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習作:Tea Time for Wizards  作者: 青空まで
2/22

本の迷宮のミストレス

現在■本の少女の幻想


 コツ、コツ。

 さきほどから、マリーは机の角を指で叩いていた。リズムを取るように。


 魔術師の大半はそうだろうーーとこの海色の髪をした小さな魔法使いはそう信じていたがーー、そうであるように、つまり、一日の大半を本を読むことに費やすのだとーー。


(だから、こんな”作業”は慣れてないってわけよ)

 しゃべったり、聴いたり。


「--つまり、つまりね」

 なぜだか人の研究室ーーというか部屋ですっかり『住み着いている猫』のようにくつろいでいるサーフィス・ユトランドーー、一年上の先輩にあたるーーのほうを、せわしげに見やりつつ、--何とか視線をそちらに固定したいものの、どうしても目が泳ぐーー、別に嘘をついているとかその人物が嫌いとかいうわけではなく、ただ、イキモノをじっと見つめ続けることに抵抗があるのだ。--いつ噛み付いてくるかわからないし。


「あらゆる不条理。ヒトの社会を埋めるのはその現実よ。

 彼らのコロニーを支配するのは、”群れる能力が高いだけの虚ろ”なのだから」


「彼らは、人に批判されることなしには、どんな悪行にも気づかないーーそして実際、どんな悪行でも行いうる」


「わたしは彼らが、中身がない、操り人形に思えて仕方がないの。


 誰かが死ねと命じるなら、その通りに死んでみせる。--あれは何? ヒトに飼われた家畜じゃ、ないの?    彼らは、彼ら自身に飼われているの? そんな不思議なことって、あるかしら」


 宵色のローブの術師は、大仰に頷いて見せる。

「大いにありうる」


「誰かに話したのは久しぶり。とても楽しかったわ」

「君は何も伝えようとしてないじゃないか」


「何を・・・・?」

「君の考え、君が見た現実、君の思う理想について」


「・・・・」

「誰が聴くというの?」


「遠い未来、遠い国の誰かが」

「意味のあることね」


「本気だよ。ヒトはこのところ一万年ほど、ほとんど何も変わっていない。その能力自体はね」

「それは認めるけれど・・・」 



過去■本の迷宮


”おとぎ話を信じて大人になると、現実社会で生きていけない”

   ーー映画『三十四丁目の奇跡』より


 ふわりふわりと舞い落ちていく雪は、毎年のことながら、--二日もあれば溶けてしまう少しばかりの雪だーー、幻想的な気分にさせる。たとえば、雪深い山中で、遭難し、凍えるような状況であったとしても、その気分は変わらないものだろうか? マリー・ヴェリタスは考える。


「・・・ちょっと、分からないわね」


 高い高い塔の上。彼女のところまでは、どんな現実も届かない。いくら夢を見ていてもいいのだ。見たいだけ、いくらでも。そう定められていたし、そして彼女には、他にするべきこともない。


 あらゆる「現実に干渉する手段」のほうがむしろ、彼女にとってはファンタジーに思えた。玉子焼きを焼く? 火は、フライパンは、フライ返しは・・・・。それこそが、彼女にとっては、夢見るもの。


 ここにはーーつまり、この七十二階には、だがーーそういったものが一切なかった。そしてマリー・ヴェリタスは、自分がそこから出られないことを知っていた。--いや、方法はたったひとつだけーー。ただ、彼女は、その『扉』を開くには、あまりに優しすぎた。


 ーーこれがわたしの日常。これが壊れることなんてない。わたしに、ここから自由になる日はこない。


   ■


 幾重にも、本が重なる部屋。

 ”ここから出して”

 マリーは夢の中でうなされる。


 彼女だってもう気づき始めていた。何万冊本を重ねたところで、--そこに、『真実』は、ない。生きた現実はない。


 それは、ヒトの思考の残渣ーー残されたぬけがらにすぎない。いくら、蝉の抜け殻を拾い集めてみたところで、何匹もの蝉が奏でる途方もない音の波や、その透き通った羽や、黒い眼ーー、そういったものは、決して、見られない、聴けない。


 幻想に覆われた世界は、誰かの夢の中だ。そこは、とてもやさしくて、何も”自己”を傷つける存在がない。


 いわば無菌の培養槽のようなもので。その中で育てられた人間の半分は、意外にも、他者を傷つけることに無頓着になる。初めから他者のいない環境。


 外界との間に立ちはだかる、ひどく外界をゆがめるレンズを、マリーは、不気味なものだと思い始めていた。

 ”いつまでここにいればいいの?”


