31.サクヤの秘密
「……失礼しま」
約束の時間になり、律儀にノックしてから襖を開けたジグは、その瞬間、息を飲んで言葉を詰まらせた。
開け放された障子の向こう側、硝子戸から差し込む月光がサクヤの輪郭を照らし出す。
今宵のサクヤの衣装は故人を悼むような漆黒で、それ故に枝垂れ桜の清らかさを引き立てている。
満月と花明かりで浮かび上がる横顔は、凄絶なまでに美しい。
薄紅の髪を飾る蝶々の深い青、烏揚羽のような浴衣の黒と、月光に晒されて輝く花びらの白さ、一段と強い桃色の眼光、サクヤの手を止まり木にしたウィクトルも含めて、夜の闇の中で全てが綺麗に調和しており、御神木を前にした時のような神々しさに、ジグは頭を殴られたような衝撃を受けた。
「固まってないで、中に入ったら?」
「カチ」
思わず平伏したくなる美しさに耐えて、サクヤの前に用意されていた敷物に座る。
風もないのに枝垂れ桜がふわりと揺れて、至福の香りがジグを包み込んだ。
「お酒の匂いがする。お父様との話は終わったの?」
「は、はい。サクヤさんのお母様のお姿や、小さい頃のサクヤさんが載ったアルバムを見せていただき、その、色々と教えてくださいました」
「……そう。じゃあ、もう全部知ってしまったのね」
サクヤは笑っているのに、何故かとても悲しそうだった……。
「確信はないけれど、そうじゃないかな、とは思ってました。師匠はサクヤさんと親子というにはお年を召していたし、鎮呪の森でも桜は何本も見かけたのに、その中に枝垂れ桜はなく、出逢った時からサクヤさんは別格で、誰よりも美しく光輝いていましたから……」
「最後のはなんかちょっと違うけど……。知ってる? 桜の花言葉は“精神の美”だけど、枝垂れ桜の花言葉は“優美”と“ごまかし”なの。ただ清らかなだけではないのが、女王たる由縁なのかもしれないわね」
サクヤの声は弱々しく、いつになく儚げだ。
でも今のジグは儚さと強さが両立するのを知っている。そしてサクヤの弱さも強さも同じくらい愛おしい。
ジグはサクヤの手を取ると、華奢な体を抱き寄せて、頭を撫でた。ウィクトルも小さな体を寄せている。
強がりなサクヤの瞳が揺れて、長い睫毛から綺麗な雫が零れ落ちた。
「ねえジグ、二回目のデートの時に私、言ったわよね。愛された記憶はずっと残るって。……私ね、御神木の中に居た時のこと、朧気だけど覚えているの。ただ優しさが満ちていて、いつも誰かに守られていた。お父様とはまた違う、大きくて温かな手にこうして撫でられたことも、あったわ。女王様とその伴侶、私の血の繋がった両親は、お腹の中にいた私ごと御神木にその身を差し出したけれど……百年に近い時の中で、私をずっと愛してくれていたのよ!」
サクヤはジグの腕の中で、身も世もなく嘆いていた。
ジグの心に寄り添ったあの言葉は、サクヤが自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。
「御神木の中でお二人は永遠になった。それは誇り高いこと、高尚な行いだと皆は言うけれど、……でも、寂しい。悔しい。どうして父と母が犠牲にならなくてはならなかったの!?」
思い返せばサクヤは身内を失うことに、害されることに敏感だった。
実の両親を失った経験がそうさせたのかと思うと、痛ましくもある。
「私を育ててくれたお父様とお母様も大好きよ。……私のために黙ってくれていたから、ただのサクヤとして育ててもらったから、愛されているから、……愛しているからこそ誰にも言えなかった! 百年前の戦争が無ければ、父と母は何事もなく私を産み育ててくれて──でも、そしたら私は今のお父様達や、ジグにも出逢えず、家族になれなかったと思うと……誰を恨むことも出来ない。ただただ、悲しい……」
ジグはサクヤの背を優しく叩く。
昔、自分が母にして貰ったように。
「何を言ってるんですか。サクヤさんの運命の相手はぼくです。花びらの儀を受けなければ、花人は長命なままなのでしょう? 女王様と伴侶の方に愛され育ったサクヤさんは立派な女王になって、お母様……サツキさんとは主従を越えた親友になります。親友の恋を見守って、師匠のことを純銀の隼ネタでからかっていたかもしれませんね。……そして必ず、ぼくとは出逢います。どんな世界線だって、ぼくは絶対あなたに恋をしますから。違いはサクヤさんが年下になるか年上になるかだけ。そこにはもちろん、ウィクトルもいるんです!」
「カチ!」
ジグの語る夢物語に、ウィクトルも力強く同意した。
サクヤは止めどなく涙を流しながらも、心からの笑みをジグに向ける。
「その発想はすごく素敵ね。ジグは嫌みがなくて前向きで……私、あなたに会えて、ジグが伴侶で、良かった」
「ぼくもサクヤさんに出逢えて嬉しいです。ぼくだけの花嫁さん、愛しています」
ジグは取り出した桜色のハンカチでサクヤの涙を優しく拭った。
赤らんだ顔のままサクヤは、イタズラのネタばらしをする子どものように笑う。
「そういえば、なんでカササギが神の遣いと言われているか、わかる?」
「さあ……。縁結びのようなことをしたり、『祝福』のお手伝いをしているからですか?」
