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6.『淫欲魔王グラス・ホッパー』

「だから、あなたはいちいち大袈裟なのよ! これをあげるから、ほら、涙を拭いて」

 

 サクヤは桜の花びらの刺繍を入れた手巾ハンカチをジグに押しつける。

 自信作のお気に入りだが、泣いているジグを放っては置けなかった。


「ありがとうございます。ぼくはサクヤさんに貰ってばかりですね。……お返しをしなければ」


 ちらほらとサクヤの手伝いに花人が集まって来ていたが、侵略者のジグを警戒したのか遠巻きにしている者もいた。ジグは自分がいない方が良いと判断したのだろう。


「サクヤさんは、まだお忙しいのですよね?」

「えぇ、まだまだ作らないと」

「ぼくは手伝えない」

「まあ、神事だから、この儀式は花人じゃないと……」

「なので今の内に、他の魔王をぶっ倒して来ますね!」

「今から!? 買い物にでも行くみたいに軽く言ってるけど、相手も魔王なのよね?」


 サクヤは驚いて目を丸くする。


「大丈夫、今日の所は一人だけで、すぐ片付けて来ますから。……ああ、そうだ。じゃがいものとお水を少々、分けて貰ってもいいですか?」


 未だ涙目のジグに、イタズラを思いついた子どものように無邪気な笑みを向けられて、サクヤに断れる筈がなかった。


「好きにすれば?」


 ……ツンと突き放した言い方しかできない自分がつくづく嫌になる。




「すまんが、少し付き合ってもらえんか?」

 

 妙に急いだ様子のジグを、神妙な顔のブロスが呼び止めた。


「魔王を倒しに行くそうじゃが、その前に話したいことがある」

「いいですよ。どうせそんなに時間をかけるつもりはありませんから」


 サクヤに聞かれないようにだろう、人気のない場所に移動してから、あらためて二人は向き合った。


「もう気付いていると思うがな、あの子は、サクヤは特別な花じゃ。誰よりも強い浄化能力を、自身の花や枝を細密に操り戦う力を……かつて失われた女王と貴種の力を併せ持って産まれた。神饌の儀は本当なら花人が総出で行う大規模な儀式。一人で行うことが出来るのは、あの子だけじゃ」

「でしょうね。ぼくのような馬の骨に奪われて良い方ではなかったはず。……でも、ぼくはもうサクヤさんを手放せません。あの方なしでは生きられないのです」


 ブロスは苦虫を噛み潰したような顔で首を振る。


「お主なしで生きられぬのはあの子の方じゃ。さっきは邪魔が入ったが、サクヤはお主しか愛せぬと説明したじゃろ。花人は自らの心を変え、肉体さえ作り変えると。伴侶との連動、いや、一方的な同調とでも言うのじゃろうか。花人は特別な花から、相手の唇から読み取った遺伝情報を元に、確実に次代を産むために、相手の種族に合わせて己を変える──寿命さえもな」

「……まさか」


 使い魔契約の話をした時の、サクヤの複雑そうな表情を思い出したのか、ジグは瞠目した。


「花の国では、夫が妻に先立たれることはあっても、妻が夫に先立たれることはない。伴侶が死ぬと同時に花嫁の命も尽きるからじゃ。サクヤが花びらの儀を受けた時から、わしはお主にサクヤを……この国の命運を託すしか、なくなった」


 ブロスは膝を折り、顔を地面にぬかづいて土下座する。


「お主が強いのはわかっておる。じゃがな、わしはお主の言動から闇を──自暴自棄に近い、己を顧みぬ悲しみのようなものも感じ取っておった。くれぐれも、無茶はしないでほしい。サクヤの命を散らさないでくれ……!!」

「顔を上げてください」


 ジグは片膝をついてブロスに手を差し伸べた。


「ご助言、ありがとうございます。さすがはサクヤさんのお父様、ご慧眼ですね。ぼくは先ほど家族も友もいないと言いましたが……劣悪な環境で皆死んでしまい、ぼくだけが生き残ったんです。悲しみや思い出は硬く蓋をされ、守りたかった者は亡くなったのに力を求めた。──サクヤさんの一撃は鮮烈でした。ぼくの頭のもやを晴らしてくれた。自分の弱さのせいで戦いに狂ったぼくを正して、戦うことに意味を与えてくれたんです」

 

 二人で手を取り合い、立ち上がる。

 先ほどまでのよそよそしさは、もう完全に消えていた。


「ブロスさん。淫欲魔王を倒して、ぼくは必ずここに戻ってきます。でも、花の国の儀式も作法も全然わからないままなのです。サクヤさんにご迷惑をかけないように、今後もご教授お願いできますか?」

