それでも君を
「ちょっと行ってくるわ。ここにお金置いておくから勘定だけ頼むね」
「分かった、でも僕は待っている。あの店にいるから」
「先輩……私……」
「了解。天井川、さっきお前本気で喜んでくれたよな。嬉しかったよ」
そう言って店から出た。
まだそれ程遠くへは行っていないはず。
と言ってもどこに行ったのかは検討も付かない。
携帯も持っていないし、連絡も取れない。
お金は辛うじて少し持たせてはいるが、ちゃんとその使い方を理解しているかどうか怪しい。
迷子の猫を探すみたいだ。
さてどうする。
「千丈川さん」
振り向くとそこには葛川さんが立っていた。
「良かったよ。突然飛び出して心配したよ」
「申し訳ありません。どうしても居た堪れなくなってしまって」
「少しは落ち着いた?」
「落ち着きましたが、何も解決していません。また解決する方法も見つかりません」
「何を解決したいの?」
「私は実態も曖昧です。家族もいません、子孫を残すことも……」
「千丈川さんへの気持ちは、前にお伝えしたとおりです。しかし、私は何も出来ません。こっちの世界では完全にヒロイン失格です」
「あのさぁ」
「何でしょうか。何なりと仰って下さい。覚悟は出来ています」
「お店に帰らない?」
「でも……」
「俺は、葛川さんが好きです。愛しています」
「でも……」
「それでも好きです。愛しています」
「有難うございます」
「葛川さんが気にしていた件に関しては、一度も欲しいと思ったことはありません。寧ろこうやって楽しい時間が減ることが、勿体なくて仕方がありません」
「千丈川さん……」
「さ、店に戻りましょう。最上川達も心配していましたよ」
「本当にすみません。私……」
「ま、こういうのも恋愛の醍醐味ですよ」
「まだ小説には上手く反映は出来ていないようですね」
言いやがったな! この野郎!
それから店に戻ったが、既に閉店していた。
最上川が待っているだろうから、飲茶家飯盗に行った。
「おかえり。さっきはごめんね。何か気に触ることを言ったみたいだったね」
「いえ、こちらこそ心配をお掛けしてしまって」
「あ、良かったぁ。帰ってきたんだね。さっきはゴメンナサイ」
トイレから出てきた天井川。
コイツも待っていたのか。律義なヤツだ。
「で?」
最上川が俺を見る。
「大丈夫」
ヤツとはこれで通じる。話が早い。
「こんばんは、千丈川さん」
マスターがやってきた。
「今日は賑やかだね」
「ええ、あ、紹介します。最上川は良いとして、こちらが葛川さん、そしてこっちが後輩の天上川」
「露骨ですねぇ、先輩。"こちら"と"こっち"で差別化ですか?」
「いや、"区別"しただけだ。気にするな」
「あはは、よろしくお願いします。この店のオーナー件店長の木曽川と申します」
「「こちらこそ」」
「しかし、木曽川さんですか。モガ、最強のライバルですね」
天上川は最上川に言った。
「モガって誰?」
思わず聞き返す。
「え、最上川さんのことですけど」
相変わらず悪びれもせず天上川が答える。
「最上川って"モガ"?」
最上川に聞く。
「何か、そうなった。僕が"テン"って読んだら、"何? モガ"って」
いつからそういう関係になったんだ? この二人。
「でしたら、私も千丈川さんを"セン"とお呼びした方が良いですか?」
「だったら、俺も"カツ"って……ってそこは見習わなくって良いですよ。葛川さん」
「私、"キソ"って呼ばれるのは抵抗があるな……」
マスターが独り言。
「でも良いですよね、相性で呼び合うのって。私、憧れちゃいます」
「日頃は何て呼んでいるんですか? 先輩」
「"葛川さん"だけど……」
「そりゃダメですよ」
「ダメなのか?」
「そりゃそうですよ、特別な人には特別な呼び方してもらいたいもんですよ、女子は」
「香子ちゃん」
思わず言ってしまった。
「はい」
元気良く葛川さんは返事をした。どうやら気に入ってもらえたようだ。
「個人的には呼び捨てでも……」
「とりあえず、これで勘弁して下さい」
「あはは、もう僕たちは必要なさそうだね。そろそろ帰ることにするよ。またな、千丈川」
「おう、心配かけたな。また連絡くれよ」
「次はちょっと先になるかもしれないよ。じゃ、行くよ。準備しな。テン」
そう言って、二人は店を出た。
「あの二人がねぇ」
「じゃ、俺達もそろそろ」
「了解」
「香子ちゃん、帰ろうか」
「はい、千丈川さん」
どうも俺の呼び方は変更なしの様です。
ま、それで良いんだけど。
帰り際にマスターが香子ちゃんに何やら話しかけていた。
彼女はよくわからない表情をしていたけど。




