ざまぁみろと、心の底から言えたならよかった
2024.06.24 17:43現在:誤字訂正
※誤字報告大変助かります、ご丁寧にありがとうございます。
読み直しているつもりですがままならず申し訳ないです、精進いたします!
「ざまぁみろ、……っ」
全て上手くいった。計画通りに、何の抜かりもなく。
コリンヌの婚約者である第一王子エミリアンがここ一年べったりと恋仲の様を隠すこともしなかった男爵令嬢のアンナをすっかり信じ込み、お粗末な計画でコリンヌにあらぬ罪をきせて婚約破棄を目論んでいるとの情報が耳に入ったのは一ヶ月程前。その計画の内容を聞けば聞くほど人ひとり、しかも宰相の座に就く公爵の娘を追い落とすには穴も穴だらけ、防ぐ方法など幾らでもあった。
実際に事の当日コリンヌは断罪されることもなく、婚約破棄という傷は負ったが明らかなる瑕疵が相手側にあると誰が見ても分かる形で証明できたから、コリンヌの身分から見てもこれから先何十も離れた相手の後妻に入ったり修道院入りという未来は起こりえないだろう。
けれど、コリンヌの表情は言葉とは裏腹に清々しさも喜びもない。
「皆様、お騒がせして申し訳ございません。本日は下がらせていただきます」
惚れ惚れするようなカーテシー。肩に落ちる艶やかな黒髪のその一本ですら美しく、先程までの騒動など微塵も感じさせない去り際をうっとりと追う視線は多い。上手くやりぬいた娘に明日から殺到するだろう釣書を思ってアンベール公爵はしたり顔だ。
馬車までのエスコートを辞退してヒールの音を夜風に響かせながら歩く、と言ってもたかが知れた距離。コリンヌの帰りを予測していたように門前にぴたりと張り付いた公爵家の家紋の入った馬車に侍女が迎え入れてくれた。揺れることもなく滑るように走り出した馬車の中。
「お嬢様…。もう、構いませんよ。ここには私しかいません」
コリンヌを幼い頃からよく知る侍女ソフィが優しく傍に寄り添うと、柔らかな掌が強張った背中を優しく摩る。掌が三往復、背中を行ったり来たり。表面張力でギリギリ保っていた水位がその優しさに決壊して、くしゃくしゃに歪んだ顔を水浸しにしていく。
完璧で美しい黒薔薇姫と謳われる公爵令嬢の鎧をはぎ取れば、中はまだ成人も迎えていないうら若き少女だ。
「っ、ざまぁ、みろ…!私を陥れようなん、て、あの、頭の足りないっ、王子と…っ、花畑、女では…百年、早いのよ…!何が、真実の愛よ、何が、運命を引き裂く悪女よっ、いつ私があの女に手を上げたって、言うのよ………ばっかみたい…っ」
嗚咽や鼻を啜る音に交じって吐き出される音はお世辞にも綺麗とは言えない。公爵令嬢としてはマイナスもマイナス。けれどソフィは何を言うでもなく優しく優しく背中を摩り続けている。コリンヌの胸につっかえていて漸く決壊し始めた心の内を全て吐き出させてやるように。
「……っ、それでも……私、…っ……好きだったの。大好きだったの。あんな男でも。私にとっては、……それが、真実の愛で、運命だったのよ」
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エミリアンとコリンヌの出会いは今から遡ること約十年。国の発展と確固たる地盤固めのためコリンヌが産まれたときから決まっていた婚約者との顔合わせに登城した昼下がり。美しい薔薇が咲き誇る庭園で両家の母親を連れ立っての顔合わせは苦々しいものだったと今でも鮮明に覚えている。
「ふぅん、まあ、悪くない顔だな。僕の子分にしてやってもいいぜ」
六歳の男児としては、まあ、なくはない第一声。ただ第一王子が公爵令嬢に、婚約者に対して放つ言葉としては落第点だ。特にコリンヌは思考の発達も抜きんでており大人っぽいと称されることも多く、故にエミリアンの言動や立ち居振る舞いは正直眉を顰めてしまうのも致し方がない。そんな最悪ともいえる出会いから始まったふたりの交流は、周りの心配をよそに思いのほか順調に進んでいくことになった。
「おい、コリンヌ!馬屋に生まれたばかりの子馬を見に行くぞ、付いてこい」
「エミリアン様、お待ちください。もうすぐ先生がお見えになります」
「うるさいうるさい、僕は今子馬が見たいんだ、子分ははいって付いてくればいいんだ!」
