(1-2)
相変わらず、外の雨足は弱まる気配を見せない。
「おかしいなぁ、条件は全てそろっているはず」
「だから、それ、本物じゃないって事でしょ?」
「いや、そんなことはないはずだが」
「先輩のその根拠の無い自信がどこから来るのか、今度その件について研究してみてはいかがですか? ……ちょっ、やだ! てか、耕平、ビデオ止めて!」
机の脇で言い合いをしている大山とほのかをぼんやりと見ながら、耕平は、大山とほのかのバトルを記録していたビデオカメラの電源を切りつつ考え込む。
赤いLEDの光が消えたことを確認し、再びほのかは大山に食ってかかる。
「……呪文が違っているって事ですよね」
『だから、魔法じゃないって!』
口論を中断し、突っ込む大山とほのか。
「おお、初めて二人の意見が一致し――」
耕平が感嘆の声を上げるが、ほのかに睨まれ、慌てて口を閉ざす。
再び、大山とほのかの間に火花が散る。
「それか、長いこと使われていなかったから、機能を忘れているのかも……。昨日先輩が貸してくれた悪魔の本に書いてありましたし」
確かに、机の上の本は、あり得ないぐらい黒ずんでおり、所々にシミが付いている。
かなり長い間、河原に落ちていたのだろうか。
「浅倉君! ナイス・サジェスチョン! それは正しいかも知れないぞ? ちょっと待って……」
大山は、耕平をビシッと指差すと、慌ただしく、棚からライターを取り出した。
キャンプでよく使う、先端が千度ぐらいまで上がるタイプだ。
大山がトリガーを握ると、チッチッチッというスパーク音と共に、ガスが勢いよく吹き出す音についで、青白い炎が薄暗い室内を照らす。
大山はその炎を注意深く本に近づけていき――
ガタン
見守る耕平の目の前で、突然大山が吹っ飛ばされ、ライターを取り落とし、尻餅をついた。
「だ・か・らっ! ママのだって言ってるでしょっ! 炎を出すのに火ぃ付けてたら、世話無いわっ!」
耕平が声の方を向くと、右手でネックレスを取り上げ、左手を突き出すような格好で、ほのかが大山に怒りをぶつけている。
「いや、だから、呼び水だよ呼び水」
揺れるネックレスを目で追いながら顔を引きつらせる大山に、めいっぱい冷たい視線を浴びせると、「やってらんないわ」と吐き捨て、ほのかは大山に背を向けた。
「あっ、そうだっ! 確か……」
ここで、耕平がポンと手を打つと、
「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は、……えっと、求め訴えたり、……じゃない、あ、そうだ、我、耕平は、汝との契約を求めんと欲す。我の呼びかけに応えよ。そしてっ、我と共に歩め。……いでよっ! 悪魔あぁっ!」
と叫び、仰々しく両手で本を持ち上げた。
「……」
「……」
「……」
再び、室内が雨音で満たされる。
「……あれ? 悪魔の本に書いてあった通りやったのに、やっぱり違うかなぁ」
耕平は、少し顔を赤らめながら、本を机に戻す。
「な~にが、『やっぱり違うかなぁ』よ。大体、悪魔とか関係ないし! ま――」
「漫画の見過ぎ!」と言おうとしたほのかが、「ま」の口のまま、硬直する。
テレながらほのかを見ていた耕平も、硬直するほのかの視線を追い、その動作が止まった。
耕平がたった今机に戻した本がうっすらと燐光を放ち、その光が波紋のようにゆっくりと円状に広がっていく。
刹那、本を起点に、青白い閃光が室内を満たし、思わず、三人は目をつぶった。
何分? 何秒? いや、実際には僅かの間だったのだろう。耕平、ほのかが恐る恐る目を開けると、光が収まった机の脇に、肩まで伸びる青い髪、全身が紺色で統一された服、腰の辺りには、熊? の形をしたアクセサリーをあしらえ、焦げ茶色のショートブーツを履いた、どう見ても少女そのものの姿をした者が、目を閉じ、佇んでいた。
「な……」
目の前で起こっていることに思考が追いつかず、言葉の続きが出ない耕平。
少女が、ゆっくりを目を開け、その黒い瞳で、ぼんやりとした視線を室内に送ると、きょとんとした目つきになった。
「へ? え? あれ? 何で?」
やや膨らみのある、幼さを感じさせる顔で、間抜けな声を出す少女。しかし、それもつかの間で、少女の視線が三人を捉え、焦点が合った瞬間、目つきが鋭くなる。
「私を呼び出したのは、誰?」
少女は、うって変わって凛とした声を出し、完全に逃げ腰の耕平、相変わらず硬直しているほのか、口をぽかんと開けたままの大山を、順に睨み付けた。
「君は……誰?」
三人の中で、一番早く思考回路が復活したらしい耕平が少女に声をかける。
「あたしの質問に答えてよ! 私を呼び出したのは、誰?」
しかし、少女は鋭い視線を耕平に向けると、苛立たしげに再び同じ言葉を繰り返した。
「いや、呼んでない。すまない。何かの手違いだ。我々は、波動の書で炎を出す実験をしていたのだが、間違って空間転送のページを開いていたようだ」
「初めて聞いたわ、そんな話」
と、突っ込むほのかを尻目に、大山は言い訳を続ける。
「君が、どこに住んでいたのか知らないが、その件については――」
「だからっ! あたしを呼び出したのは誰? って聞いてるでしょっ!」
