(1-3)
気付けば、雨が上がっている。
しかし、相変わらず外が薄暗いのが、日が暮れてきたからなのか、厚い雲に太陽光が遮られているからなのか分からない。
「いや、私の家は無理だ。何せ高層住宅で、ペット・楽器禁止だからな」
大山が、大げさに手を振る。
「あ、あたしの家だって、ハンナがいるし、これ以上は無理ですよ?」
「ハンナって、ああ、ゴールデンリトリバーのかい?」
「コーギーです! ……先輩、その適当な性格、そろそろ治した方が良いと思いますけど?」
「どっちも同じ大型犬じゃないか」とぶつぶつ言う大山を睨むほのか。
「あの~、お二人とも、ペット扱いですか? あの子」
同い年か一つ下ぐらいであろうか、先ほどから黙り込んで床を見つめている少女をちらりと見、耕平が突っ込む。表情は確認できないが、絶対に怒っているに違いない。
「そうだっ。浅倉君の家は広かったよな。どうだ?」
「そうよ、耕平の家で引き取ればいいじゃん。決っまり~」
「ちょっ、待って下さいよっ! 二人とも、普段仲悪いくせに、なんでこう言う時だけ意見が一致するんですか?」
笑みを浮かべる大山、ほのかに、耕平が慌てて反論する。
「ほら、あの子、ああ見えて、黙っていると、なかなか可愛いじゃないか」
「なっ、何言い出すんですか! 先輩!」
「そうよ、堅いこと言わずに、ほら、どうせ、身元が分かるまでの間だから。ねっ?」
ほのかが、今にも吹き出しそうな顔で、小首を傾げる。
「『ねっ?』って。だから、そう言う問題じゃなくって……」
「そうだぞ? 浅倉君。心配しなくても、ちゃんと今晩捜索願が出ていないか、確認しておくから。幸い、日本語喋ってるし。……第一、浅倉君が呼び出したって設定になってるしね」
大山は、ちら、と、耕平の左手で握られた〈グリモア〉を見る。
「だ~か~ら~! 僕だって嫌ですよ! あんな訳の分からない子。引き取れるわけ無いじゃないです――」
完全に劣勢になり、しどろもどろになりながら反撃していた耕平は、慌てて言葉を呑み込む。
「……っ、あた……っ、あたしだ……て、好きでこんな所……、あたしだから、……めって言うの? 大体、あんたが……っ、勝手……呼び……じゃないのよっ!」
耕平の視線の先で、うつむいたまま、しゃくり上げる少女。透き通るような青い髪が小刻みに震え、光る筋が頬を伝う。
「……いや、……だから、その……」
ばつの悪そうな顔をし、耕平は口を閉ざした。
「泣かせたな。浅倉君」
「泣かせちゃったわね。ひどいわ。耕平」
「ちょっ! 僕ですかぁ?」
「だって、あたしはハンナがいるって言っただけよ? あの子のことは言ってないわ」
ほのかが、意地の悪い笑みを耕平に向けた。
「そうだ。浅倉君。私も楽器とペットが禁止だという、住宅事情を説明しただけで、あの子のことについては言及していないぞ?」
「ひどい。ひどすぎる……」
耕平は、泣いている自称悪魔の少女よりも、目の前の二人の方が、よっぽど悪魔らしいと思った。
「ま、そういうことで……」
ぽんっ、と、大山が耕平の肩を叩く。
「いや、何が『そう言うこと』なのか、さっぱりなんですけど……」
「ほら、男らしくないわね」
再び、ぽんっと耕平の肩が叩かれる。これはほのか。
「だから、何でこういう時だけ二人は……、もう良いです。はいはい、どうせ僕が悪いんです」
こうなったら何を言っても無駄だ。
耕平がぼやく様子を、にこやかな顔で見ていたほのかは、ちらりと携帯電話を見ると、「あっ」、と声を上げた。
「大変! もうこんな時間だわ。ママに今日は早く帰るって言ってたのに……」
言うが早いか、ほのかは、慌てて鞄に書類を詰め込む。
「おお、もうこんな時間か!」
大山も携帯電話を開くと、大げさに驚く。
「あの~、まだ解決していない問題があるような気がして止まないんですけど……」
と言う耕平に、大山は、ああと頷き、
「そうだっ、浅倉君、これ、フー・ファイターの最新ビデオクリップ。昨日五本ぐらいダウンロードしておいたから、ちょっと見といてくれない? なかなかのレアものだと思うよ? 限りなく本物の疑いありだ」
ポケットから、細長い黒色のUSBメモリーを取り出すと、耕平に差し出した。
「えっ? またアップされていたんですか? やった! 今夜の楽しみが出来ました」
耕平は目を輝かせると、大山からメモリーを受け取る。
「じゃあ、それ、残業手当ね」
「え?」
「耕平。また明日ね。見過ぎて寝坊するんじゃないわよ?」
「うん、またね。……って、え?」
目の前の展開について行けない耕平を尻目に、大山とほのかは部室を後にした。
ピシャン、と引き戸の閉まる音で我に返った耕平は、恐る恐る後ろを振り向く。
「そりゃ、いるよなぁ……」
先ほどと変わらず、下を向いたままの少女。
耕平は、ため息をつくと、「まあ、こうなる運命だったんだな」と自分に言い聞かせ、考え得る精一杯の笑顔を作った。
「あのさ、……色々あったけど。僕の所に来る事になったみたいだから……、もう泣かないで? ね?」
少女は、ゆっくりと顔を上げ、さっと目尻を拭うと耕平を睨み付けた。
「あなたが契約者なんだから、当たり前じゃない。そ、それに、泣いてなんかいないし」
「可愛くねっ!」と心の中で叫びながら、しかし、耕平は、不思議と、少女から先ほどのような悪意を感じなかった。むしろ、目の前の少女は、どことなく、ホッとしているように見えた。