◆エピソード2 魔王の城と、歓迎される悪役令嬢
黒い霧に包まれて空を舞ったかと思えば、次の瞬間にはひんやりとした石畳の上に降り立っていた。重力を取り戻した足元が、確かに現実を踏みしめる。
「……着いたか」
仮面越しに低く響く声が、静寂を切り裂いた。
魔王は数歩進んでから立ち止まり、無言で仮面を外した。そして、全身を覆っていた黒い鎧も静かに脱ぎ捨てる。
その下から現れたのは――青い髪に真紅の瞳を持つ、美しい少年だった。
「なっ……!?」
言葉を失う私を余所に、彼はさらりと長い前髪をかき上げ、微笑する。
「意外だったか?」
「……いえ、というか、全然想像してませんでしたわ……!」
目の前に広がるのは、まるでダークファンタジーの要塞。漆黒の石材で築かれた荘厳な空間に、天井からは無数の魔石が浮かび、薄明かりを放っていた。壁の装飾も、どこか異国的で威圧感を伴っている。
「ここが……魔王城?」
恐る恐る声に出すと、魔王は静かにうなずいた。
「案ずるな。貴様の居場所は既に整えてある」
「……そういう問題ではなくてですわ」
声を震わせながら反論する私に、魔王――いや、今や鎧を脱いだその姿は、美しく整った顔立ちを持つ少年――は、まるで興味深そうに首を傾げた。その仕草にはどこか優雅さがあり、威圧感ではなく、不思議な引力を感じさせた。
「貴様は不満か? 妃と呼ばれることに」
「当然ですわ! 婚約破棄されたと思ったら、次は魔王の妃!? どれだけ波瀾万丈な人生ですの!?」
「面白いな、貴様は」
完全に他人事のように笑う魔王。私は深くため息をついた。
「はあ……せめて説明ぐらいはしていただけませんこと?」
「説明は不要。貴様は我が選んだ者。それ以上の理由が要るか?」
「要ります!!」
そんなやり取りをしているうちに、重厚な扉が開き、広間へと案内された。
そこには、魔族たちがずらりと整列していた。角を持つ者、羽根を生やす者、獣耳の少女――人間ではない者たちが、一斉に私へと視線を向ける。
「魔王様、ご帰還!」
「そして、クラリス様。ようこそおいでくださいました」
「……へ?」
予想外の歓迎に、思わず間抜けな声を出してしまった。
「王が選ばれし方を、我らは心より歓迎いたします!」
「妃様、お部屋はこちらにご用意しております」
「お着替えも、お食事も、お好みに合わせてございます!」
次々と話しかけられ、まるでお姫様のような扱いを受けている。いや、もしかするとそれ以上かもしれない。
(な、なにこれ……ゲーム原作にはこんな展開なかったはず……)
呆然としている私に、魔王がゆっくりと歩み寄る。
「クラリスよ。ここは貴様の城だ。遠慮するな」
「いやいやいや! 私、ただの悪役令嬢ですのよ!? 魔王の妃なんて、務まりませんわ!」
「……悪役、か」
魔王はぽつりと呟くと、真紅の瞳でじっと私を見つめた。その眼差しには、なぜか拒絶ではなく、興味と……微かな慈しみのようなものが含まれていた。
「貴様がどう思おうと、我が決めたことだ。貴様はここにいる価値がある」
その一言に、なぜか胸がざわつく。
(……こんなはずじゃなかったのに)
私はただ、断罪イベントを避けるために、三年間必死に生きてきただけ。その先に待っていたのが、魔王の妃になる未来だなんて、誰が想像しただろうか。
「ようこそ、我が城へ。クラリス・アルノー」
目の前に跪く魔王に、私は思わず言葉を失った。
こうして、悪役令嬢クラリスの第二の人生は、思いもよらぬ形で幕を開けたのだった。
◆続く