エミリアンはむんずと断りもなくコリンヌの腕を掴むと、口煩い家庭教師の到着よりも前に馬屋へ向かって歩き始めた。今に始まったことではない行動にコリンヌはこれ以上の苦言は意味をなさないことを知っているので諦めたように腕を引かれたままにする。
エミリアンの傍若無人な振る舞いで手を焼くものの中に使用人や家庭教師と共に名を連ねることになったコリンヌだが、唯一違うことがあった。それはコリンヌが困り顔でエミリアンを見上げると少しだけ、ほんの少しだけコリンヌに譲歩する姿がみられること。
「エミリアン様、少し痛いです」
「……っ!このくらいのことで、軟弱な奴だ!………子分のくせに」
「エミリアン様のように鍛えられていなくて申し訳ありませんわ」
いつものように困り顔でエミリアンを見上げると、ぶつくさと悪態をつきながらも腕にかかっていた力は弱くなる。しかし素直に謝罪なんて高尚なことをできるはずもなく、コリンヌの腕からそろりと手を引いたまま行き場を失った。そんな掌にコリンヌがそっと上から自身の掌を重ねると、ぴくんと少しだけ震えるそんなエミリアンの様子がコリンヌにとって愛おしいものに変わるのはそう時間はかからなかった。
「軟弱な子分ですので、こうやって優しく繋いでくださると嬉しいです」
「……っ、し、仕方ないな」
わざと怒ったように眉を吊り上げてみせても強がりなことはコリンヌには伝わっていたが、そんなこと露ほども見せずに「ありがとうございます」と微笑めばこれ以上強引に振り回されない。まだまだ年端の行かぬ子供の手管に大人たちは驚きつつも良い婚約者に恵まれたと、これで安泰だろうと胸を撫で下ろす。
コリンヌの努力でふたりの仲は緩やかながらも将来が悪くないものになると感じられる程度には進んでいたように誰もが思っていた。歳を重ねるごとに傍若無人さは取り繕えるようにはなり、短絡的で頭が良いとはお世辞にも言えないエミリアンだったが、知性も人格も持ち合わせたコリンヌが支えることで共に国を導いてくれるであろうと王も王妃も誰もふたりの関係を憂うものなど居なかったのだ、王都の学園に入学するまでは。
「コリンヌ様。…また、殿下とあの男爵令嬢が…」
「ええ、聞いているわ」
「あのまま放っておいてよいのですか」
「…」
貴族が十五歳になると門をたたく学園で暫くしてからある噂が立ち始めた。王子が男爵令嬢に惚れ込んでいる、という内容から始まったそれはエミリアンが否定しなかったことで学園全体に広まり一週間もしない内に既に恋仲になった、街をふたりきりで散策しているのを見た、果ては口付けをしているのを見た、という品のないものまで蔓延していく始末。
「エミリアン様、程々になさってください。噂は貴方様の耳にも入られているでしょう」
「……うるさいな」
「そうおっしゃらないでください。私は貴方様のお立場を心配して」
「うるさい!!また僕を見下しているのか!心配なんてこれっぽちもしてないくせに、煩わしいんだお前は昔から!僕に話しかけてくるな…!」
「……っ!」
コリンヌは一度苦言を呈してみたものの、今まで見たことの無い形相で睨みつけられ怒鳴られてから言葉をかけることは無かった。いや、できなかった。それに味を占めたのか、学園の中で寄り添うことを隠そうともしなくなったふたりに反比例するようにコリンヌの周りから仲の良い友人以外は去っていく。貴族は計算と打算の世界、コリンヌに取りいっても利は無いと判断したものたちはこぞってアンナを持ち上げ始めた。当然プライドのある高位貴族、特に令嬢たちは男爵令嬢如きに侍るなど絶対にあってはならないと近づくことは無かったが、かといって表立ってコリンヌを守ることもなく静観するだけ。
――そしてあの日を迎える。
「コリンヌ・アンベール!貴様との婚約を今ここで破棄する!!」
そんな宣言と共に。
エミリアンとアンナのお粗末な企みにくだされた判決は国王や王妃との話し合いの場を持たれたのち、一週間の速さで公示された。エミリアンは断種の上、王位継承権を剥奪。アンナはこの国で最も厳しいと言われている北の修道院入り。
エミリアンの王位継承権が無くなったことを知ったアンナはすぐさま態度を変え、取り調べで自分は騙されただけだと取調官にしなだれかかり取り入ろうと急いたことで猶予や情状酌量など与えられる間もなく早々に北へと送られていった。真実の愛だ、運命だと聞こえの良い言葉でふたりの関係を称したにもかかわらず呆気ない裏切りの顛末を聞いたエミリアンは周りの想像とは違い「そうか」とだけ返したそうだ。
