32.『耽溺魔王ブラック・メイカー』
サクヤの形骸化していたツンは、完全に瓦解した。
今朝も、ブロスが夫婦の肖像を撮った中庭で、二人の光画を撮影するため、笑顔でジグに寄り添っている。
いや、寄り添うどころか、身長差があることを理由にジグはサクヤをお姫様抱っこしていた。
いつものサクヤなら、顔を真っ赤にしつつも断る所だが、ジグに懇願されて受け入れたのだ。
誕生日さえ分からなくなったジグの、慎ましやかな望みは『思い出がほしい』だったから。
「師匠に家族のアルバムを見せて貰ったのですが、思い出を形に残せるって素敵ですよね。……こんな素敵な習慣、もっと早く知っていたら、神饌の義、初デート、神挿しの義、海を見ながらのお弁当、乙芽の祝祭に……たくさんの機会があったのに」
心底悲しそうなジグを見ていると、サクヤは──ついでにブロスも──申し訳なく思う。
ジグにアルバム……家族の思い出を見せるとなると、どうしてもサツキの話題に、サクヤの出生へと繋がってしまうので自重していたのだ。
なのでサクヤは為すがままになっている。
「……どう? 満足した?」
「はい! 庭でのツーショットは満足しました。自撮り風も良いですね!」
「そんな言葉いつ覚えてたの? 適応力高くない?」
「ぼくは好きなこと、気になったものは道を極めたいタイプだったようです。次は家族皆で撮りますよ。ささ、師匠とウィクトルも入ってください」
「オートで撮影が可能とか、先端技術じゃのう」
ブロスの許可を取り、家にあった光学機器の構造をざっと見ただけで、ジグはユニークスキルと触媒、アイテム作りのノウハウを駆使して、わずかの間に高性能高機能なカメラを作り上げていた。
「蝶々の羽ばたきだってバッチリ綺麗に撮れます」とは本人談で、サクヤはお試しの連写で牛乳から生まれる美しい王冠の過程を見せてもらい、思わず手を叩いて絶賛したほどだ。
他にも、飛び立つウィクトルの連続シーンは迫力があって格好良くて、元々カメラが好きだったブロスが食いつき、ジグと長々と語り明かしていた。
ジグもかつて趣味も夢もなにもないと、光の消えた瞳で言っていたのが嘘みたいに笑っている。
ようやく地面に降りたサクヤの後ろにブロス、ジグの肩にウィクトル、あるいは並びを変えて、とジグが空中に浮かせたカメラは新しい家族の肖像を次々に増やしていく。
休憩のため撮影が中断した隙にサクヤはジグに話しかける。指貫をはめた手で、髪飾りの蝶々を愛しげに撫でながら。
「ジグ。こんなにすごいカメラから、素敵な小物まで作れちゃう、今のあなたにだからこそ聞くわ。──なにかやりたいことは、成りたいものは見つけられた?」
ジグは顎に手を当てて考えた。
「ザーロさんと話して、防衛のための技術提供はこれからも続ける約束をしましたし、代わりに花の国固有種を使った魔法薬の精製方法を教わったのですが、魔法薬学って興味深い分野なんですよね。知ってました? マンドラゴラの代わりに花の国のだいこんやにんじんを使うと、効能が劇的に変わるんです。ああ、職人街の技術にも興味があります。職人さんの魔法では代用出来ない、細やかな仕事ぶりには脱帽です。畑を一から耕して、じゃがいもを作るのも楽しそうですし……」
「悩め悩め。それもおぬしの糧となる経験じゃ」
「とにかくやりたいことを全部やってみたら? 私も応援するわよ」
生まれたての子猫のような、ジグの青灰の瞳が好奇心にキラキラと煌めいている。
一つに絞りきれないぐらいやりたいことが出来たのだと思うと感無量だ。
「カチっ!」
一声鳴いたウィクトルはその翼でカメラを指し示す。
「ウィクトルは一足先に決めたみたいよ。あのカメラで大好きなものや面白いものをずっと残しておきたい、ですって」
「ではウィクトルが持ち運び出来るように改良しましょうか。小型化して、操作方法にも手を加えて、ウィクトルが扱いやすいようにしないと」
