プロポーズ
車がもうすぐ来る時間だ。
俺は用意を済ませて、外に出る準備をする。
いつも通り、車は時間ぴったりに来る。
「さて、行くか……」
玄関に出て、車に乗り込む。
いつもの時間……。
少し違うのは、車内ですることがないということ。
いつも通りの時間に病院に到着したが、随分長く感じた。
そして病室に向かう。
「こんにちは。薫子さん」
「あら、こんにちは。千丈川さん」
「よかった。目が覚めたんですね」
「ご心配おかけしました」
薫子さんは非常に元気そうで、にこにこ笑っている。
「様態はどうですか?」
「お陰様で元気ですよ。一週間くらい様子を見て、問題なければ退院できそうです」
「そうですか。本当によかった」
「あ、万年筆、薫子さんのものだったんですね。俺知らなくって……」
「お父さんが勝手に売っちゃって……。でも次のオーナーが千丈川さんで良かったです。とても大切に使って頂いていたようですね」
確かに大切に扱った。中に香子ちゃんがいたしな……。
「あ、千丈川!」
どこからか帰ってきた、たたらが呼んだ。
「よう! 早くから来てたのか?」
「まあね。午前中には既に到着してたかな」
「薫子さんも大変だね。朝から押しかけられて……」
「何よ! どういう意味?」
病室に笑い声が広がった。
ガチャ、と病室のドアが開いた。
おじさんとおばさんが入ってきた。
「やあ、千丈川君、たたらちゃん」
「「こんにちは」」
「もうすぐ退院だそうですね。おめでとうございます」
「いや、今回は、本当に千丈川君には世話になった。改めてお礼を言うよ。ありがとう」
横でおばさんもぺこりとお辞儀をした。
「いえ、俺は何にも……」
「二人には……、特に千丈川君には、何かお礼をしたいのだが……」
「いえ、薫子さんが元気になったので十分です、もう何も要らないです」
「いや、そう言わずに、こちらの気が収まらないんだ。何なら薫子をプレゼントしようか? 少し気が強いところはあるが、なかなか気だての良い子だぞ」
「えええっ!?」
「もうっ! お父さん! ダメよ」
薫子さんが割って入る。
「わはは、冗談だよ。千丈川君くらいいい男なら、特定の女性くらい既にいるだろうしな」
……ちょっと笑えない。
「でも……」
薫子さんが言った。
「でも、千丈川さんさえよければ、これからも時々連絡してもいいですか?」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
「それと、この万年筆ですが、やはり千丈川さんが持っていて下さい」
そう言って万年筆を差し出した。
「でも、俺もう小説書く予定ないし、元々薫子さんのものだったんだし……」
薫子さんはその場で万年筆のキャップを開けた。
辺りに甘い香りが立ちこめる。
「この香り、何の香りかご存じですか?」
「いえ、ずっと気にはなってたのですが。まるで綿菓子みたいですよね」
「これは、桂の木が紅葉したときの香りなんですよ。私の名前とかけたつもりだったの? お父さん?」
「あはは、殆ど正解だ。そのインクは後で作ってもらったものだ。外国の職人に薫子の漢字の意味を聞かれてな。説明したら作ってくれた」
「そうだったんですね。だったら尚更もらえませんよ」
「”葛川香子さん”でしたよね」
「え?」
「小説のヒロインの名前です」
「ああ、そうです」
「千丈川さんが忘れてはいけない人だと思います。名前の意味は私と同じです。持っていてあげて下さい」
今までとは打って変わって強い視線でそう言った。
……香子ちゃん
「わかりました。そうします」
そう言って万年筆と、残りのインクを受け取った。
「では、そろそろ帰ります」
「じゃ、私も。薫子、次は退院の日ね」
「千丈川さん、たたら、どうもありがとう」
「では、また」
俺は車に乗り込み、運転手さんに店の場所を伝えた。
ちょっと今からでは時間の余裕がない。
店にはぎりぎり間に合いそうだ。
一応スーツを着てきてよかった。
店に入る。
そこにはタキシード姿の最上川とウエディングドレス姿の天井川がいた。
そして……
香子ちゃんがいる。
綺麗なウエディングドレスを着ている……。
「香子ちゃん?」
「はい、千丈川さん。戻りました」
「本当に香子ちゃん!? 香子ちゃんなんだね!?」
「そうです。香子です」
信じられない、諦めるしかないと思っていた香子ちゃんが目の前にいる。
あまりのことに頭がどうにかなりそうだ。
「戻ってこれたんだね!」
「えーっと……戻ってこれたというより、連れてこられたって感じです」
「どういうこと?」
「あれから何とか薫子さんの空間にたどり着いて、その空間から脱出した後、私は空間と空間の狭間で意識を失っていたようです。そこに薫子さんが現れて、助けたつもりが助けられた感じになって……。随分長い間探してもらっていたみたいです」
「僕も驚いたよ。昨日、出勤途中に香子ちゃんを見つけたときは。お陰で会社休んじゃった」
「じゃあ、昨日一緒にいたときは黙っていたのか?」
「あはは、サプライズの方がいいかなって」
全く悪びれる様子もなく、そう言った。
「私も香子ちゃんのことを知ったのは、昨日家に帰ってからだったんですよ」
天井川はちょっと怒った調子で言った。
「はい、これ」
最上川が一枚の紙を俺に渡した
「何? これ」
「香子ちゃんの戸籍」
「戸籍? そんなの香子ちゃんに……」
「僕が昔世話になった施設に相談したんだよ。何とかなったみたい。一応、今後、その施設で働くことになっている。本人の希望もあってね」
「何と……」
「昨日もその施設に泊めてもらったんですよ。どうも私、こちらの世界で生活できるようになったみたいです。小説も終わってしまったので、帰る空間が無いのが幸いしたのかもしれません」
「ということで、今日は僕たちと君たちの合同婚約パーティー、始めていいかな?」
「その前に一分だけ時間をくれ……」
「別にいいけど……」
「香子ちゃん……」
「はい!」
「こっちへおいで」
「はい!」
俺は強く強く抱きしめ、唇を重ねた。
「ずっと一緒だよ……」
「はい!」
「結婚して欲しい」
「よろしくお願いします」




