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5.神饌の儀

 男達が去り、残された三人は集会所の縁側で今後についてを会議する。


「お主は、なにかやりたいことはあるか? 資源の豊かな花の国に流れ着いた男は、元の国で叶えられなかった夢を叶える者も多いぞ。花嫁と牧場を経営する者、田畑を作る者、加工する者、職人に弟子入りする者、商売を始める者、様々じゃ」

「ぼくは戦う以外、なんの楽しみを持っていませんでした。ぼくには趣味も夢も、何もないのです……。魔法は一通り使えるので、なんでもやれと言われればやりますが」


 光の消えた瞳を見ていられず、サクヤは伴侶同士の語らいに口を挟む。


「呆れたわね。成りたいものがないなら、花の国でゆっくり探すといいわ。知り合いの旦那さんは、林檎の花木のお嫁さんと出会ってからお菓子作りに目覚めて、今では誰よりも美味しいパイを焼けるようになったのよ。……私も、手伝ってあげるから」

「そうじゃな。わしらの家に来るといい。伴侶候補の男を泊める施設もあるが、わしが直々に教えてやろう」

「こんな得体の知れない馬の骨を家にあげて良いんですか?」

「いいの。というか、自分をそんな風に言うんじゃないわよ。あなたはもう、私の伴侶なんだからね。シャキっとしなさい!」


 住む場所や、ジグの身の振り方を話し合って、ブロスとサクヤの家にジグを迎えること、しばらくはブロスがジグの監督役になることが決まった。

 ジグは花嫁のサクヤと、義父となるブロスに頭を下げる。


「ありがとうございます。お二人とも、今後ともよろしくお願いします」

「普通は花びらの儀の前に決めておくことなんじゃがな。まあ致し方あるまい」


 縁側に面した庭ではカササギの群れが集まり、ウィクトルを囲んでカチカチと囁き合い、挨拶を交わしているようだ。


 「良かった、ウィクトルも仲間に受け入れて貰えたようです。花の国にもカササギはいるんですね」

 「逆じゃ、逆。カササギは戦争時、蟲人の貴族によって花の国から持ち出され、大陸中で繁殖したんじゃ」

「そうだったんですか? では、ここはウィクトルの先祖の故郷でもあると。……これも縁、でしょうか」


 ジグは穏やかに微笑んで、不意打ちでサクヤの心がかき乱される。


「……知ってて連れて来たんじゃないの? 花の国ではカササギは神の遣いなのよ。挑発目的かと思ったわ」


 内心を悟られないようにわざと素っ気なく言う。


「知りませんでした。ウィクトルはぼくが子どもの頃に弱っている所を拾って治療して、それからずっと一緒なんです」

「なによ、その微笑ましいエピソードは……」

「カチ」


 サクヤが悶えていると、仲間への挨拶を終えたウィクトルが戻ってきた。

 サクヤの伸ばした手に止まり、どうしたの、とでもいうように小首を傾げている。


「可愛いわ。それに子どもの頃からの付き合いなら結構長生きよね。もしかして私より年上なのかも」

「ぼくと使い魔契約を交わしているので。使い魔は主人と寿命を共にします。でも主従ではなくて、僕らは死ぬまで一緒の相棒です」


 サクヤはなんとも言えない複雑な表情でウィクトルの頭を撫でた。


「……私も一緒よ。よろしく、ウィクトル──か、勘違いしないでね! ジグじゃなくて、ウィクトルに言ったんだから!」


 サクヤは顔を真っ赤にして言い訳したが、ジグは本心から嬉しそうに笑っている。


「な、なに笑ってるのよ!」

「好きと好きの組み合わせは尊いからです。ぼくばかりがこんなに幸せになって、良いのでしょうか」


 感極まって今にも泣き出しそうなジグに、サクヤは困惑した。


「限界オタクみたいなことを言っておるのう……。じゃれ合っとらんで、わしらもそろそろ挨拶に向かうぞ」

「挨拶、ですか? 誰に?」

「御神木よ」


 きょとん、としたジグにサクヤが告げる。

 集会場からも見える、国の中央にそびえ立つ大樹の方へ、案内するようにカササギの群れが飛び立って行った。


*******


 澄んだ水を湛える極大な湖。

 花の国に行き渡る水は全てここから発生するのだという。

 陽光を反射して煌めく湖の畔で、御神木は青々した葉をさざめかせていた。


 千年以上前から国を見守ってきた御神木こそ、花人にとっての神である。

 御神木に挨拶し、認められることが花人の伴侶の通過儀礼だと聞き、ジグは身を引き締めた。


 途方もなく大きな樹木は神々しく、威厳に満ちている。細い枝を幾重にも垂らした姿は柳に似ているが、その葉はジグの知るどんな植物のものにも当てはまらない、全く未知の木だ。