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刑が決まった日の夜、コリンヌは目深にローブを被り牢の前にひとりで訪れる。一週間ほどですっかりやつれたようにも輝きを失ったようにも見えるエミリアンは質素なベッドの上で背中を丸めていたが人の気配を感じ、ぐっと背筋を伸ばした。ギリギリ残った最後の矜持なのだろう。
「……あの日ぶりですね」
「………何の用だ」
「断種されて、王位継承権を剥奪されると聞きました」
「っ!馬鹿にしに来たのか!」
「されても当然のことをした自覚はおありではありませんか?」
「う、るさい!そう言うところが大嫌いだったんだ、昔から。馬鹿にすればいい貶せばいい、僕は一代限りの男爵となるからな。公爵令嬢のお前ならなじろうが何しようが咎められることは無い」
「……そうできたなら、よかった」
「……?」
「ざまぁみろと言ってやるつもりだったんです、私」
その言葉にぴくりと反応を見せたエミリアンだったが、コリンヌの言葉を遮ることなく床をじっと見つめているだけ。
「……ざまぁみろと心の底から言えたなら、どんなによかったか。………貴方様は私のことが大嫌いだったとしても、……私は、貴方様のことが大好きでした。もう随分前からお慕いしておりました」
「………え」
そんなの嘘だ…音にならず唇だけが動き、屈辱に塗れ歪んだ表情で睨みつけていたエミリアンの瞳が驚きで丸くなる。ここ一年憎々しげにコリンヌを見るエミリアンの顔しか見ていなかったため、幼さを取り戻したような表情に思わず頬が綻んでしまうのは場違いと理解しつつも仕方ない。
「傍若無人で偉そうで直ぐに命令ばかりして、何とか勉強をさぼろうとして怒られて。好き嫌いも多いしエスコートもダンスもいつになっても上達しない。長く交流を深めてきたはずの私より甘く可愛らしいあの方にすぐに心を許し、よく調べもせず一方の証言を信じて杜撰な計画を実行してしまう愚かな人」
幾らでも出てきそうなエミリアンのどうしようもないところ。大好きのあとに告げられるものとしては相応しくないだろう評価にエミリアンは口を挟めない。どれもこれも本当のことだから。故に大好きに繋がる訳がないと聞き間違いだったのかと思い始めた頃。
「けれど私が本当に困ったときはきちんと譲歩しようと心を砕いてくださった。大好きなマドレーヌがおやつに出た時は嬉しそうに食べるくせに私にも食べきれない程たくさん分けてくださった。剣を振り回すのが好きで言語学や政治学は大の苦手だけど、隠れて夜遅くまで勉強していたのも知っています。……思ったように成果は出なかったようですが」
「……うるさい」
「うるさいと言いながらも私の言葉をきちんと聞いてくださっていた貴方様が大好きでした」
その言葉にエミリアンはうるさい僕に話しかけるなと決別した日を思い出していた。
別に言葉にしたほどエミリアンはコリンヌを嫌っていたことなどない。ただ、エミリアンにコリンヌは眩しすぎた。品行方正で成績も容姿すら持ち合わせた王国きっての才色兼備、黒薔薇姫と謳われるコリンヌの光にあてられて残念ながら少しばかり剣の腕がいいだけで次期国王としては足りないことばかりのエミリアンの影は濃く暗くなるばかり。
引き金となったのは日々の勉強から逃れた先でいつの間にか仲良くなりはじめたアンナからの密告。「コリンヌ様がエミリアン様の成績のことで先生と…」「女性だけのお茶会でエミリアン様のこと…」日常会話に差し込まれるそれらはエミリアンのコンプレックスを上手く突くものだった。
昔のように腕を捕まえてコリンヌをひっぱり対話をするだけでよかったのにエミリアンは逃げた。事実であると認められることが怖かったから。
アンナといるのは楽で気負うこともなく、漸く光の当たる場所に出られたような感覚で満たされている。その光に満たされている間に、道を見誤りまた再び真っ暗な影に真っ逆さま。
あの日決定的に違えた道は今はもう背中を向けて歩き出すほど正反対を向いている。コリンヌの気持ちをエミリアンが知っていれば話は変わったかどうかは最早過ぎたること、神にすら分からない。自身の気持ちを過去形にして告げるコリンヌの瞳の奥にはまだ燻った思いがある。