「ああ。教えることはまだたくさんあるからのう。……待っておる。サクヤを頼んだぞ、ジグ」


 初めて互いの名を呼び合う義父と娘婿。

 二人の間に言葉はもういらない。

 ジグは戦地へ、大荒野の空へと向かい、ウィクトルは相棒の後ろ姿を見送った。


*******


 『魔王城』とは。


 貴重な触媒を使い、大掛かりな儀式魔法を組み上げて、魔王が一から創り出す移動式の要塞のことだ。

 見た目や性能は製作者の性格、深層心理、想像力イマジネーションなどに左右される。

 そして『淫欲魔王』の名を冠するグラス・ホッパーの魔王城は、優美な蝶蜻蛉チョウトンボの形の飛行要塞だった。


 昆虫で随一の飛行能力を誇る蜻蛉の一種でありながら、蝶のように優雅にひらひらと舞うチョウトンボは、機能性ではなく華やかさ優先の淫欲魔王の性質を具現化したかのよう。

 魔王城『愛しの蝶蜻蛉(ウィング・インセクト)』は花の国を目指し、大荒野をゆるゆると飛翔していた。


 陽気な音楽が鳴り響く、豪華な司令室。

『玉座』という名の操縦席で、ギラギラと派手な照明に緑の髪を煌めかせた青年は、見目麗しいがどこか軽薄な印象を与える。

 鉄壁の要塞を襲うものはないと安心しきり、着崩した軍服姿で、両脇には特にお気に入りのカラスアゲハとジャコウアゲハ、美しい蝶の蟲人を侍らせご満悦だ。広い部屋には人間や獣人問わず、様々な種族の美女が節操もなく集められていた。


「いいなぁ。今頃グリモ・ワールは花の国で美人をより取り見取り、選びたい放題だろうなぁ」


「はぁ、そうですか」と、気のない返事を返すのはグラス・ホッパーの腹心の女性軍人。

 ハーレムの華やかさ重視の美女達とは違って、美人だが地味な印象で表情も暗く、無難に整えた見た目はどんな種族かの判別が付け難い。

 強烈な明かりが作り出す深い闇に溶け込む髪、同色の瞳を隠すように眼鏡をかけた女性で、きっちり黒いスーツを着こなしている。

 どこにでもいる真面目が取り柄の秘書、といったところか。


「えっときみぃ、なんて名前だっけぇ?」

「個人情報です。セクハラ行為で訴えますよ」

「名前聞いただけで!? オレは君の上司だよ? じゃあ、なんの蟲人だっけぇ? 髪色からして蟻の仲間かなぁ」

「さあ、なんでしょうね」


 慣れているのか、軽口をのらりくらり受け流す。


「相変わらず、つれないよねぇ」


 グラス・ホッパーは肩をすくめた。

 彼女は堅物だが、仕事が出来るので副官として重用している。

 普段は面倒な書類仕事を任せているのだが、素っ気ない態度、グラス・ホッパーに靡かない姿勢が逆に面白く、好みのタイプでもないのに側に置いていた。

 女好きのグラス・ホッパーが手を出していないのは彼女だけ、いわゆるビジネス・パートナーだ。……堅物といえば。


「王様もねぇ、なんでオレを差し置いてグリモ・ワールを一番に差し向けるかねえ。美女揃いと評判の花の国だよぉ? あんな堅物よりオレ向きじゃんねぇ?」

「あなたがそんなだからじゃないですか。花人に魅了されて仕事放棄するか、かつての兵士のように骨抜きにされて土に還る未来しか想像できません。その点、次元魔王様なら必ずや任務を遂行されるでしょう」


 あまりの言いようにムッとする。

 図星をつかれると、人は反論したくなるものだ。


「いやいや、あーいうタイプはねぇ、一人の女にどハマりして道を踏み外すんだよ。案外今頃、仕事も放り出して絶賛お楽しみ中だったりしてねぇ。夢中になりすぎて王国を裏切らなきゃいいけどさー」


 ……適当に言ったでまかせの中に、真実が含まれているとはつゆ知らず、グラス・ホッパーはヘラヘラ笑う。


「士気が下がるような事を言わないでくださ……」


 ズゴンと。

 副官の呆れかえった声を遮るように、ビリビリビリと天井に衝撃が走り、音響機器が壊れたのか音楽が止まった。

 展開していたはずの結界も消えて……打ち砕かれている。

 ハーレムの愛人達が慌てふためく中、司令室と廊下を繋ぐ扉が開いて、詰めていた蟻の兵士が駆け込んで来た。


「グラス・ホッパー様! 次元魔王が……グリモ・ワールが襲撃してきました! 回線もなんらかの魔法で妨害され、孤立無援であります!」

「…………あの野郎、マジで裏切りやがった!! フラグ回収早過ぎだろぉぉぉぉぉっ!?」


 淫欲魔王の絶叫は二発目の、屋根を突き破る轟音にかき消された。


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