耕平』と表示されている。
「葵ちゃんは、どうしてここに?」
「ふふっ、ホント先輩達お似合いかもですね~。すなをと全く同じ台詞だし」
葵は、クスクス笑うと、表情を改める。
「あたしの家はこの近くなんです。っで、騒がしかったから、様子見に来たんですよ」
なるほど、全て理屈は通っている。
大方、葵が偶然その場を目撃して、道路で倒れている耕平を助けてくれたのだろう。
「ご、ごめん。疑って。何て言うか、……色々あって。ありがとう。助けてくれたんだよね?」
「いいですって、これも何かのご縁です。他の人なら生ゴミ置き場に捨てていこうと思ったんですけど、すなをの彼氏なら、雑には扱えませんし」
おどけて言う葵に、耕平は笑おうとしたが、失敗する。
「何ですか~、その顔は、もしかして喧嘩でもしたんですか? なら、さっさと謝って仲直りしちゃえば問題無しですよ?」
「うん、でも……」
耕平は、続く言葉を探すが、見当たらない。
葵は知らないのだ。耕平達が、既に取り返しの付かない領域にいると言うことを。
人間同士の諍いではなく、悪魔と人間との関係。
再び葵は、困ったような表情を浮かべ、小さくため息をつくと、腰を下ろした。
「まだ、……間に合うと思うんですよね。信じていれば。でも、それは、先輩次第……かな?」
鞄をごそごそやりながら、葵。
「えっ?」
謎めいた言葉に、耕平は葵をまじまじと見る。
「……そろそろ時間かな?」
しかし、葵は答えず、携帯電話を眺めながら呟くと、耕平を見上げた。
「そう言えば、先輩、頭痛くないですか?」
「え? あ、うん」
言われてみれば、鈍い痛みが押し寄せている。
先ほど、殴られたせいだろう。
葵は笑うと、鞄から何かを取り出した。
「やっぱり~。何か痛そうにしてたから。これ、あたしの常備薬。頭痛薬です。どうぞ」
言うと、耕平の腕を取り、手のひらに白い錠剤を乗せる。
「知らない頭痛薬だね。プロプラ……?」
耕平が、紙袋の文字を読み上げ始めると、葵は、さっと鞄にしまい、今度は、小さなペットボトルを取り出し、カチリと開けた。こちらはよく見るミネラルウォーター。
「はい、口付けてないから、心配しないでくださいね」
「えらく準備が良いね」
「ふふっ、気遣いがあたしのモットーですから。……あっ、あたしに惚れちゃ駄目ですよ? さあ。手が重いです、先輩」
葵は、真っ直ぐ耕平を見上げ、悪戯っぽく笑った。
随所にちりばめられる冗談に、耕平の中での警戒心は完全に解けていた。
耕平は吹き出すと、頷き、錠剤を口に放り込んだ。
「いいですか? これ、すっごく良く効く薬なので、真っ直ぐ家に帰って、すぐに寝て下さいね?」
葵は、耕平が薬を飲み込むのを確認すると、口の端を上げた。




