◆エピソード1 断罪と運命の逸脱
「……結局、こうなるのね」
煌びやかなシャンデリアがきらめき、赤い絨毯が敷かれた豪奢なホール。天井まで届く窓からは陽光が差し込み、金縁の壁画が荘厳な雰囲気を漂わせていた。そんな中、私は一人呆然と立ち尽くしていた。
目の前には、整列した貴族の子息たちと、美しいドレスを纏った少女たち。そして、その中央にいるのは、金髪碧眼の完璧な美貌を持つ王太子、レオン・ディアマント。
(……この展開、もう知ってるわ……)
記憶の奥底を掘り起こすまでもなく、私は知っていた。ここは乙女ゲーム『聖騎士と七つの誓い』の世界。かつて前世の私が夢中でプレイしたゲームの舞台。そして、私はその中で最も忌み嫌われたキャラクター、悪役令嬢クラリス・アルノーとして生きている。
(もう逃げられない……ここが正念場よ)
現実離れした景色の中で、否応なしに現実を突きつけられる。鏡に映る姿は、自分が最も避けたかった存在。高慢で我儘、嫉妬深く、ゲーム中でもトップクラスにヘイトを稼いでいた悪役令嬢。
私が、クラリス・アルノーになっている。
そしてここは、王太子の婚約破棄イベント真っ最中。ゲーム本編でクラリスがヒロインに嫌がらせを続けた末、公開断罪されるという最大の山場だ。
「クラリス・アルノー嬢」
レオン王太子の凛とした声が、荘厳なホール中に響き渡る。
「これまでの度重なる嫌がらせ行為、セシリア・ホワイト嬢への陰湿な仕打ち。これらは王族としても看過できるものではない」
周囲の視線が一斉に私へと突き刺さる。誰もが「当然だ」という顔をしている。
(き、来た……断罪イベント……)
この時点で、クラリスには逃げ道がない。王家との婚約を破棄され、貴族社会から追放され、最終的には辺境に左遷されてひっそりと人生を終える――それが原作のクラリスの末路だった。
私はその運命を変えるために、転生してからの三年間、あらゆる努力を重ねてきた。使用人には優しく接し、セシリアには決して嫌味の一つも言わず、陰口も封印。徹底して善良令嬢を演じてきたつもりだった。
(まさか、それでも足りなかった?原作の流れは、そんなに強固だったの!?)
「クラリス嬢、言い訳はありますか?」
レオンの問いに、私は震える足で一歩踏み出し、ゆっくりと膝を折った。
「いいえ、私はセシリア様に嫌がらせなどしておりません。ですが、もしそのように見えたのなら、私の配慮が足りなかったのでしょう。誤解を与えたことについては、深くお詫び申し上げます」
沈黙が落ちる。会場にいた誰もが、私が泣き叫び、醜く抵抗する姿を期待していたのかもしれない。だが実際には、私は低頭し、静かに詫びた。
(どう?これで少しは原作と違う流れにならない!?)
……だが。
「うう……クラリス様は……私のペットの猫にまで……!」
セシリア・ホワイト。原作ヒロイン。ピンク色の髪を高く束ねたポニーテールに、澄んだ緑の瞳。清楚な学園制服に身を包み、どこまでも無垢で優しく、周囲の人々を自然と惹きつける聖女。
そんな彼女が涙を浮かべて訴えれば、真偽など関係ない。場の空気が一気に私を断罪する流れへと傾いた。
(ちょ、何その展開!?猫とか知らないんですけど!?)
「これ以上の誤魔化しは通用しません、クラリス嬢」
「よって、王家との婚約はこれをもって破棄とする。クラリス・アルノーは王太子妃候補の資格を喪失し、王都よりの退去を命じる」
ざわめきと共に、私の人生が終わろうとしていたその瞬間――
ズンッ!!
地鳴りのような音が響き渡り、天井の一部が崩れ落ちた。
「な、何事だ!?」
「結界が……破られた!? 魔族の襲撃か!?」
騎士団が動き出す。貴族たちは悲鳴を上げ、会場内は一気に混乱に陥る。
だが、空間に広がる黒い霧は、彼らの誰よりも静かで、圧倒的だった。
その中心に、一人の男が現れる。
全身を黒い重厚な鎧に包み、鋭い輪郭の仮面の奥から真紅の瞳が光を放つ。その姿は、霧の中に現れた死神のようで、場の空気を凍りつかせる威圧感を放っていた。
「……騒がしいと思ったら、面白い見世物をしているな」
(ま、魔王!?原作には出てこないはずの……!)
「貴様、名は?」
「えっ……?」
「この我が問うている。名を、名乗れ」
「ク、クラリス・アルノーですわ……」
魔王と呼ぶにふさわしい風貌の男は、私の名を聞くと満足げに笑みを浮かべて言った。
「そうか。ならば今日から、貴様は我が妃だ」
「………………は?」
「連れて行け」
次の瞬間、黒い霧が私の体を包み込み、私はふわりと浮き上がった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし!? 私、今、婚約破棄されたばかりで――」
「それがどうした。元より貴様にふさわしい場所は、あのような退屈な城ではあるまい」
「話が飛躍しすぎですわーーーーー!!」
貴族たちの絶叫と悲鳴を背に、私はそのまま魔王と共に消えた。
――こうして、悪役令嬢クラリス・アルノーは、破滅の断罪を回避……というか、完全に想定外のルートへと突入した。
(え、これって……ハッピーエンドって言っていいの!?)
◆続く