 レンズの製作者たちが語るその世界を、その目で見なければ、と。マリーは思い始めていた。

 不気味に歪んだレンズがもどかしい。


 その向こうにあるのはとても美しい、宝石のような場所だ。そのときはまだ、マリーはそう信じていた。他に、考え得ることなどなかった。だって、他の光線は、レンズによって散らされて、マリーの居る場所までは届かなかったのだ。何も知らない。何も知らされていない。--その思いは日一刻強くなる。


 外に出なければ。

 彼女はうめく。


 どうやって? どうやってここから出ればいいの?


 七十二階。青色の・・・・・・


「・・・・・きれいねえ」

 マリー・ヴェリタスは、親指と人差し指で挟み持った、その薄い、透明な羽を光にかざす。


 それは、光線の微妙な角度の違いに応じて、虹色にも見えた。

 その隣には、無骨な手触りの、アンモナイトの化石。


「アンモンの角、ね。昔の人には、丸まったカラが角に見えた」

 マリーはつぶやいてそっと、その表面に触れる。


 ひんやりとした温度差と、ごつごつとした表面の押突が伝わってくる。これがかつて、生きて海を泳いでいたなど、いったい誰が考え付いたのか。


   ■


《三十四の式を座標五十六から八十九に展開。その解αを百十二の式に適用》

 

 無数の数字列が、彼女の眼前をーー意識の中を流れていく。それは絵を描くように。布を織るように。現実を構築し、作り上げる作業。彼らの土地で、魔術師が造物者とも呼ばれるゆえんである。


 蒼色のーー白さを含んだ悲しみの色が、どこまでも限りなく、続いていく。水平線すら見えるほどに。


「我が作り主よ。あなたは訊いたわね? わたしに。

 今、その問いに答えましょう。


 絶望とは、多数の見ている世界と、個人ーー自分の見ている世界が違うことに気づくことよ。

 私は世界に絶望しない。ヒトに絶望するだけ。


 彼らには理解力などない。

 自らの作り出した愚かしい現実の中を、浮遊生物プランクトンのようにただよっているだけ。自らの舵取る船頭ではないのよ」


「笑わせる。その幻想を作り出したモノすら、ヒトなのだから。

 ーーねえ、私はモラルもマインドもハートも疑うわ。なにひとつ確かなものなんてない。


 彼らはーーヒトという生き物は、言葉ロジカルを操るだけのドーブツよ。私は心を疑うわ。彼らには心なんかない。小鳥のおしゃべりと、微塵も違わないわ。1111111112」


 階層。幾重にも重なり合う式と画の連鎖。原因と結果、結果から導き出される結論。連鎖、連鎖、レンサ。


「彼らはただ、外界に応答するだけの機械にすぎない。もっとも”下等”な生き物と、わたしたちと。その外面上に現れる行動にーー差異はない。  


 わたしたちは、膨大なATP(エネルギー通貨とも呼ばれる。リン酸基の化学結合としてエネルギーを蓄え、一方では解放し、細胞内の各種の過程を推進する)を利用して内部で複雑な演算を行うだけの”ゾウリムシ”にすぎない。


 心が何だというの? そんなものは実在しない。わたしたちはただ、砂糖水で動くだけの人形よ」


 記号がーー意味をもったカタチが、いや、私たちが意味を見出す要素の集合がーー、幾重にも重なり合い、曲面の上をすべり、無限の軌道を描く。その軌道は閉じておらず、予測もつかない。そのくせ、『法則』にしたがって動いているのだ。


