7.愛しの蝶蜻蛉
※残酷描写あり
魔王同士の決闘は至って簡単、相手の魔王城を破壊して、完膚なきまでに屈服させた方の勝ちだ。
ジグの愛用する武器が破砕鎚なのは、戦闘狂らしく、いずれ仲間のはずの魔王とすら戦おうと企み、相手の魔王城を破壊する気満々だったから。
ジグの追撃、ハンマーの鋭利な先端による一撃は、グラス・ホッパーが愛するウィング・インセクトの頭脳部の天井を粉砕して、魔王城そのものを傾けた。
「いやあぁぁぁぁっ!! 化け物よぉ!!」
「っ退きなさい、邪魔よ!!」
ハーレムの女達は逃げ惑い、我先にと開け放された扉から脱出ポッドの方へ逃げていく。
お気に入りだった二人は、蝶系の蟲人特有の飛行能力で真っ先に逃亡済みだ。
グラス・ホッパーのことなど、振り返りもしなかった。
──割り切った遊びの関係だけどさぁ、そりゃないよぉ。
Vネックの白いシャツに黒いボトムス、いつもの甲冑どころか素朴な軽装の次元魔王は、超重量級のハンマーを抱えたとは思えない軽やかさでグラス・ホッパーの前に舞い降りる。
その背で展開する青い光の羽は、傷付いた天使のようで神々しくすらあるが、やってることは邪悪そのものだ。
グラス・ホッパーは魔王城の武装強化に秀でた、付与魔法を極めた魔王である。
手塩にかけて作り出した、このウィング・インセクトで主に空中戦を制してきた。
純粋な力比べでは四天王でも最弱なのだ。
奇襲されて司令部に入り込まれたら、単体での戦闘力が低く、得意な魔法は補助系、根っからの芸術家肌なグラス・ホッパーには勝ち目がない。しかも相手は戦闘狂……。
せめて、女達が逃げる時間くらいは確保しようと、やけくそで立ち向かう。
「この、裏切り者、王国の面汚しめぇ、オレのユニークスキルを食ら」
『ブックマーク:カテゴリ6:局地限定封印魔法:哀れな標本の嘆き』
黄色い光が放たれ……全身から力が抜ける。
刹那、グラス・ホッパーは見えない障壁に磔にされていた。完全に魔力が封印されているからか、ユニークスキルはおろか、簡単な魔法の一つも発動できない。
ジグのように肉体を鍛えたことすらない、貴族階級の優男に抵抗する術はなかった。
「……せめてもの慈悲です。殴打、水責め、目玉の踊り食い……特別フルコースを食らわせて差し上げましょう」
ハンマーを持っていない方の手、ジグの左の掌から、青い光とともにうぞうぞと目玉の集合体が涌く。
それは、例えるなら死体から発生する蛆の群れ。あまりの悍ましさに、グラス・ホッパーは情けない悲鳴を上げた。
「……それのどこに慈悲があるんだよぉ。状態が良くて綺麗なのが逆に怖えよぉ。ひっ、目が合っ、なんだよそのえげつない拷問……やめてくれ、命だけは助けてくれぇっ」
あれだけ可愛がっていた女達には見捨てられ、部下の兵士はやって来る気配すらない。
絶体絶命な状況に、怒りを通り越して笑いすらこみ上げて来た。
恥も外聞も捨てて泣き叫び、命乞いをする無様なグラス・ホッパーの前に、誰かが飛び出してくる。
「やめてっ!!」
グラス・ホッパーを庇うように、二人の男の間に割って入ったのは、副官の女性だった。
逃げた女の一人に突き飛ばされ、眼鏡は割れて、綺麗に纏めていた髪も乱れている。
それでも震える体で、両手を広げて恐ろしい次元魔王に立ち塞がっていた。
「この人は、本当は優しい人なの、侵略なんて大それたことが出来る人じゃない! 今はちょっとおかしくなってしまったけど、とても繊細で、他人のために涙を流せる人……だから拷問は、わたしが受ける。わたしを好きにすればいい!」
いつもグラス・ホッパーに冷たく、手厳しいだけだった副官が、捨て身で、必死に懇願している。
ちょうどその時、ジグが侵入してきた天井の穴から光が差し込んで、振り乱した彼女の後ろ髪を照らし出した。
グラス・ホッパーやジグを見れば分かるように、蟲人は自身の虫の特徴が髪に発現する。
たなびく彼女の長い髪は、黒から青紫に色を変える、美しい構造色だった。
はっと息を飲む。