「最後に餞別を。きっと男爵領では辛いことも多いでしょう。今回のことは大々的に国民に知らされています。きっと非難の目は避けられない。それに領主代理が何とか治めてはいますが、実りも少なく貧しい土地と聞きます」
「…」
「まずは領主代理に頭を下げて仕事をきちんと習ってください。商人の出と聞きましたが、男爵領出身でこよなく土地を愛している誠実な方だそうです。不勉強を詫びて一緒に男爵領を盛り立てていくよう助力を仰いでください」
「……コリン、ヌ?」
餞別と称して続くのはやっぱり恨み節でも蔑みでもなく、具体的なアドバイス。幼い頃からエミリアンが家庭教師から出された宿題に行き詰まるとコリンヌは傍で手を差し伸べてくれた、自力で立ち上がれる程度に。あの頃は手っ取り早く答えを教えてくれたらいいものをと悪態をつくばかりで感謝のひとつも告げたことは無かった。
「エミリアン様の赴く男爵領は南に位置し、農業で生計を立てているものが殆どです。ただ日照りや水不足が深刻で思ったように実りにつなげられない年もやはり出てしまう。簡単なことではありませんが、水路の確保と暑さに強い品種を模索してはいかがでしょう。我が国よりも南に位置していても豊作の土地は幾らでもあると聞きます」
「お前、なんで…そんなこと」
「既に代理の方も検討はしているでしょうが、中々情報も乏しい場所です。いくつか参考になりそうな書物と南と深く繋がりのある商人を紹介しましょう。私にできることはここまでですが」
「……お前は、馬鹿なのか」
「……え?」
「愚か者はどっちだ。僕に何をされたのかもう忘れたのか。国きっての才女が聞いて呆れる記憶力だな」
お粗末な計画を簡単に見破られ逆にしてやられ、あまつさえお情けをかけられる。惨めでならないと下唇を小さく噛んで震える拳に気取られないように悪態で返す。そんな悪態もどこ吹く風のコリンヌはふんっと鼻ひとつで笑ってやった。
「勘違いしないでください。幸せになって、なんて言うつもりは私には毛頭ありません。ですが自分の愛すべき故郷がまるで島流しの先のようだと言われているにも等しい男爵領の民が哀れですから。……貴方様が今度は必ず幸せにしてあげてください。この国の民すべてはできなかったとしても、せめて男爵領のものだけでも、エミリアン様のお手で」
エミリアンの肩に国は重すぎた。それでも小さな男爵領の民だけでも死に物狂いで幸せにして見せろとコリンヌは望む。ゆっくりと鉄格子の一本にコリンヌが手を伸ばし握りしめるとひんやりとした冷たさが肌を伝った。その冷たさが体温を奪い鉄と肌との境目が分からなくなったころ、ゆっくりと言葉を刻みつけるようにコリンヌは告げる。
「ひとりの女も幸せにできないような方には難しいかもしれませんが。……もし、もし……生きている間に少しでも男爵領の民の喜びが耳に入ることがあれば、……今回のこと、許してあげます。なんとかあの方の修道院を男爵領の近くに移動できないか掛け合うことだってしてあげましょう、だから」
「そんな必要はない。許さなくていい、…許さないでくれ。……そうしたら、お前は……」
今更気付いてももう遅い。アンナの密告の真偽を確かめられなかったのはなぜか。
続く言葉を呑み込んでエミリアンはコリンヌの前にゆっくりと立ち上がる。鉄格子越しに蝋燭の灯りで照らされたコリンヌにエミリアンは深く深く頭を垂れた。
「…………、…………申し訳、ありませんでした」
「……あら、明日はきっと雪が降りますね」
「っ、……うるさい」
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短い密会を終えてあの日と同じように馬車で待っていたのはソフィ。誰にも見られぬように馬車に乗り込んだコリンヌを迎え入れて、ゆっくりと進みだす。車輪が回転するごとにコリンヌの脳裏にはエミリアンとの十年分の思い出が走馬灯のように駆け巡る。
「嫌いになるには情が深すぎた。ただそれだけ。あんなことされて、想い続けられるわけないでしょう。きっとそうよ。……ねぇ、そうでしょう」
コリンヌの頬に一粒だけ零れた涙は、きっと直ぐに乾く、はず。
最後までお読みいただきありがとうございました。
まだまだ拙い文ですが、日々精進してまいりますのでよろしければまたお立ち寄りください。