ハンムラビ法典
上司に呼び出されていた天井川が戻ってきて、何かブツブツ言っている。
どうも上司の指導で納得のいかないことがあったようだ。
人一倍負けん気の強い彼女のことだ。社会人一年目にはいろんな葛藤があるのだろう。
俺も同じだったよ。上司の言うことが理不尽に感じてさぁ。
ま、頑張れ! 全て勉強だと思え。
先輩として生暖かい目で見守っていていると、ヤツは鞄の中から何やら取り出した。
……何だ? あれ? 木彫の人形?
長さ三〇センチ位、太さ二~三センチ位の木彫の人形を取り出して、それに向って呟いている。
ちょっと声をかけてみるか。
「天上川、どうした。会議室から帰ってきて、何か様子がおかしいぞ。激おこプンプン丸かい?」
「先輩、中途半端に流行りを取り入れると、火傷しますよ。新ネタ仕入れる果敢な姿勢は評価しますが」
相変わらずムカつくやつだ。
「でも……、心配して頂いてありがとうございます。私は大丈夫です。覇王に話を聞いてもらいますから」
「覇王?」
「ええ、これが『覇王』です。最近のお気に入りです」
そう言って、さっきの木彫の人形みたいなものを俺に見せた。
よく見ると、木彫の人形は、険しい形相の埴輪だった。
「何だ? これ?」
「これ、実は一体ではないのですよ」
そういって、埴輪の上部のキャップを外して、傾けると、中からもう一体出てきた。
もう一体は女性っぽいキャラが彫ってある。
「本体のこっちが『覇王』、『埴輪覇王』です。で、中から出てきたこっちが『姫仁倭女王』です」
……何だ? それ。しかも、その二体が鎖で繋がっているのは何で?
「嫌なことが会った時に、覇王に話しかけると、相手にバチが当たるらしいですよ」
どうも、藁人形的な要素が詰まったもののようだな。
「ただ、後からなんて悠長なことを言ってられない場合は、女王が出てきて、こうです!」
そう言って、いきなり覇王を振り回した。
なるほど、ヌンチャクになるのね。
しかし、ギゴチない手つき。危ないぞ……。
「ゴンッ!」
ほらぁ……。
「……痛たぁ。どうして私にバチが当たるのよ。全く」
「大丈夫か? 結構大きめの音がしたぞ。見せてみろ」
そう言って、天上川の頭を見てみると、ちょっと腫れている。
「氷嚢でも載せとくか? カッカしている頭も冷えて、一石二鳥だぞ」
「そうですね、ちょっと謙虚さが足りなかったかもしれません」
こういうところは、本当に好感が持てる。
いつも毒を吐いているが、芯の部分は非常に真面目で素直なのだ。
今年は、三名の新入社員がいたが、現在任されている仕事の量は彼女がトップだろう。
それだけに、上司から注意を受けることも多くなるのだが、それは逆に期待されているからだろう。
俺とは同じ部署にいるが、仕事内容が全然違うので、彼女の直属の上司ではあるものの、彼女に直接指示を出すことは少ない。
だから、彼女が時々毒づいてくれないと、二人の間に会話がなくなってしまう。
恐らく彼女なりに気を使っているのだろう。
冷凍庫にいつから入っているのかわからない保冷剤があった。
「ほれ、ハンカチでも巻いて当てとけ」
「あ、ありがとうございます」
「はぁ~、いくつになってもガサツな自分が嫌になります。千丈川さんの彼女みたいな『大人の女性』になりたいです」
「彼女、今、二十四だよ。ほぼ同い年じゃない?」
「えええ! 本当ですか? 先輩と同じだと思っていました」
……まあ、設定上の話なので変更しても良いんだけどね。
「何の仕事されているのですか? 」
しまった! こっちから話題振ってどうする。言い訳が難しいぞ。
「まあ……ね…」
「それにしても、めっちゃくちゃ綺麗な方ですよね。 女優さんかと思っちゃいました」
「あはは、ありがとう。まあ、そんなところかな…」
葛川さんは"ヒロイン"だし、当たらずとも遠からずだな。ちょっと特殊だけど。
「そう言えばさ、最上川とは最近会ってる?」
「ええ、昨日。これ貰いました」
最上川のプレゼントかよ!変なもの渡すやつだな。
「女の子が一人でいる時は危ないよって」
「なるほど」
「生まれてから一度もそんな危ない目にあったことはないですけど」
「ま、そうだろうな」
「『そうだろうな』って何ですか!」
「いや、君がって話じゃなくて、一般的にそんなに物騒なことが頻繁に起きるのかなって」
「あ、それは、私も同じことを言ったんです。でも、『世の中にそういうことがないわけじゃない』と」
「可能性はゼロではないな、確かに」
「モガってそういうこと言う時、妙に説得力があるじゃないですか。私も何となく納得してしまって」
なるほどな、確かに最上川の語り口調って説得力あるんだよな。
中学の時だったか、ニキビが気になっていじっていたら、「鉛筆のキャップをお湯で温めてから当てておくと、じきに中の空気が冷えて、気圧が下がるから膿が出てくるよ」とか言われて、家で試したっけ。
次の日、顔に丸いアザつけている俺を指さして、「本当にやったんだ?」って転げまわって笑いやがったな。
その後、クラスの係決めるとき、担任が黒板に「千丈川"。"」って。思い出したら腹が立ってきた。
よく考えたら、ニキビの膿が皮膚突き破って出てくるほどの気圧になるわけないのに、ヤツが言うと、信じちゃうんだよな。
「葛川さんだって、明日何があるかわからないですよ、って私性格悪いですね。嘘です」
「いや、彼女は大丈夫だと思う。逆に相手がちょっと気の毒かも」