「なんて不安定な世界。もっと作動を安定させなければーーいいえ、不安定さこそが同じく不安定な外界に対応するための唯一の要素ーー」


 想いはない。ただ、記号。


   * * *



 どこか、で。悲鳴が聞こえたような気がして、宵色のローブの魔術師は、書き物をしていた手を止めた。

 どこかーーで。


「悲劇に終わりなく、喜劇に終わりなし、か。人間よ、ただ演じよーー」

 ぱたん、と本を閉じ、ペンを置いて椅子を立つ。


「ハーレィ。ちょっと出かけてくるよーーすぐ戻る」


 三日前からそこで飼われているハムスターは、聴いているのかいないのか、手に持ったヒマワリの種を離さないーー人間様のたわごとなどより、次に口に入れる物体のほうに百倍ほどは関心がある。


 白黒のタテジマの種子がハムスターの口中に消えたころ、部屋の主はドアを閉めた。


 七十二階ーー。


「うわ・・・・」

 そのフロアに立ち込めた異臭に、思わずサーフィスは顔をしかめた。

 血、だ。金臭い。


「マリー・・・?」

 顔も知らないその部屋の主に呼びかける。


 奥のスペースに、端から端まで、円陣が描かれていた。白い粉は、白墨か。チョーク。遠い時代の、いきもののかけら。

「・・・しくじった、わ」


 その中央に、長い髪の少女が倒れていた。ほとんど時代錯誤の、”魔女の帽子”がそのそばに落ちている。


「”檻”を壊せるはずだったーー。ねえ、私たちはどこから来るの? 愛されてもいないのに生まれてくるの? 何故?」


 薄茶色の目がサーフィスを見上げる。

「カミがそれを望んだからだ」


 ほとんどつぶやきのようなマリーの問いに、しかしサーフィスは答えた。魔術師にとって、他人も、環境も、何もかも、自分自身すらも、等しくセカイの一部でしかない。すべては等価だ。彼らにとって。


 マリーは波がかった長い髪を揺らす。


「神などいないわ。--あるのは、愚かしい人間たちの社会だけ。--ねえ、何故わたしたちは、言葉を持って生まれてくるの? 意味ーー抽象。それさえなければ」


 溢れた赤い生き物が、宵色のローブを着た魔術師の足元まで届く。けれどサーフィスはそれを気にも留めずに、言葉を返した。


「マリー。僕らがそう生まれついたのには訳がある。そして同時に、いかなる理由もないーー。マリー・ヴェリタス。君の書いたこの魔術文は素晴らしいよ」

「・・・・・」


 マリーは両手のひらで、伏せた顔を抑えたまま、小さくかぶりを振った。サーフィスには、流れる血よりも、彼女が紡ぐ言葉そのものが血に思えた。傷口から流れ出る、それまで身体を維持していたもの。


「・・・・ちがう。違う・・、そんな言葉が聞きたいんじゃない。」

 窓の外が急に明るくなるーー雲に隠されていた陽がいっとき、地上を照らす。白い光が、室内で膨らんだ。


 マリーはそれに背を向けたまま、虚空を睨む。

「私は、もう夢など見ない。ただこの現実の中で灰になるだけ」


 それでもまだ、サーフィスの目には、空間を埋める魔術語が、書き換えられていくのが見えた。サンをイチに、ギョーフをアッシュに、ガンマからベータへ・・・・、数式を・・・・。


 マリーは音にして言葉を紡ぐ。


「だれひとり、私と同じ世界観を分け合ってくれなどしない。孤独を恐れる人間が、私はうらやましい。彼らは、ひとりでは生きられないことを知っている。私には、選ぶ暇などなかったーー私は、ずっと」


