記憶にございません。
「この俺にどうしろと?」
今日は週末だ。誰だって真っ直ぐに家に帰りたくはない。(多分)
しかもあの何にもない、独身男のワンルーム。帰っても迎えてくれるのは、学生時代から使っている冷蔵庫の"ブーン"って音くらいなものさ。(涙)
そんな俺の唯一の楽しみが、週末、仕事帰りにショットバー【飲茶家飯盗】で静かにウイスキーのグラスを傾けることだ。それなのに……。
大体において、今日は最初からツイてなかった。いつも座るカウンター席も空いてなかった。
仕方なくテーブル席に座ったら、さっきの一件。一体何が何だか。
「千丈川さん、カウンターへどうぞ」
従業員に声をかけられて、カウンターの方を見ると、マスターこちらに微笑みかけながら、いつも座る奥から三番目の席に新しいコースターをセットしてくれている。
直ぐ様移動、するとマスターから一言。
「お綺麗な方でしたね」(詳細キボンヌ)
「確かに。私も初めてお会いした方でしたが」
事実と実感だけを返答。
見た目に関しては、頭抜けた美人であったことは否めない。
「怪しい」と思いつつも最後まで会話を続けた俺、やっぱりオスだわ。(恥)
「あの女性の香り……、何か記憶があるんだよな。千丈川さん、昔、一度一緒に来られたことは?」
マスターもクドいな。
「記憶にございません」(キッパリ)
大学時代からこの店には来ているが、基本一人でしか来たことがないはず。(悔)
常連仲間がいるわけでもないし、マスターやスタッフとの会話も軽い世間話程度。
いつもカウンターに座るので、隣の常連客に話しかけられたりすることはあるものの、基本これも当たり障りのない世間話に留まっている。
特に他人との間に、一線引いているわけではないし、一線引かれているわけでもない(多分)。
俺は、こういう飲み方が好きなだけだ。
しかし、話したことがある人くらいはさすがに覚えている。あんな美人なら尚更だ。
「あの女性はこの店にはよく来られるのですか?」
マスターに聞いてみた。
「いえ、私も今日初めて見たのですが、お二人でいる時の独特の雰囲気というか、空気感って言うのか……、それだけが、頭の片隅に残っていたような気がしたものでしたから。時期だって何となく。あれは、一年くらい前だったかなあ」
グラスを磨きながら、斜め上を見上げてそう言った。
その後、軽い世間話が続いた後、いつも通りにアパートへと帰宅した。