 そして年中花が狂い咲く花の国にあって、不思議なことに蕾はおろか花芽の一つすら確認出来ない。


「百年前、戦火から御神木を守るために最後の女王様は命を捧げ、一つになった。以来、御神木はほとんど花を咲かせることがなくなったと言われているの」


 ジグの疑問は顔に出ていたのだろう、サクヤが答えてくれる。


「……蟲人がすみません」

「産まれる前のことを、あなたが謝る必要はないわ。それに、女王様の最期に殉じた伴侶の方も蟲人だったそうよ……」


 御神木の葉が強くざわめき、ブロスとサクヤが揃ってこうべを垂れたのでジグもそれに倣う。


「御神木様、女王様。伴侶の方。ブロスとサツキが娘、枝垂れ桜のサクヤが花びらの儀を受けました。新たなる民が花の国の一本に加わる許可を。ジグ、あなたも挨拶をして」

「あの、初めまして。モルフォ蝶のジグと申します。えっと、その……サクヤさんをぼくにください!」

「……それはわしに言うべき台詞では?」


 緊張から上手い言葉が思い浮かばず、ジグは定型文テンプレートな結婚の挨拶をした。

 瞬間、御神木が桃色の光を放ち、ほろほろと零れる光が花吹雪のようにジグを包む。


「御神木が笑って、喜んでおられる。お主の挨拶をお気に召したようじゃな」

「安心しました……。御神木様、女王様。伴侶の方。末永くよろしくお願いします」


 最後に三人で拍手一礼をして、輝き続ける御神木の前を辞した。



「申し。サクヤ殿、よろしいか」


 御神木からほど近い建物から出て来た、白い布で顔を隠した若い女性がサクヤに声をかける。


 その頭に花はなく、瑞々しい御神木のものと似た葉が生い茂っていた。

 隙の無い佇まいからして、御神木に仕える神職だろうとジグは当たりをつけ、目礼する。


「此度のこと、被害は少なかれど民草の不安は大きく、災害認定されました。つきましてはサクヤ殿に“神饌の儀”を執り行っていただきたく……」

「謹んで引き受けさせていただきます」


 ……ぼくのやらかしのせいでサクヤさんにご迷惑が!? 

 ジグが内心焦っていると、ブロスがなだめるように肩叩いた。


「丁度いいからお主も見に行くといい。何かと儀式の多い花の国で、一番メジャーな儀式じゃ。サクヤが得意とするものでもある」


 戸惑いながら、ジグはサクヤについて行った。




 まだ誰もいない集会所の庭で、粛々と準備が進む。

 サクヤは紋白蝶の羽のように真っ白な薄衣を羽織り、白い布を髪に纏うと、御神酒で手と枝を清めて気合いを入れる。

 轟々と焚かれる炎の照り返しで赤く染まったサクヤは神秘的な美しさだ。神の声を聞くという巫女は、こんな感じではないかとジグは思いを馳せる。


「それでは、これより神饌の儀を開始します」


 自身の枝を炎に投じると、赤い炎が桃色へと変わる。炎の色を見て、サクヤは厳かに告げた。


「決まりました。本日の献立は豚汁です。材料をこれに」


 ──今献立って、ぶたじるって言いました?


 初めて聞く単語だがあまり神聖な感じがしない。

 やがて大量の豚肉と野菜、調味料、鍋や包丁などの調理道具が運ばれて来て、確信する。


「神饌の儀って、要は炊き出しのことですか?」

「全然違うわよ。神饌の儀は神事よ? 地震や台風なんかの災害時に、御神木の力を料理を通して分かち合い、絆を深めるの」

 

 白い布は三角巾、薄衣は割烹着エプロン代わりだった。……似合っているけど、すごく可愛いけど、なにかが違うような。


「どちらにしろこれだけの材料、一人で作るのは大変じゃないですか。ぼくも出来るならお手伝いをしたいのですが……」

「だから、この炊き出しは神事なの。私の務めに手出しは無用。黙って見てなさい」


 ……今炊き出しって認めましたよね?

 思う所はあるがジグが口を噤んだため、サクヤは作業を再開する。

 一度に百人分は賄えそうな巨大な鍋を、一人で抱えて桃色に燃えたままの火に掛けた。

 大岩の下敷きにされた時も、あの華奢な体のどこにそんな力が、と不思議に思っていたが、自在に操る枝垂れ桜の枝を外付けの筋肉代わりにして、身体能力を底上げしているらしい。

 サクヤの応用力の高さに、ジグの胸がキュンと高鳴り熱くなる。


「御神木の清きご加護を」


 サクヤが祈ると大鍋にこんこんと清らかな水が湧き、あっという間に満たされた。


「サクヤさん、魔法が使えたんですか?」

「花人には魔力はないわ。これは御神木の力をお借りしただけ。花人の必須スキルよ」


 疑問に思ってジグがブロスの方を見ると、案の定、首を横に振っている。


「普通はできん。精々コップ一杯、よくてバケツ一杯分じゃわい」

「……」


「干し茸で出汁を取っている間に、具材を洗って切っていく」


 サクヤが再び呼び出した水で、まだ泥にまみれたままの新鮮な野菜を洗う。

 一瞬で清められた根菜類は、ジグの知っているものと似ているようで全然違った。


「人参と大根が人型、玉葱が絵に描いた魂みたいな形なのはともかく、芋が目玉で覆われてるんですけど。しかも無駄に綺麗な碧眼です」


 サクヤが手に取った芋には無数の目玉が生えていた。

 見る方向もバラバラで、必ずどれかとは目が合う仕様になっている。控え目に言っても不気味だ。


人神にんじん大魂だいこんに、魂禰宜たまねぎ、これは破邪眼芋はじゃがんいも──通称じゃがいもよ。の部分には強い浄化作用があるけど、見た目が怖いし味も良くないから主に豚の餌にするの。どれも花の国では一般的な野菜よ?」