「首輪型はどうじゃ?」
「いいわね。ジグは実はセンスが良いもの。首飾りにしたらお洒落よ」
「カチィ!」
皆が乗り気になって、次々と提案するのでウィクトルも得意げだ。
「これからまだまだイベント……儀式は多い。ウィクトルの、カメラの活躍の場が増えそうじゃ」な
「今、国の重大な儀式をイベント扱いしませんでした?」
「年末には“清草の儀”、それに聖月に向けてのお餅つきもあるわよ」
「餅つきか……ジグに任せると杵で臼を破壊しそうじゃのう」
「ウィクトル、決定的瞬間の撮影よろしくね」
愛すべき一時に。
喜びが限界を突破したのか、ジグはまたいつかのように家族全員を抱き締めて羽で包む。
驚きつつも、皆で満面の笑みを浮かべた瞬間が、再稼働したカメラの中に収まった。
家族のアルバムがどんどん厚くなっていく。
──サクヤもジグも、この上なく幸せだった。
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「幸せになるなんてぇ、許さなーい。皆不幸になってしまえ」
『耽溺魔王ブラック・メイカー』は魔王城、『欲望の奴隷』の闇の中で、くすくすと嗤う。
ブラック・メイカーはかろうじて王族の端くれに位置する、王位継承権とはほど遠い家柄に産まれた。
おまけに嫡子ではないので、家では予備としか扱われず、たった一人以外からは軽んじられて育った。
だからだろうか。
自分よりも優れた者を引きずり降ろし、無様に這いつくばらせることに悦びを見出すようになったのは。
十五の時、ブラック・メイカーは最高のユニークスキルに目覚める。
対象の『名前』を上書きすることで、愛する人の記憶を、大切な思い出を封印する能力だ。
ユニークスキルを秘かに使い、清廉潔白と言われた人物が失われた『なにか』を取り戻そうと足掻き、奇行に走るのを、破滅する様を見ては愉悦に浸る。……人の不幸を嘲笑うのは快感だった。
ユニークスキルに『破滅へ導く者』と名付け、呪法を極めて魔王へと至った時に、自らもそう名乗るようになったのは、軟弱な本名よりもよほど本質を現しているからだ。
それから軽い気持ちで破滅させた人間の数は両手の指どころか、百足の足でも収まらない。
たくさんの破滅をもたらしても満たされずにいたブラック・メイカーだったが、齢十八になった時、転機が訪れた。
どこの国でも上層部だけの機密だか、貴族は十五でユニークスキルを授かり、王族は十八で能力が更なる進化を遂げる。
ブラック・メイカーはただ大切な記憶を封じるだけでなく、対象の『愛する人』に、その立場に成り代わる力を得たのだ。
まずは親の愛を独占しておきながら、両親に苦言を呈し、ブラック・メイカーを本心から可愛がってくれた唯一の存在──いけ好かない姉を殺して成り代わってやった。
大切な嫡子を失ったことさえ気付かず、ブラック・メイカーをちやほやする両親も手に掛け、そのどさくさで優秀だと評判で隙の無かった従兄弟、その恋人と、順番に殺して成り代わり、上を目指してわさわさ這い上がって行く。
いつしか王に最も近く、好き放題できる地位に到達したブラック・メイカーは、自らの悦楽のために使っていた能力で使い勝手の良い手駒を量産する計画を思い付いた。
切っ掛けは穢らわしい孤児の癖に、身の丈に見合わぬユニークスキルを得た少年兵──ジグを見つけたことだった。
最初は、次こそは守りたい者を守れるようにと、回復魔法や結界魔法ばかりを収集している良い子ぶりが鼻についたから。
大切な記憶を奪ってほんのちょっと誘導してやれば、心優しいと評判だった少年兵はあっさりと墜ちて戦闘中毒に変貌する。
……乾いたスポンジのように戦闘技能と魔法技術を吸収して、最速の期間で魔王の称号を得たのは、ブラック・メイカーも予想だにしていなかったが。
