お薬出しておきました。
金曜日だと言うのに、朝から全く仕事に身が入らない。
理由は簡単、昨日の失言だ。
「どうしてあんなことを言ってしまったんだろうなぁ」
俺が彼女をとても大切に思っていて、俺の中では非常に大きな存在になっていることは自覚している。
ただ、彼女は"人"ではない。だから自分の彼女に対する気持ちがどういうものなのかが判断できない。
異性だけでなく、家族でもペットでもそれこそ機械や道具にさえ、愛情は生まれる。
俺が彼女に惹かれるのは、図抜けた容姿だったり、一緒に過ごした楽しい思い出によって生まれたものではない。
もっと根本的な部分での事のように思う。
彼女は俺にとって……、何なんだろう……。
俺は彼女にとって……、何なんだろう……。
俺の疑問はさておき、とにかく彼女に謝りたい。誠意を持って全力で謝ろう。それだけのことを俺はしてしまったのだから。
「とりあえず謝ってからってことで」
「千丈川先輩っ! どうしたんですか? 顔に死相が出ていますよ。あ、死臭も少し。臭い臭い!」
天井川が俺の横で鼻をつまんでパタパタやっている。
こういう気分の時だと、少し救われた気持ちになるのが不思議だ。
「ええっ? まさかのノーリアクションですか? これは重症ですね」
そう言うと、自分のデスクの資料を集め出した。
「営業部へ行って、その後得意先一件回ってきま~す」
天井川が出て行った。
今、俺の部署には、俺一人。
元々、この部屋に常駐しているのは俺と天井川だけなのだが、いつもは他部署の連中がこの部屋の資料を見に常に出入りしている。
ただ、週末になると取引先に出向いている場合が多いので出入りする必然的に訪れる人数も少なくなる。
「小説なら書き直せば済むんだけどな」
彼女は小説のヒロイン。俺が執筆している小説のヒロインは彼女をそのまま起用きている。
主人公は俺ではない誰かを設定しているが、主人公の考え方はそのまま俺の考え方を投影している。
その他大勢のサブキャラは、進行に合わせて都合の良い個性豊かなやつばかり。
しかも、それは、自分の知っている人物をデフォルメしたものだ。
初心者には、これが一番簡単な書き方らしい。葛川さんに教えてもらった。
ちなみに天井川も登場させている。名前は変えているけど。
仕返しするために起用してやった。覚えておけ! 誰に死相が出ているって?
今日は弁当もなかった。予想通りだけど。泣かしちゃったしな……。
そう言えば、最上川にも悪いことしたな、ヤツにも謝らなくっちゃいけないな。
不思議なもので、いろいろ考え事はしていても、仕事は出来るもので気がついたら、全部一段落付いていた。
昼からの仕事はまだ到着していない。手が空いてしまった。
こういう時の暇は始末が悪い。更に心配事を増幅するようなことばかり考えてしまう。
昔、誰だったかが言っていたけど、「悩みというものは、その悩みの九〇%はまだ起こっていないことを想像して不安になっているだけだ」と。
まあ、元気な時なら「確かになぁ」って納得できるし、人から相談事を受けた時に同じ事を言ったこともある。
でも、自分がその立場に置かれると、しっかりテンプレどおりに悩んでしまう。ま、俺、普通のやつなので。
そんなことを考えていると、天井川が返ってきた。
俺のデスクの前を通過しながら、小さな紙袋を置いて、「お薬出しておきました」と置いていった。
袋を開けると、中にはたい焼きが一つ。
ちっくしょぉ! 天井川のくせに生意気だぞ! 不覚にもちょっとグッときてしまったじゃねぇか!
でも、ここは素直にお礼だな。
「天井川、サンキュな」
「あ、今日の先輩の目が死んだ魚みたいだったなぁって思ったら、たいやき屋があったので、大量に買ったんですけど食べきれなくって。で、先輩に共食いでもしてもらおうかと」
本当にムカツクことを言うやつだな。しかも素直じゃないし。大量に買ったのにこんな小さな袋に入れるわけないだろうが。
あれ? 俺ちょっと元気になっていないか?
天井川! グッジョブ!