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28.命の糧をあなたに

『ガラードさん、遅かったですね』


 愛しの蝶蜻蛉(ウィング・インセクト)の装甲を透過して、ジグの飛ばした情報特化の魔法、“新聞の蝶(ペーパーバタフライ)”が対象にのみ伝わる言葉メッセージを届ける。

 猛烈な攻防を繰り広げている最中に器用なものだな、とガラードは呆れ混じりに感心した。


「いや、そっちこそなにやってんの? こういうガチバトルを避けるために美味しくて浄化能力たっぷりの料理を用意するって決めたよな?」


 慣れたやり取りで返信しながらガラードはドン引きしていた。

 ウィング・インセクト内では何とか説得して来てもらった同行者が、魔王二人の暴れっぷりに顔色を無くしている。

 ……もう一人の同行者にはリベルラと客室に控えて貰って正解だった。刺激が強すぎる。


『ガラードさんが遅くなるというから足止めしてたんですよ』


 さもこちらに非がある、とばかりのジグの言い分にガラードは即座に反論した。


「いやいや、役割分担で王国のことはオレ、魔王の対応はジグって決めてただろ? しばらく惚気か当たり障りない活動報告ぐらいだったのに、急に人を連れて来てほしいって言われた時は驚いたぞ。そもそも頼むのが遅い。短期間で王や姫にバレないように根回しするのに苦労したんだからな!」

『お手数お掛けしました。ありがとうございます。役者も揃ったことですし、すぐ終わらせて案内しますね!』


 ウィング・インセクトのスクリーンに映し出されたジグが親指を立てた。


『ブックマーク:カテゴリ9:対象限定状態異常(デバフ)魔法:木の葉に包まれて眠れ(オレンジオークリーフ)


 木の葉色の蝶々が橙と青に輝く鱗粉を振りまくと、きらきらした鱗粉に包まれたレディ・バードは音もなく崩れ落ちた。

 足場ごと落下していく姿に同行者は慌て、ジグの瞬殺レベルの早業に、そんなの出来るならもっと早くやれよ、とガラードは突っ込まずにはいられなかったが、自分の例を振り返り、ジグはなにか考えがあって行動しているのだと察知する。


『ブックマーク:カテゴリ3:広範囲転移魔法:旅する橙色(モナーク・バタフライ)


 夕焼け色の蝶の群れが、ジグやレディ・バード、ウィング・インセクトを飲み込んで行く。

 なんだか懐かしくすらあるオレンジの光に身を委ねながら、ジグのチートっぷりにガラードは苦笑した。

 

