おまじない
「おはようございます。さあ、朝食にしましょう」
透き通るような声で目覚めた。
枕元には葛川さんが座っている。
「おはよう、今何時ですか?」
昨日遅くまで頑張ったこともあって、まだねむい目をこすりながら時計を見ると、休日には久々に目にする一桁の時間が。
「もう六時です。早速行動開始です」
俺が読んでいた小説に、ヒロインが早起きの設定のものなんてあったのか?
「空腹を覚えましたので、万年筆から出てまいりました」
「先に食べていれば良かったのに。で、何を作ってくれたの?」
「いえ、何も作っておりません。貴方が起きて作ってくれるのを待っていたのです」
「さっき、『朝食にしましょう』って……ああ、そうね。確かに。その通りね。分かりました。作らせて頂きます。僕はいつもパンとコーヒーだけれど……ってパンはないんだった。ちょっと行って買ってくるよ。暫くの間待っていてくれる?」
ゴソゴソとスーツのポケットから財布を取り出していると、
「いえ、私は既に朝食のメニューの候補を決めております。問題なければそれをリクエストしたいのですが」
一瞬、嫌な予感はしたが、一応聞いてみる。
「まさかオムライス?」
彼女はニッコリ微笑んで頷いた。
大いに問題はあるが、この笑顔には逆らえない。しまいに出てくるものが黄色……(以下略自主規制)。
「昨日、大失態をしていたようでして……。今日はそのリベンジを果たしたいと考えております」
只ならぬ決心のご様子で。
「私としたことが、オムライスを食する際のメッセージを書くことと同じくらい重要な儀式を忘れていたのです」
儀式? たかがオムライスを食べるのに?
「私が昨日学習した内容によると、そのオムライスの味が更に向上させるためのおまじないがあるのです。そのことをウッカリ忘れていたのです」
ひょっとして、それって……。
「おまじないの言葉は既に暗記しております。すぐにでも実践するための予習も済ませております。ただ、語尾の『~だニャン』が通常の日本語では使わない言葉ですので、その部分の発音だけをご教授頂きたいと思っております」
「それは無理!」
正直何とかしてやりたいが、しかし台詞と連動して招き猫みたいなポージングを取ってしまう恐れがある。(そこか? )
一気に葛川さんの表情が曇る。
困ったな、誰か代わりに……、そうだ! こんな時の動画サイトだ! ちょっと調べればその手の映像なんざいくらでもありそうなもんだ。それを見て覚えてもらえれば俺が危険を犯さずに済む。
「葛川さん、パソコンは使える?」
「パソコン? 何ですか? それ?」
こりゃイカン。
「葛川さん、一旦万年筆に戻ってくれない? またすぐ出てきてくれて良いから」
「はぁ、承知しました。では……」
間もなく葛川さんは消えた。
俺はすぐさまノートに"パソコンを普通に使える。"と記入。これで解決するだろう……。
ちょっと待て、"オムライスのおまじないは言わない。"の方が手っ取り早くね? パソコンはその内使う機会もあるだろうからこのままにして、おまじないの件をカキカキ……うおっ書いた瞬間に文字がどんどん消える! 何度書いてもノートから跡形もなく消えていく。何だ? 万年筆の主である俺の司令よりも、ヒロインの気持ちの方を優先させるってことかい?
暫く頑張ったが、諦めた。葛川さんは絶対に諦めない人のようだ。
色々言葉を変えてみたりしたが無理だった。ちょっと分かったことは、この設定ノート、知らないことを出来るようにはできるけど、その反対は書けない。つまり一度出来るようになったことや、言い出したことは、決して取り消せない仕様のようだ。
あくまで執筆者は俺なんだけど、ふんわりと真綿で首を絞められるように制限がある。
クリスマスイブに彼女にもらった手編みのマフラーを巻いたものの、その両端を彼女にしっかり握られているような感じ。
これからは慎重を期す必要があるな。
間もなく葛川さんが再度登場。
早速ネットで調べ始めた。
俺は、多少食傷気味では合ったが、拘りのオムライスを調理中。その後ろでは、真剣な表情でグーを作った手首をクイクイさせて練習している葛川さん。(早朝六時半)
ようやくできたオムライスを前にして、
「おまじないは一緒にするのが決まりです」
と言われた時は、生まれて初めて舌を噛み切って死のうと思った。(早朝六時四十分)