香子さん
拘りのオムライスが自分の分を含めて二人前が完成した。
さっきは葛川さんに制されてオムライスに体するウンチクは途中で阻止されたが、俺の拘りはそれだけではない。
卵の下のケチャップライスにこそ、その拘りは活きている。
味付けはケチャップのみ、それ以外は一切の調味料は使わない。
これは、パスタでナポリタンを作るときにも同じ事が言えるのだが、敢えてケチャップだけであることが、最も重要なポイントなのであり……。
「まだですか?」
皆様もご周知かと存じますが、只今葛川様より催促がありました。オムライス愛好家の皆様、次いつお目にかかれるのかはわかませんが、またその日が来ることを信じて一旦さようなら。
「出来ました!」
早速皿に盛りつけてテーブルに運ぶ。
「温かいうちにどうぞ」
そう告げると、葛川さんはニッコリ笑って食べ始めた。
続いて自分も今日初めての食事にありつく。
15分後、二人共完食。
「如何でしたか?」
自信作だ、間違いない。
「この味を私の好きな味として設定しておきます」
褒めているのか?
「現状の私個体としての感想を述べさせて頂けるのであれば、二点あります。一つ目は味付け。これについては十分なレベルにあると思います。『葛川』の好物がこのオムライスであることを幸運だとさえ思います。二つ目は見た目。私の設定にも『オムライス』としか書いていなかったので詳細はわかりかねますが、何か足りない気がします。卵にかかったケチャップによるメッセージが何らなかったことが原因かもしれません」
するってぇとあれか? メイドカフェみたいにハートマークでも入れろってか?
「具体的には何を書けば良かったんだ?」
直接聞かないことには、この件については解決策は見出だせない気がする。
「具体的な文句までは私にも分かりかねますが、『私の為のもの』ということが感じる内容が適切かと思われます」
暫く考えてみたが、"~さんへ"みたいに名前を入れることくらいしか思いつかない。自分の発想力の乏しさが申し訳なくって葛川さんの顔も見れない。
俯いたまま、
「あのさ、例えばだよ。今、提案のあったオムライスの上の言葉ひとつとっても俺の頭の中には、何ら浮かんでこないわけですよ。その俺がさ、君との壮大な物語を執筆できるとは到底思わないんだけど。ちょっと惜しいけど、この万年筆を元の骨董屋に返して誰か才能のある人に買い直してもらうってのはどうですかね」
今回のことに関して、一番の方法だと思う。
正直ここにいる"葛川さん"は最高に俺好みだし、一応約束もしたみたいだから協力したい気持ちは充分にある。
しかし、俺にはそれを実現するだけの才能も根性もない。
そうなると、その両方を兼ねそろえている人にバトンタッチすることは、最善の策だと思うわけですよ。
所謂戦略的撤退ってやつ?
単純に俺一人がエスケイプしている感じもしないわけではないけど。
顔を上げて葛川さんを見ると、彼女の両目から大粒の涙が止めどなく溢れていた。
「そうですか……。執筆を中止するのですね。万年筆を貴方と出会ったお店に返すのであれば、確かに執筆の中止は可能です。ただ、その後その万年筆が誰の手に渡ったとしても、二度と私が出現することはありません。お店に帰った時点で貴方と出会ってから今日までの私を含めた全ての情報は、完全に消滅するのですから。でも、仕方ありませんね。短い間でしたが、お世話になりました」
そう言って、葛川さんは、覚悟を決めたような表情の後、万年筆の先にそっと指を近づけた。
「ええええええっと! 『香子』! 『香子』! が良いんじゃないかな!」
自分でも驚くくらい反射的に叫んでいた。
「何が『香子』でしょうか?」
顔だけこちらを向ける葛川さん。
「君の名前だよ! まだ設定していなかったでしょ? 今、突然閃いた。寧ろ『香子』以外は考えられない。それからジャンルのことなんだけど……」
「続きを?」
葛川さんの表情がぱあっと明るくなった。
「書く書く! 書きますよ! いや、書かせて下さい!」(五体投地)
生まれて初めてじゃないかと思えるほど一瞬でいろんなことを考えた。
あのまま葛川さんが万年筆に指を付けたら、また葛川さんは消えてしまう。
そしてその存在を自らの手で抹消すべく、俺自らが骨董品屋へ……無理無理! 絶対に無理! 物語を書くことより、何千倍も難易度高いって!
「ジャンルの方は……?」
正直そこまでは考えていなかった。しかし、もう引込みがつかない。
「恋愛もの! これで行きます」
何大声で宣言してんだ? 俺(恥死)