『次元魔王グリモ・ワール』は掘り出しものだった。
小蝿のように湧いてくる王国へ戦争を吹っかける小国、軍隊相手にたった一人で戦い勝利する、それは一騎当千どころではない重大な戦力だ。
封じられた思いが深ければ深いほど、喪失感は酷くなり貪欲になる。
グリモ・ワールが頭角を表したことで味をしめたブラック・メイカーは、恋人に一途な好青年には婚約した幸せの絶頂で、子ども想いと評判だった未亡人には侯爵に見初められたタイミングでユニークスキルを使った。
ブラック・メイカーの目論見通り魔王を増やすことに成功して、王国は向かうところ敵無しとなる。
目も眩むほどの財宝、権力を得て、かつて両親から与えられなかった上質な服や飾りを纏い、美貌を磨いたブラック・メイカーの元には男も女も我先にと群がってきた。
全てを手に入れても、それでも満たされない日々を送っていたブラック・メイカーだったが……ある時、王城の宝物庫の奥で、封印されていた遠い先祖の手記を見つける。
手記の内容は、枝垂れ桜の美姫への愛憎と、不甲斐ない兵士への罵詈雑言、自分を裏切った貴族への呪いの言葉が綴られた皇帝の破滅までの経緯で、滑稽だが大変興味深いストーリーだった。
一緒に隠されていた大荒野産の呪われたアイテムとともに常に身に付けていると、自分ならば上手くやれる、という自信と野望がむくむくと湧いてくる。
ブラック・メイカーが愚かな先祖がなし得なかった、花の国侵略を成功させようと思い至ったのは必然だった。
──侵略の先駆けにはグリモ・ワールを使ってやろう。
真っ先に決めたのは、魔王に至ってもグリモ・ワールのことが気に食わない、甚振りたい対象のままだからだ。
孤児の分際でブラック・メイカーよりも高い能力、体格に恵まれたのが妬ましい。
ただの手駒のくせに戦勝者の特権である略奪や陵辱を決して許さず、王族に進言するとは何事か!
……戦闘力ではとっくに追い越された上に、グリモ・ワールの功績を讃える声は多く、要望を飲まざるを得ないのがむかつく。
チクチク嫌がらせはしてやったが、涼しい顔でこなすのもまた業腹だ。
能力を使う時に少し記憶に触れたが、グリモ・ワールの大切な相手はとっくの昔に亡くなっていたため、成り代わりの条件を満たせず、上手く使いこなせないのが歯噛みするほど悔しかった!
……けれどグリモ・ワールを花の国へあえて差し向けたとして。
男を誑かすのが異常に上手い花人とという種族なら、あの堅物を誑しこめるかもしれないと天啓を得た。
そうしてグリモ・ワールがめろめろに骨抜きにされた所で、花嫁と成り代わってやるのだ。
──美しいと評判の花人も、殺す前にたっぷり嬲ってやろう。
人が大切に築き上げてきた関係、特に相思相愛の伴侶を横から奪い、壊すのはブラック・メイカーの悍ましい趣味の一つでもある。
先祖が狂わされた花人の魅了など、ブラック・メイカーには取るに足らないもの、足元にも及ばないのだと示してやる絶好の機会といえた。
……全ては計画通りに進んでいる。
「伝え聞いたところによると、グリモ・ワールは花嫁を溺愛して、花の国に帰化するのを今か今かと待ってるそうじゃない? 夢が叶う、その直前で台無しにする──最高のシチュエーションだねぇ。先祖が成し遂げられなかった悲願も達成して、全てはこのブラック・メイカーに跪くのさ!!」
今は、万が一戦闘になった時の備えに魔王には及ばないものの、ユニークスキルによって強化した兵士達を、エネルギー源として生かしたままアースラパドに取りこんで行く作業中だ。
いくらグリモ・ワールが群を抜いた戦闘力を保有していても、所詮は単体。使い捨てとはいえ無数の奴隷を従えるブラック・メイカーの敵ではないだろう。
致命的なミス──花人の能力の取り違えなど──に気付くことなく、ブラック・メイカーは高らかに嗤う。
破滅の這い寄る音は、すぐそこまで迫って来ていた。