 言葉がつづく。

「冷たい水の中に、沈められていた」


「いくらでも夢を見ていていいのだと思っていた。けれどある日、それとは全く異なる世界の中に放り出され--誰も、助けてくれなど」

「何を恨めばよかった? 何を呪えばよかった? 運命を?」


「・・・・・・」

 サーフィスは痛みとともに見つめる。なぜ、人はこんなにも複雑か。


「・・・・分かってる・・・・。何を、呪うといったって。

 ・・・・・サーフィス・ユトランド?」


 虚ろな目が、その場にいた唯一の人間を探した。けれど見えなかったのだろうかーー、彼女は再び視線を落とす。その目の先で、流れ出ていく生命の河が、床を広がっていく。


「みんな死ねばいい。笑われ、あざけられ、バカにされーー。もう私は疲れた。彼らなど、いなければ良い。

何もかも、壊れてしまえばいい。セカイなどーー」


 目からひかりがなくなる。後に残されたのはーー魔術師にしか読めない、膨大な文字列。それは赤い血と、暗い夜の色をしていた。

 血も服も身体も残らず、すべてを魔術語の中に組み込んで。


「夜は明けるよ、マリー。人は誰も、一冊の本だ。

 誰も読むことはないのかもしれない。それでも、一冊の本だ」


 蛇足、だろう。けれどサーフィスは一行、それに書き加えた。--読みたいと願う者が、その”書物”を読めるように、と。

「本には、表紙がないと・・・・、ね」



>現在:時刻PM:『題目なし』No title


 サーフィスの目の前で、本は語り始める。--ひとつの絶望のものがたりを。


「社会的知能というのは、複雑な問題だ。それは実際、知能と呼ぶのには躊躇いが要る」


 対話は用をなさない。心が幻想であるなら、それをつなぐ言葉など、ありはしない。


 哲学者には哲学が、音楽家には音楽が見えるが、それ以外の人々にとって、それらは、そよ吹く風と、何ら変わりはない。

 

 ぼくらは、同じ現実を分け合ってなどいない。世界は無数に分断され、乖離している。物質のセカイ。物体のセカイ。小さなものたちのセカイ。流体と虚空と。見えるものと見えないものと。--そんな、無数の分類に、けれどーー。


「人のセカイしか見られないのなら、ヒトなどやめてしまいなさい。あなたはただの進化したサル。時間という


 ありもしない幻想を抱いて、文化という共同幻想の中に、ただ溺れている(だけ)。ヒトであることの意味をなくし、--その群れの中で、ひとりきりではないと安心してーーそうやって、ただーー」


「いくらでも夢を見ていていいのだと思っていた。けれどある日、それとは全く異なる世界の中に放り出された。

 

 --誰も、助けてくれなどしなかった。私は人の世界に絶望した。異なる価値観を受け入れられず、小さな世界観に浸りきって満足しているゾウリムシ」


 夢など見ない。

「あと五十年も生きて、あなたたちのようになるなんて、絶対にイヤ」

 朽ち果てるだけ。


「ひとは長く生きれば生きるほど賢くなるんだって、ずっとそう思っていた。だけど現実はどう?


 長く生きれば生きるほど、現実認識は曖昧に、より大雑把になり、何かを注視することもなく、自分の心で生きることもない。なにひとつ感動することもなく、誰かの価値観を使い潰して生きていく。


 --そんなふうに、わたしはなりたくない。どうやって、あんなくだらない人間になれるというの?


 自分の生きてきた世代を、まるで絶対の神話のように語り、その世界から出たがらない。社会を絶対のものであると信じ、自分には価値があると信じているーー笑わせる。ただの一袋の肉のくせに!」


 「マリー、言い過ぎ・・・」

 サーフィスが遮ろうとする。マリーは叫んだ。

「言葉など通じない! 心などないッ! 他のあらゆる動物と心は通じるのにーー人間にだけ、それがない」


 「マリー。この世界は、見るに値しないのか?」

「・・・・・・・・・・あるわ。あるわよ。私は、生き延びてみせる。まだ死なない」


 ”精神にそそのかされるまま、私はペンを手に取る。

 そして書き始めるのだ。虚空のものがたりを。”


    ◆


 その部屋を出て、サーフィスは静かに扉を閉めた。

 どこかの窓が開いているらしい。そよ風が脇を通り過ぎていった。それに促されるように、彼は扉を一度振り返る。

 

 ーーままならない現実は、いっそ心地がいい。

 ひとつ伸びをして、歩き出す。


END

あとがき


 本だけで人間の愛情を与えずに育てると人はどうなるか。

 彼女は、本の中には「本当(real)」がないことに気づいてしまいます。そして何とかそこから逃げ出そうとするのですがーー。


 もうちょっと後半部分を直すと読みやすくなるのかなぁと思いますが、気力がありません…。

 読んでくださった方、ありがとうございます。

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