指輪
昼食は、宣言通り焼鮭定食にした。
あれだけ調理について、残酷だの何だの言っていた葛川さんは、特に変わった様子もなくパクパク食べていた。
「「ご馳走様でした」」
今日は昼からの執筆はやめた。
昼からは、どこかに出かけたい。
葛川さんと二人っきりでいると、またネガティブな話の流れになってしまいかねない。
「ネタ探しに出かけませんか?」
「はい、それは良いですがどこに?」
笑顔で答える葛川さんは、本当に美しい。
俺が、葛川さんの容姿についての詳細をあまり説明しないのは、筆者の手抜きでも設定不足でもない。(多分)
それしか言葉が出てこないのだ。「美しい!」と思った後は、大抵暫く見とれている。
今回もいつもの様に、暫くその笑顔に見とれていると、
「長考ですね……。私はどこでも良いのですが。悩ませてしまいましたか?」
「いや、問題ない。ちょっと見とれて……とか本音がポロリと出た感じにしてみるテストです」
「よくわかりませんが……。テストだったのですね。私は合格しましたか?」
「葛川さんはいつも満点ですよ」
「まあ、千丈川さんったら、嬉しいです」
うおおおおおおおおおおお! なんじゃぁこりゃぁああああ!
取り敢えず、小説には使えそう……メモメモ……。
こういうこと、最近習慣になってきたな、俺。
「シュッ!」
物凄い速度で何かが耳元を通過した。
間もなく髪が揺れる。
「蚊です。逃してきますね」
と葛川さん。窓を開けて手を開いて蚊を逃がしている。
「どうやって取ったの?」
「随分前ですが、貴方がテレビをつけっぱなしで寝ていた時に、ボクシングと言う競技をやっていたのです。面白そうだったので、スキャンしてしまいました。結構便利ですね。ボクシング」
「こうですよ」と言って、その場で少しだけシャドーを見せてくれた。
ただ、そのパンチは早すぎて全く見えない。
残像すら見えない。
ただ、「ブォッ! ブォッ!」というかなり物騒な音だけが聞こえている。
ニコニコ笑いながらこれをしているので、異常に異様な光景だ。
音だけで数えたら、一秒間に五・六発以上は打っている。
試合をしたら、一秒以内に殺される自信がある。
俺、この人にあんな酷いこと言ったんだな、生命があって良かった。
「何か足りないデータはありますか」
「そうですね……そう言われてみると、いくつかありますね。女性向けの洋服とかアクセサリーとかのお店とか」
「ああ、そうでしょうね。今までは私が行ったことのあるところばかりでしたから」
「恋愛小説において、ヒロインへのプレゼントを選ぶのに四苦八苦する主人公はつきものです。今日はそういうお店のデータを集めたいと思います」
若干気が進まないところもあるが、あくまで取材だ。行くしかない。
簡単に身支度を済ませ、街に向かった。
彼女の取材は手早い。恐らく店内を写真撮影する感じでスキャンしているのだろう。
大体、一件二分以内で終わる。
数件目にジュエリーショップへ行ったが、ここも1分で終わった。
俺は、葛川さんを呼び止めて、言った。
「個人的に楽しんでもらっても良いんですよ」
「と言いますと?」
「ほら、このリングとか、実際に自分の指にはめてみませんか?」
「そうですね。興味あります。じゃあ、どれが良いか千丈川さんが選んで下さい」
彼女のイメージに合うものは、と探していると、大分前に流行ったムーンストーンのリングが。
清楚な感じと透明感がイメージにピッタリだ。
「これなんか、良いと思いますよ」
そう言って、彼女に手渡した。
「これを指にはめて見ればいいのですね」
そう言って、指輪をはめた。
おい! いきなり左手薬指ですかい!?
「どうでしょうか?」
俺の見立ては完璧だった。
彼女の笑顔と並んだ左手の指輪は、とんでもなく美しく、まるでポスターを見ているようだ。
「まあまあ、本当にお似合いですね。驚きました」
俺より先に感想を言ったのは、店員の女性だった。
周りで他のお客さんも葛川さんに釘付けになっている。
奥から、一人の男が出てきた。
「私、この店の支配人の宝珠川と申します。お願いなのですが、是非、奥様が当店の商品をお召頂いているところの写真を、一枚撮らせて頂きたいのですが」
葛川さんにとっては、いきなり知らない人に囲まれて、さぞかし不安な気持ちだろう。
ここは、俺が何とかしないと。
「すみません、彼女こういうのに……」
俺が言いかけた時に
「良いですよ。その代わり、彼と一緒の写真も撮って頂きたいのですが」
葛川さんは、支配人にニッコリ微笑んだ。
あ、支配人、口をポカーンと開けたまま10秒気絶している。(俺も経験済)
確かに葛川さんの笑顔は恐ろしい破壊力があるからな。
他の店員にパタパタ叩かれて、ようやく支配人は我を取り戻したようだ。
「お安い御用です。パソコンもプリンターもここにありますから、すぐに印刷してお渡しします」
そんな訳で、俺と葛川さんのツーショット&葛川さんと指輪のツーショットの撮影会は無事終了しました。
「記念にこの指輪を購入したいのですが。お幾らですか?」
ムーンストーンであれば、それほど高額でもないだろう。
しかもこれだけ良く似合っているのだから、彼女が付けるべきだろう。
「いえ、これは記念にお持ち下さい。当店からのささやかなお礼です」
支配人はそう言った。
「いや、お気持ちは嬉しいのですが、俺が彼女にプレゼントしたいので」
支配人は小さく頷いた。
「ご主人のお気持ち、よく分かりました。では、この商品はお客様に購入して頂くことにします。但し、この商品には、セットでピアスとネックレスがございます。どちらも指輪に合わせたデザインになっており、同時にお召になりますと、一層魅力が引き立つ商品でございます。当店からは本日のお礼と致しまして、こちらの二点を贈らせて頂いてよろしいでしょうか?」
最初の"ご主人"の破壊力が凄すぎて、後の方はよく聞こえなかったが、おまけを付けてくれるってことか。(葛川さんが左手の薬指に指輪をはめていたのを見逃さなかったんだろうな。さすがプロだな。)
「わかりました。ありがとうございます」
「それではこの指輪の方ですが、このままお召になって行かれますか?」
「いいんですか? 千丈川さん?」
葛川さんが振り向いて、俺の顔をじっと見る。
駄目って言える奴、この地球上に存在するのかしら。
「そうします。では、お支払いの方をお願いします」
レジでは、俺のような素人でも、明らかに一桁少ないと思う金額を請求された。
恐らく、支配人の配慮だろう。
そして、二枚の写真と、そのデータが入ったCD、ピアスとネックレスが入った袋を持って、店を出た。
「千丈川さん」
葛川さんがこちらを見ている。
「何でしょう」
「こんなに嬉しい気持ちは初めてです。プレゼント、ありがとうございます。そして……」
「そして?」
「私を産んで頂いて、本当にありがとうございます」
ん~~~、どこも間違っちゃいないけど。何だかなぁ。




