(4-3)
「!」
思わず、バランスを崩し、耕平はすなをの上に倒れ込む。
ふわっと甘い香りが立ち上り、耕平を包み込んだ。
硬直する耕平。
すなをは、もう離さないと言わんばかりの、渾身の力を込め、耕平に抱きつく。
少し高めの体温が直に伝わり、激しい鼓動が、やや弾力のある部分から感じられる。
「契約解除だけはっ。もう十二回失敗して、今度っ、契約解除されたら終わりなの!」
胸の中でしゃくり上げるすなを。
耕平は、本能的に、両手ですなをの肩を抱きしめた。
すなをに何があったか、どういう経緯でここに来たのか。これから何をしようとしているか、そんなことは、耕平には解らない。
だけど、ただ一つ確実に判ることがある。
目の前の少女を、これ以上泣かせてはいけないということだ。
「大丈夫、大丈夫だから。契約解除とかしないし」
すなをの耳元で、耕平は囁く。
「嘘っ。……あたし、また失敗しちゃったし。いつだってそうだもん。あたし、もう嫌だって言って……、でも、先生が……って、だから、一生懸命……頑張ってるのに……」
震える声でそう言い、嗚咽を漏らすすなを。
耕平は、いたたまれなくなり、すなをの髪をそっと撫でた。
「本当だって。終わったことはもう良いって」
すなをの震えは止まらない。
泣いているせいと言うわけではなく、言うならば、恐怖に曝された子供のような。
「皆、幸せそうなのに、……あたしだけ。こんなこと続くなら、もう……消えた方がましなのに、でも、頑張れって言うから……あたし、……頑張って……のに」
再び泣き出すすなを。
耕平は、その台詞に何かを感じ、小さく息を吐くと、ポンポンと軽くすなをの背中を叩いた。
「消えた方がましなんて、そんなこと言わないでよ。過去に何があったか知らないけど、もし、すなをが今までずっと辛い思いをしてきたのなら、それは、……たまたま、幸せの順番がまだってだけなんじゃないかな」
「?」
すなをは、顔を動かす。
「誰にだって幸せになる権利があるんだ。叔母さんが言ってたけどさ、一生分の幸せの量って、みんな平等になってるんだよ。だから、これからすなをは幸せになる。今度は、すなをが幸せになる番。僕が保証するよ」
耕平は、微笑んだ。学校の時とは違う、心からの笑みで。
幼い頃に突然両親を亡くした。
それ以来、耕平にとってこの世界は、淡い色で塗られた無機質な空間だった。
何で自分だけ、と泣く耕平に、美佐も一緒に泣きながら、いつもそう言ったのだ。
もっとも、現時点で、耕平はまだ、一生分の幸せを感じられそうな出来事に遭遇してはいないが……。
「コーヘイ……」
耳元でする震えるすなをの声。表情は見えないが、何かが通じた気がする。
わかり合えない関係と思っていたけど、少し距離が縮まった。そんな気がする。
冷静に考えれば、河原で拾った本を、大山やほのかとおもしろ半分に研究し、そのなんたるかも知らないままに、いわば、耕平達の身勝手ですなををこの世界に呼び出したのだ。
今までの態度は、慣れない世界で自分のアイデンティティを守るために、精一杯の虚勢を張っていたのだろうか。
「すなをにとって、契約解除されるのが不幸だって言うなら、僕は、絶対契約解除なんかしない。もし、帰る所が無いのなら、ここがすなをの居場所だよ」
自分がその力になれるのなら、この少女を守ってやろう。何故か、それが当然かのごとく、耕平は思った。
自分の境遇に、この少女を重ねたのかもしれない。
「ここが、あたしの居場所?」
すなをは、耳元で呟く。
「うん。すなをが帰れる日まで、ここがすなをの家だと思って良いよ。今まで住んで居た所とは違う、不幸な事なんか無い、ここが、すなをの住む世界だよ」
「あたしの居場所……、あたしの家、ここが……あたしの住む世界」
すなをは、何かとても懐かしい響きを感じ、感慨深げにそう言った。
「うん。だから、もう泣かないで?」
「ねえ、本当?」
すなをは、身体を動かすと、耕平をじっと見つめた。
窓から差し込む月の光が、すなをの頬を伝う幾筋もの涙を照らす。
「うん?」
「本当の本当? 本当に、ここにいても良いの? コーヘイは、契約解除しない?」
学校から帰ってきた時とはうって変わって弱々しい声。
「うん。しない。大体さ、僕は、契約解除の仕方なんて知らないし」
……いつ契約解除されるのかと、ずっと不安だったんだな。
耕平は、すなをに笑いかけた。
すなをは目を伏せる。
「簡単よ。グリモアを燃やすだけよ」
「へぇ、そうなんだ」
耕平の何気ない呟きに、すなをは、はっと息を呑む。
「だだだだ、だけどっ! そのっ……、けっ、契約解除には、……だから、ちゃんとした理由がねっ。……そっ、そりゃ、今日のはその理由になるかも知れない――、あっ、違っ……、そうじゃなくって、でもでもでもっ」
必死に言い繕うすなをが可愛くなり、耕平は、思わず吹き出した。
「フフフ、心配しなくても、契約解除しようなんて考えてないから。言ったでしょ?」
根は悪い子じゃないんだ。
すなをとなら、時間はかかるかも知れないけど、解り合える日が来るかもしれない。
……根拠はないけど。
「よかったぁ~」
耕平の言葉に、すなをの力が抜けていく。
耕平は頷いた。