「花の国の女王は、御神木の声を届ける巫女の役割を持っていた。女王様は……母はカササギを介して御神木の声を聞いていたのだと思う。ウィクトルだけじゃなくて、私は昔からカササギの言葉が分かったの。時には視界も共有したりね。と言っても、こちらから介入は出来なくて、一方的に映像が送られるのだけど。──ジグと初めて対面した時も、ウィクトルが状況を教えてくれてた。だからジグに気付かれずに準備して待ち構えることが出来たのよ」
「ウィクトルー??」
「カチィ☆」
初耳の情報に度肝を抜かれたジグは、呆然とウィクトルを凝視した。
……全然悪びれる様子がないというか、花の国に来てからの相棒ははっちゃけ過ぎだと思う。
「今思うと、ウィクトルはきっと、ジグを止めて欲しかったのね。それにウィクトルだけじゃないわ。ガラードさんを通してリベルラさんにもさり気なく口止めしてたみたいだけど、むしろジグに恩があるからと色々教えてくれたわよ。……ジグもガラードさんやミーナさんと同じだったのね。一人だけ何もされていないのは、逆に不自然だわ。それならこんなに優しいジグが戦闘狂として振る舞っていたのも合点がいく」
ひた隠しにしていたのに曝かれてしまったと、ジグは顔を曇らせる。
「……言い訳みたいで、言えなかったんです。隠そうと足掻いてたのに……ぼく格好悪いです」
サクヤがジグの頬に手を当て引き寄せて、互いの熱を共有するように額と額をくっつけた。
「馬鹿ね。私に格好つける必要なんかないわ。ありのままでいいの。お互い、もう隠しごとは無しにしましょう」
「……はい」
サクヤの言う“馬鹿”は、好きや愛おしいと同義だ。
それが分かっているから、ジグはいつも温かい気持ちになる。……だからまだ隠していることがあると言えず、気がとがめた。
「ジグ。昔、カササギがこっそり教えてくたの。伴侶の方は、私の父は、浅黄斑蝶の蟲人だったと。……だから私は蝶々を好きになったのよ」
これが私の最後の秘密、とサクヤが微笑んで──ジグは閃いた、とばかりに目を見開いて手を打った。
「どうしたの、ジグ?」
「サクヤさん、見ていてください!」
ぽっと青い光が散って、ジグの手のひらに小さな輪っかが現れる。
「これは木製の指輪、じゃなくて、指貫ね」
指貫は裁縫道具の一種。
縫い物をする際に針が指に刺さらないようにするもので、花の国では女性に幸福をもたらす結婚の御守りとして有名だ。
ジグの指貫は側面には枝垂れ桜が刻まれているが、中央にはなんの飾りもなく荒削りで、明らかに作りかけに見える。
「ウィクトルが持ってきてくれた御神木の枝は大きくて、髪飾りを作ってもまだ充分な量が残っていました。サクヤさんのお誕生日が発覚してから、実はコツコツ作っていたんです。いつも貰ってばかりだからお返しをしたくて」
「私、そんなに大したものはあげてないわよ?」
恐縮するサクヤにジグは首を振る。
サクヤはいつだってジグにたくさんのものを与えてくれたが、何よりも籠められた気持ちが、優しさが嬉しかったのだ。
ジグは仕上げのために開発していた魔法を使う。
「ブックマーク:カテゴリ10:未分類魔法:蝶刻」
荒削りだった面に、枝垂れ桜で羽を休めるアサギマダラが刻まれる。
「ブックマーク:カテゴリ10:未分類魔法:保護膜」
ジグは月の光を反射して優しく煌めく指貫を、流れるような自然さでサクヤの右手の中指にはめた。
「最初はモルフォ蝶を刻む予定だったのですが。この指貫はアサギマダラだからこそ、しっくり来ますね」
サクヤは温かみのある木の表面を指先でなぞる。
蝶々の髪飾りを受け取った時や御神木を前にした時のように、桃色の瞳には慈愛が満ちていた。
「カチ、カチっ」
よく似合っている、とウィクトルも大絶賛だ。
ジグは知らずに用意したが、指貫は娘の幸せを願う、親からの贈り物の定番でもある。
御神木を加工する上で最良の選択といえた。
「ありがとうジグ。……不思議ね。この指貫を眺めているだけで心が穏やかになるの」
「こちらこそ。遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。サクヤさん、産まれて来てくれて、ありがとう」
「カチっ!」
ウィクトルに祝福されながら、ジグは勇気を振り絞って、サクヤの額にキスをする。
「花の国にはない風習だけど……産まれた日を祝うって、感慨深いものがあるわね。ジグのお誕生日はいつなの?」
はにかんだサクヤに無邪気に尋ねられて、ジグは言葉を失った。
あからさまに狼狽して、しばらく空中に視線をさまよわせる。
「……幼い頃に母を亡くして、生きるのに精一杯で、お祝いなんてする余裕がなくて──うっかり忘れちゃいました。肉体年齢が十五歳の時点でユニークスキルを授かるので、逆算して年齢は割り出せるんですが……」
「ジグって色んな意味で天然よね……」
「カチィ……」
ウィクトルも首を縦に振って肯定した。
まったくもうと、申し訳なさそうなジグの顔を両手で挟み、そっと撫でると、サクヤも額にキスを返す。
「まあいいわ。お祝いは今度改めて考える。ジグも産まれて来てくれて、私達に出逢ってくれてありがとう」
──二人の間に微かに残っていたわだかまりは、この夜を境に全て消え去った。
本人も知らないが『ジグ』という名は本名じゃない。
母が確かそんな風に呼んでた気がする、という思いこみで名乗ってる。昔から自分のことには無頓着。