 ジグに説明しながら、サクヤは躊躇いのない手つきで包丁を使い、潤いのある白目ごと芽を落としていく。

 さらにサクヤは自分の手でじゃがいもの皮を剥くだけじゃなく、枝を増やして操作して、にんじんとだいこん、たまねぎの皮剥き、切断を同時に進行していた。サクヤの容赦のなさや器用な戦い方はこうした作業で培われたのか、とジグは納得する。


「そうそう、御坊ゴボウを笹がきにして水にさらしておかないと」

「……発音がぼくの知ってる牛蒡と違う気がします」

「深く考えん方がいいぞ。それがこの国で暮らしていくコツじゃ」


 ブロスの、先達の言葉は金言である。ジグは考えるのをやめた。


「炒めた豚肉と、野菜を入れてしっかり煮こむ」


 御神木の加護を受けた水、御坊、人神、大魂、魂禰宜、破邪眼芋に、破邪眼芋の芽を食べて育った豚。材料全てが清浄過ぎて、灰汁あくが生じる端から浄化されていく。

 たくさんの具材を投入して尚、澄んだスープに清純な白いもの、豆腐が追加され、さらにじっくり煮こむ。

 ……やっていることは料理なのに、一周回って厳かな儀式に見えて来た。


「豆腐を加えてひと煮立ちしたら、清酒に聖油しょうゆ、塩で味を整えて、さらに味噌を入れてよくかき混ぜる」

「しょうゆやみそは初めて聞く調味料です。花の国特有の物ですか?」

「そうよ。どちらも豆腐と同じ原料、魔滅マメを醗酵させたものなの。少し癖はあるけど外から来た人にも美味しいって好評なんだから」


 ぐつぐつと煮えたぎる豚汁からは、食欲を刺激するとても良い匂いが漂う。

 食にあまり関心のないジグでさえ思わず唾を飲み込む出来だ。


「仕上げに聖華しょうがを摺りおろして、禰宜ネギを散らせば完成よ」

「しょうがも当たり前のように形代……人型ですね。家庭料理といった見た目なのに、目が潰れそうな神聖なオーラを感じます」


 ジグもこれは神事だと認めざるを得ない。

 魔法使いの端くれとして、炊き出しとは、料理とは、儀式とは……とぐるぐる考え込む。


「はい、これ」

「……え」


 思考を中断するように差し出された朱塗りの盆には、出来たての豚汁を盛ったお椀が二つ並んでいた。

 赤いお椀には箸が、桃色のお椀には木の匙が添えられていて、外国人のジグにも食べやすいように、というサクヤの気遣いが感じられる。


「あなたのためじゃなくて、お父様のついでだからね!」

「……ぼくがいただいても良いんですか? サクヤさんの手料理を?」

「いいの! ジグはもう、御神木も認めた花の国の住人だから……」


 ジグは聖杯でも拝領したかのように、木のお椀を捧げ持つ。

 そのまま跪こうとしてサクヤに止められた。


「大袈裟よ。冷める前に、早く食べちゃって」

「ありがとうございます。……いただきます」


 移動する時間すら惜しみ、行儀は悪いがその場で立ったまま豚汁をいただくことにする。

 特に気になっていたじゃがいもを掬って食べると、初めてなのに何故か懐かしい味がした。

 幼い頃、数少ない炊き出しを友と分け合って食べたことを思い出す。

 ……なんてことはない、芋を蔓ごと煮ただけの粗末なスープだったが、皆で食べればご馳走だったのだ。


「……美味しいです」


 野菜の甘みと茸の出汁、味噌の旨味にしょうがの風味が渾然一体となった熱々の汁を啜る。

 肉を噛みしめる多幸感を味わいつつ、にんじんを飲み込めば胸の黒い淀みが吸われるよう、舌で潰せる柔らかさのたまねぎの甘さは、魂が洗われる心地だ。

 夢中で、全て食べ終える頃には全身を清流が通り抜け、流れ去ったみたいだった。

 体の中心が洗われたような清涼感と、心と腹が満たされる充足感に、気付いたら涙が溢れて止まらなくなっていた。

 

「こんなに美味しいもの、産まれて初めて食べました。ありがとうございます。……ご馳走様でした」


 豚汁を食べ終える頃には頭もすっきりしていて、ジグはこれから成すべきことが分かった気がする。


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