お父さんの話
とりあえず年賀状に書かれていた住所まで来てみた。
いろいろ考えたが、とにかく来てみた。
天井川の忠告も十分に理解できたが、それよりも体が勝手に動いた。
玄関で呼び鈴を鳴らす。
予定通り誰も出ない。
そこでひとりの男に声をかけられた。
「何か用かね?」
その男はひどくやつれていた。
横には大きめのスーツケースがある。
「葛川さんですか?」
「ああ、そうだ。君は?」
「俺、千丈川って言います。薫子さんの幼稚園の同級生です」
「千丈川? ひょっとして、あのタイヤの子か?」
"タイヤの子"って……。
「ええ、タイヤにしがみついていた千丈川です。お聞きしたいことがあって……」
「薫子ならおらんよ」
「どこに?」
「知らんな、またどこかの被災地にでも行っているのだろう。私も今、海外出張から帰ってきたので詳しいことは知らん」
「行き先分かりませんか? すごく心配している幼なじみがいるんです。多々羅川って言うんですけど」
「ああ、たたらちゃんか……」
その男は暫く考えていたが、何か決心した様子で話してきた。
「まあ、せっかく来てくれたんだ。薫子は居ないが上がっていきなさい。私は薫子の父だ」
そうして、部屋に通された。
「そこに座りなさい。今、コーヒーでも入れるから」
そう言っておじさんは台所に向かった。
コーヒーの入ったマグアップを二つ持って戻ってきた。
「どうぞ」
「あ、どうも」
砂糖もクリームもなく、ブラックを差し出される。
俺はブラックしか飲まないから良いけど、男親ってのはこんな感じなんだろうな。
「薫子だが……」
ゆっくりと話し始めた。
「あまり人には言いたくなんだが・・・・・・、今、入院している」
……!
「どこにですか? どこが悪いんですか?」
「薫子に持病があるのは?」
「知っています。だから引越ししたとたたらが……」
「去年それが再発した」
「で、様態は?」
おじさんは何も言わない。
いろいろな心労が溜まりまくっている様子だ
「何とも言えん。ずっと眠っておるからな……」
そう言って、がっくりとうなだれた。
「私のせいなのだ……」
「おじさんのせい?」
「私があの万年筆を買ったばっかりに、薫子は……」
「万年筆?」
「引越ししてからあの子は入退院を繰り返しておって、新しい友達もなかなかできずにいてな。唯一のあの子のこの楽しみは手紙を書く事だった。」
「たたらとですね」
「最初はたたらちゃんとだけだったが、薫子の小学校の友達とか、担任の先生とかからも来るようになって、それが中学になると、たたらちゃんの友達とかも加わって、一気に量が増えてきたのだよ」
「どんな内容だったんですか?」
「娘の手紙だし、詳しいことは知らん。本人に聞くと『まるで学校にいるような気持ちになる』と言っておったな。悩み相談もあったそうだし、他愛の無い話もあったらしい」
この話をしている時のおじさんは、さっきの暗い表情が一瞬消えていたように思えた。
「中学二年の誕生日に一本の万年筆をプレゼントしたのだよ。これがとても喜んでくれてね。『これからはこの万年筆で手紙を書く』って言って」
「良いプレゼントじゃないですか」
「しかし、それがきっかけで、薫子はフリーライターになるって言い出して……。本人の人生だから特に反対しなかったが、結局取材先で体を壊してまた入院することになってしまった……。私が万年筆なんてプレゼントしなければ……」
「おじさん! それは違いますよ。」
「違う?」
「詳しいことを知らないのに、勝手なことを言うようですが、おじさんは薫子さんのブログ記事を読んだことがありますか?」
「ああ、一応目は通している」
「俺も訳あって今執筆していますが、あんなに魂のこもった文章なんてなかなか書けるものではありません。元々彼女には文章で伝える才能があるんです。」
「そうなのかもしれん。しかし親としては眠ったまま起きない娘を見ていると、全部自分のせいだと思えてくるのだよ」
相当参っているようだ。
今は何を言っても無駄なのかもしれない。
「とにかく一度薫子さんに合わせてください!」
しばらく考えていたが、小さくうなずいてから言った。
「……君がそこまで言うのであれば。来なさい、車で行こう」
そう言って、おじさんは病院へ連れて行ってくれた。