グラス・ホッパーが誇れる唯一のもの、魔王城と同じ色。
──そうだ、彼女は、チョウトンボの蟲人だった。
グラス・ホッパーの胸の奥でなにか硬い蓋が外れたように、熱い感情が噴出する。
ある時急に失われた熱を、大切な記憶を取り戻そうと、奇跡を求めてがむしゃらに魔導を追求し始めた。
血を吐く努力の末に若くして魔王の高みへと至ったのだが、胸の穴は塞がらず、取っ替え引っ替え美女を求めて。
どんなに遊んでも、享楽に耽っても満たされることはないのに、肉欲の快楽に、一時の情欲に逃げた。
こちらの変化を知ってか知らずか、ジグは無情にもゆっくりとハンマーを振り上げる。
彼女の体が強張ったが、それでも決してグラス・ホッパーを見捨てようとはしない。
パリン。
自分ではなく彼女が……愛しの蝶蜻蛉が危機に面したことで、なにかが割れる音が頭の中に木霊した。
ぐっと脚に力を込め、人より強化されたバッタ系蟲人特有の脚力で、体の限界を無視して床を蹴り砕き、反動で体を跳ね上げる。
足の骨も砕けたようだが、構わなかった。
「…………リベルラ!!」
──どうして忘れていたのか。彼女はオレの、グラス・ホッパーの……いや、真実の愛を見失い、淫欲に溺れた愚かな男の、婚約者じゃないか!
磔にされ、指一つ動かせなかったはずの男は、自力でユニークスキルを打ち破ると、彼女を庇いジグの前に躍り出て……そのまま横っ面をハンマーで吹き飛ばされ、放物線を描きながら、固い壁に叩きつけられる。今度は体が半ばめりこんで、物理的に壁に磔状態だ。
「……ガラード!!」
……リベルラが、泣いている。違う。ずっと、ずっと心の中で泣いていたんだ……。
……グラス・ホッパーが……ガラードが泣かせてきた。こんな攻撃なんかより、何倍も心が痛かったはず……なのに、こんな愚かな男を、見離さないで側にいてくれた……。
「……いっそ、殺してくれ」
ジグは痛ましげな顔で、ガラードとの距離を一瞬で詰めると、青い光を放ち、全身骨折で重傷の、特に痛む腫れ上がった顔にあり得ない威力の水流を浴びせかける。
ただ、水そのものは冷たく澄んでいて、綺麗なものだった。
息もできず咳き込むガラードの下顎を押さえ、手荒に、驚きの速度で目玉を口に大量に捻じこみ、噛む力もなくした顎を複数回殴って無理矢理咀嚼させ、再びの水流で強引に喉に流し込む。
……痛いし、青臭いし、苦い。思ったより硬い。水の勢いが強すぎて呼吸ができない。
後味も最悪だが、毒はないようだ。
それどころか清らかな水と合わさって、表面から、内側から、穢れきった肉体が浄化されていくのを感じた。
「ガラード、ガラード! いやよ、目を開けてよ……」
ようやく追いついたリベルラが入れ替わりで離れたジグには見向きもせず、哀れなガラードに縋りつき、名前を連呼する。
呼びかけられる毎に、大切な記憶が次々と蘇り、苦しいほどの想いが、涙と共に溢れてきた。
────病気の母親のために、寝る間を惜しんで働く頑張り屋で優しい君を好きになった。
闘病も虚しく母を亡くし、涙に暮れる君を慰めたこともあったね。
心が通い合ってからも、伯爵家の跡継ぎには自分のような身寄りのない庶民の女は相応しくないからと、求婚を固辞する君に、何度も愛の言葉を囁き、心からの愛の歌を捧げた。
ようやく頷いてくれた君に永遠の愛を誓って、結ばれて……綺麗な瞳から、嬉しそうに涙を流す君を、リベルラを全力で守りたいと思ったんだ。
堰を切ったように涙が溢れて止まらない。
……こんなにも愛しい人を、どうして忘れて、裏切ってしまったのか。
「リベルラ、すまない……すまない。君を守ると、一生愛すると誓ったのに……!!」
「……思い出して、くれたの?」
『ブックマーク:カテゴリ1:小範囲回復魔法:治癒』
『ブックマーク:カテゴリ3:広範囲転移魔法:旅する橙色』
微かな白い光に癒されたあと、記憶を、愛を取り戻した男女は、緩やかに落ちて行く魔王城ごと、夕焼けの空のような優しいオレンジ色に包みこまれた……。
────『淫欲魔王』撃破完了。




