萎んだナッツ
週末と言うことで、飲茶家飯盗に向かった。
香子ちゃんにも来るように言ったんだけど、ちょっと忙しいらしく、何時になるかわからないとのこと。
ある程度、不思議な事を納得してしまえば、結構普通にお付き合いできるものだ。
店に入ると、テーブル席に最上川と天上川がいて、何やら話が盛り上がっているようだった。
まだ俺には気がついていないようなので、そのまま声をかけずにいつもの席へ。
少し離れているので、この調子だと帰るまで気が付かないかもね。
マスターがやってきた。
「こんばんは、千丈川さん。あ、最上川さんと天上川さんがきているよ」
「ええ、知っています。入るときに見かけたので」
「声かけなくていいの?」
「ま、二人で楽しそうにやっているので」
マスターは親指を立てて返事した。
店のテレビはサッカーをやっている。
俺はのんびりサッカー観戦でもして香子ちゃんを待つことにする。
テーブル席で話している二人。
最上川はそうでもないが、天上川は元々声が大きいので話している内容が結構聞こえる。
「もう最悪だったのよ、今日!」
最上川は笑顔で頷いている。
「出先の自動販売機でジュースを買おうと思ったの。120円のジュースだったんだけど、とりあえず100円玉2枚入れたの。でも、お釣りいっぱいになって財布重くなっちゃうの嫌だなって、後から20円入れたんだけど、お釣り全部10円玉で出てきちゃってさぁ」
相変わらず最上川は笑顔で微笑んでいる。
次に最上川が何か言った後、天上川の顔が真っ赤になっていた。
ようやく気づいたか。
その後もサッカーでハットトリックが決まった時に、最上川に何か言われて、
「ハットトリックってカツラのことじゃないんだ!」
って言ってたな。
仕事は出来るんだけどな、コイツ。
最上川達、結構お似合いのカップルかも。
俺が言うのもなんだけど、最上川ってちょっと人付き合いが受け身なところがあるんだよな。
その点、天上川はあの調子でガンガン行くから、逆に最上川にとっちゃ楽な存在なのかも。
「最近、よく来るよ。あの二人」
マスターが言った。
「いつもあの調子で楽しそうでね」
そう言いながら、マスターはナッツのポットを取った。
「今日は…無いか。」
そう言いながら、ナッツのポットの蓋を閉めた。
「何探しているんですか?」
「ああ、形の悪い萎んだナッツが時々入っているから、それを」
……俺、犯人知っているかも。
「ちょっと前までは結構あったんだけどね。最近は減ったな」
……間違いない、香子ちゃんの仕業だ。
「香子ちゃんは何時頃来るの?」
「……ッ い、いや、何時になるかわからないって」
びっくりした。話題がタイムリー過ぎる。
「そうか、ま、ゆっくりしていってよ」
「ええ、そのつもりです」
結局最上川たちは俺に気付かず二人で帰って行った。
その後、マスターがやってきた。
テーブル席のお客さんはもういない。
「その後、香子ちゃんとは?」
「え、順調ですよ。お陰様で」
「そうか……、千丈川さんも最上川さんもうまくいっているようだね」
「マスターは?」
「いい人がいればね」
「理想高いんですか?」
「そうでもないけどね」
そう言って、マスターは何かのリキュールをショットグラスに入れて、クイッと飲んだ。
「何ですか?それ」
「あ、ベルモット。薬草のリキュール」
「寝る前に飲むアレみたいなものですか」
「まあ、目的は同じかな」
そう言って笑った。
「昔さ、好きな女性がいたんだよ」
「へぇ」
「今はもう結婚していて、子供もいるんだけどね」
「振られちゃったんですか?」
「いや、告白もしていない」
マスターは照れくさそうに頭を掻いた。
「当時はこの店を何とかするのに精一杯で、それどこじゃなくってね。店が軌道に乗ったら告白するつもりだったんだよ」
「ちょっと遅かったと?」
「どうだろう、結婚前であっても良い返事をもらえたかどうか怪しいけどね」
「どんな人だったんですか?」
「この店の前に、ショットバーで修行したときのお客さん」
「私は修行中の身だったから、いつもカウンターの奥の方で洗い物担当だったんだけど、そのお客さんはいつも奥の私の前に座るのね」
「マスター狙ってたんじゃないですか?」
「店の従業員にもそう言って冷やかされたよ」
「で、その真相は?」
「その人は『ナッツの前に座りたいの』って」
そう言って、マスターは笑った。
「ナッツの前ですか? マスターって"ナッツ"って言われていたんですか?」
「いや、本当にナッツ。ほら、目の前にナッツのポットがあるでしょ? これ。 彼女、いつもミックスナッツとバーボンロックを注文してたから」
「あ、ガチでしたか。残念でしたね」
「うん、店の従業員も『なあんだ』って話になってね」
「マスターはどうしてその人を好きになったんですか?」
「ある日、仕事でミスをして、結構店長からこっぴどく叱られた日があったのね」
「ええ」
「暫くしてそのお客さんが来たんだよ」
「一人でですか?」
「うん、彼女はいつも一人で来ていたよ。初めて会った時から」
「それで?」
「いつものようにバーボン飲んでいて。ふとナッツを一つ、洗い物をしている私の目の前に置いたのね」
「はあ」
「それが随分萎んでしまったナッツでね。いつもは、追加するときにチェックするんだけど、その日はチェックする余裕無くってさ」
「『元気出しなよ、今の君、このナッツみたいだよ』って。」
「元気無いことをちゃんと気付いてくれたんですね。」
「お客さんの前ではそんな風に見えないように振舞っていたんだけどね。」
「『こんなに萎んていたら、お客さんに出せないでしょ? 貴方プロなんだから萎んでいちゃだめだよ』って言われてね」
「また叱られたんですね」
「あはは、そうだね。でもその後にこう言ってくれたんだ。『嘘だよ、これポケットの中に入っていたやつ。君がここに来る前のものよ』って」
「あら、騙されたんですね」
「そしてこう言ったんだ。『君がこの店に来てから、一度も萎んだナッツはなかったよ。だから、私はこの席に座るんだ』って」
「気付く人は気付くんですね」
「ナッツのチェックなんて普通誰もしないんだけど、これは俺の拘りかな。さり気なく彼女は私の努力を認めてくれて励ましてくれたのさ」
「それから?」
「それで終わり。その後も時々店に来ていたけど、この店開店してから一度会ってない。彼女のその後のことは、前の店の店長に聞いただけ」
「また会えると良いですね」
「ナッツの準備だけは万端なんだけどね」