大山の言葉を遮り、大きめの瞳を細め、怒りを爆発させる少女。「しょっ!」の所で、青い髪が揺れる。
大山とほのかが、ゆっくりと耕平を指さした。
「ちょっ!」
息を呑み、抗議する耕平に、大山とほのかは穏やかな笑みを向ける。
「……多分、僕って事になると思うけど」
生け贄確定に、絶望を感じながら、耕平。
「あんた名前は? 呼び出しておいて、名乗るのが礼儀でしょ?」
「そっちこそ……」と言いかけたが、少女に睨まれ、耕平は小さくため息をついた。
「耕平。浅倉耕平だけど」
「コー……ヘイ? ふん、面白味のない名前ね」
「面白い名前があってたまるかよ」
このやりとりで、耕平の中での少女の評価が「最低」になった。
ふてくされる耕平をぞんざいに見下ろし、少女は、右手でさっと髪をかき上げると、
「まあ、いいわ。それ、持ちなさいよ」
と、机の上の本を指さす。
ペースに呑まれ、本に手を差し出す耕平。
「危ないっ! 耕平!」
ほのかが叫び、耕平は、慌てて手を引っ込める。
「何が危ないの? グリモアは、悪魔を呼び出した契約者が持つものでしょ?」
少女が指先をほのかに向け、睨む。
「グリモア? 悪魔?」
負けじと睨み返し、「指ささないでよ、少女A」とぶつぶつ言うほのかの前で、オウム返しの耕平。
「何? まさか知らずに使ったの? これだから人間は……」
少女はやれやれといった感じで首を横に振ると、再び本を指差した。
「とにかく、ほら、早く取りなさいよ。コーヘイ。あんたが契約者なんでしょ?」
「あ、うん」
「いきなり呼び捨てぇ? てか、耕平、あんたも何か言い返しなさいよっ!」
両手を腰に当て少女を睨み付けながら突っ込むほのかの前で、耕平は、どうして良いのか判らず、ちらりと大山を見上げ、大山が頷くと、本を手に取った。一瞬、本が青白く光ったような気がしたが、耕平が改めて本を見直したときには、ただの黒ずんだ本に戻っていた。
「グリモア……そうか!」
ぶつぶつと呟いていた大山が、突然嬉々とした表情になり、勢いよく顔を上げた。
「すばらしい! 君は、素質があるぞ! 一つの設定に忠実な役作り! つい本物かと引き込まれるところだった。嘆かわしいことに、グリモアを知っている女子など、ほとんどいないこのご時世に……」
「時代のせいじゃ無くって、単にマニアックすぎるだけよ」
ほのかが後ろでため息をつく。
対して構わず、大山は、アメリカ映画でするような、おどけたポーズを取り、
「ただ、残念なことに、観客が悪かったようだ。我々は、魔法や悪魔を否定するわけではないが、それ以上に、地に足の着いた超科学現象を研究しているのだよ。そして、その本は、我々の調査で、既に波動の書だと解明されている」
「解明されている割には、全く発動出来なかったんですけど」と言う、ほのかの突っ込みを無視し、
「とにかくっ、どこの学校の生徒か知らないが、実は、君にうってつけの部活が本学園にはある。是非、コスプレ研へ! あ、私の彼女が部長やってるから、君なら絶対に入れる。私が保証するよ」
と、片膝をつくと、中世の貴族がするようなポーズをし、恭しく右手を差し出した。
「何がうってつけなのか意味不明だし。どうせ、あゆみに『誰か勧誘してこないと絶好よ』とか言われてるんでしょ! 馬鹿っ」
「な、何言い出すんですか、先輩! そんなこと出来るわけ無いじゃないですかっ」
これは耕平。
「浅倉君。心配には及ばない。この学園の規則では、部活動に限り、学園外の生徒でも、許可が有れば参加出来ることになっている」
「いや、そう言うこと言ってるんじゃ無くってですね、それよりも……」
「ねぇ、あなた、どこから来たの? あなたは誰? 高校生よね? ……あ、私は神崎ほのか。ほのかで良いわ。このアホ先輩は大山鉄。認めたくないけど、私達超自然科学研究部の部長だわ。因みに、ここは高山学園って言う、高校よ? よろしく……って言っても、仲良くなれそうにないわね」
半眼でほのかを睨み付ける少女に、ほのかは曖昧な笑みを浮かべる。
「あんた達、悪魔を面白半分に呼び出しておいて、ただで済むと思うの?」
少女が威嚇すると、「まだ言ってるよ。先輩と良い勝負だわ」と口の中で呟き、ほのかは、意地の悪い笑みを少女に向けた。
「まあ、もし、あなたが悪魔だとして、あれは……」
ちらりと、耕平の手の中の本を見、
「グリモアよね?」
「何を今更」とため息をつく少女に対し、ほのかは一呼吸置くと、
「……あたしの知識では、グリモアは、契約者が悪魔を呼び出すために持っている物で、それは、とても大切に保管されているはずよ? だって、せっかく手に入れた悪魔を、人に渡したくないものね。それが、河原に落ちていたなんて事があるのかしら? 万が一、あなたの言っていることが本当なら、あなたは捨てられた悪魔って事になるわね」
と言い、「まあ、漫画で読んだ知識だけどね」と、呟いた。
何を思ったか、少女は息を呑み、頬を紅潮させると、下を向いた。
「うん。神崎君、そう言う質問は想定外だったようだな。だけど、コスプレで、現実を持ち出して設定の是非を問う質問はルール違反だ」
耕平が心配そうに少女を見つめる傍ら、大山は、ぽつりと呟いた。