「……あれで本当に彼女を取り戻せるのか?」

「あいつは四天王の中でも最強、随一のチートです。大船に乗った気でいてください」


 ……なんか妙なテンションだったけどな。

 と余計な一言を心で呟きながら、不信感を募らせる同行者の一人に、ガラードは自信たっぷりに太鼓判を押す。


「オレもあいつに、ジグに救われた一人ですから」

「……キミのかつての乱行と、現在の姿を見比べれば信用は出来るか」

「……お願いだからオレの過去は忘れて下さい!」


 ガラードは震える手で目玉を取り出すと、死んだ目で噛み締める。

 大切なものを取り戻した後も、心の安定剤(じゃがいもの芽)はまだまだ手放せないガラードであった。


*******


 ひとひらの花びらがまだ少しふっくらとした頬をくすぐったのを合図に、レディ・バードの状態異常が解けた。

 目覚めると、どこまでも続く枝垂れ桜の中心にセッティングされた、格式高い晩餐会スタイルの長テーブルに座らされている。

 立ち上がろうにも椅子に腰を固定されていて、動けない。


 いつもなら暴れ出すところだが、清らかな枝垂れ桜を見ていると怒りや焦り、常に抱える空腹すら和らいでいく気がした。

 ぼんやりテーブル上に視線を送れば、染み一つないナプキンに温かみのある木のフォークとスプーンが並んでいる。


 どこもかしこも薄紅の花びらで染まる中で、卓上装花はレディ・バードの好む真紅の薔薇が用意されており、主宰は誰かは分からないが、もてなそうという意思は感じられた。


「お目覚めですか、マダム。食前酒をどうぞ」


 細身のグラスを差し出したのは、初老の男性だった。

 レディ・バードとは反対の、赤毛に黒の斑点を散らした髪に白髪の混ざる、優しげな黒い瞳の紳士。

 ……初めて会うはずなのに、熱い視線を送られている。

 何故だろう、満たされない腹の虫が騒いだ気がして、レディ・バードは受け取ったグラスを一気に煽った。


 爽やかな林檎の酸味と甘み、軽めの酒精アルコールが喉を通り抜けると、寝起きの頭が少しクリアになる。


「お料理を、肉じゃがをおもちしました」


 前菜はなく、すぐに主菜がワゴンで運ばれて来る。

 年若い給仕が銀の丸蓋(クローシュ)を持ち上げると、白い磁器の器にたっぷりの肉と芋をメインにした煮込み料理が盛り付けられていた。

 これが肉じゃがというものらしい。

 一見素朴な家庭料理だが、飾り切りのにんじんの花は愛らしく、きぬさやの緑も鮮やかで綺麗だ。


『………、食べ物はわたし達の命の糧。感謝をしてからいただくのよ?』

『はい、………ま。いただきます』


 ……今の記憶はなんだろうか。とても大切なことだった、気がする。


「いただきます」


 肉じゃがの芳しい香りを目いっぱい吸いこんで、食料を前にしたのに焦ることなく、フォークを手に取った。

 メインの片割れである柔らかく煮込まれた牛肉を、まずは口に運ぶ。

 ステーキに出来るほどの品質、部位の肉をわざわざ薄切りにしたのだろう。

 舌でとろけるような、美味しい肉である。

 生まれが貧乏貴族のレディ・バードが牛肉を食べる機会は少なくて、特別な日のご馳走だった。そう、結婚式のような……。


『これから二人で幸せになろうな!』


 パリン。 


 なにかが割れるような乾いた音がする。

 ……思い出した。最初の夫は幼なじみだった。

 皆に祝福されながら飲んだ葡萄酒の風味が舌で蘇る。

 初恋の人と結ばれて、贅沢は出来ないがレディ・バードは幸せだった。

 ……一人息子が産まれた時は、二人で涙を流して喜んだものだ。


 次はどこか郷愁を誘う芋に手を付ける。

 大地の恵み、滋養たっぷりの芋のほくほくした歯ざわりが素晴らしい。

 初めて食べる種類の芋だが、とろけるような肉とも取り合わせが良くて、夢中になって食べる。……あの子にも、食べさせてあげたい。


『かあさま、おなかすいたよ……』

 

 ────幸せは長く続かなかった。

 最愛の夫は戦争に徴収され、たった一枚の紙切れで死亡を伝えられた。

 遺骨すら戻って来なくて、いっそ後を追ってしまいたかったが、夫そっくりな息子が、自暴自棄になった自分を引き留めてくれた。

 貧しい中、石をかじる思いで幼い息子を育てる日々。

 ……あの子に食べさせるため、食べ物を手に入れるために何でもやって、見様見真似で畑を耕して……そうだ、最初に植えたのは、なんとか譲ってもらった萎れて芽の出た芋だった。


 肉じゃがを彩る、にんじんやきぬさやを咀嚼すると、新鮮な野菜ならではの滋味を感じる。


『お母様があなたを守りますからね』


 最初の芋が成功して、色々な野菜作りに手を出した。……種まきを、あの子も手伝ってくれたっけ。

 ひらひらと空を舞うあの子の姿が目に浮かぶ。

 ああ、大事な我が子を忘れてしまったのに、食べ物への執着だけが残されていたなんて。

 ──食べても食べても満たされないはずだ。

 育ち盛りの、お腹を空かせたあの子にこそ、お腹いっぱい食べて欲しかったのだから。


 ぶくぶくと太った我が身を振り返る。

 浅ましく卑しい豚のような姿。

 それは人から平気で食料を強奪して、誰とも分かち合わない、醜悪な心に準じた姿だったのだ。


「……命の糧をあなたに届けるために、わたしはこの身さえ売ろうとしたのに」


 麺のようなつるつるした細いもの、白滝とたまねぎを掬って口に詰めこむ。

 出汁が絡み、味が染みて美味しいのに、塩気が強い。

 たまねぎはしっかり火が通っているのに、ツンと鼻の奥が痛くなって、涙の味がする。

 レディ・バードは、無意識に涙を流していた。


 ……豊かな土地だと目を付けられ、理不尽に畑を取り上げられた絶望の日。

 装飾品も嫁入り道具も全て売り払い、いよいよ体を売るしかないと花街を訪れた時、偶然“あの方”に出会った。


『花街に身を売るぐらいなら、儂が貴方の身柄を買おう。いや、この言い方は卑怯だな。儂と結婚してほしい』


 親子ほど年の離れた男性は、ぶっきらぼうだが優しい人で。

 政略結婚した妻とはとうに死に別れ、寂しい独り身だという。

 

『わたしはまだ、夫を愛しています。……きっと、これからも忘れられない。わたしがあなたに渡せるのはこの身だけ。心は夫と息子のもの。それでも、構いませんか?』


 誠実な人だからこそ、こちらも正直に告げた。 

 破格の誘いだが、破談になるならまた花街に行くだけだ。

 ……だけどあの人は、わたしに赤い薔薇を一輪捧げて言ったのだ。


『構わない。ミーナ、儂は亡き夫と息子に献身する、貴方の心に惚れたのだ』


 最後に器の底に残った、煮詰められた汁まで啜ると、次から次へと記憶が呼び覚まされる。

 最初の夫との短いが幸せな日々、辛く貧しくても、母と子で身を寄せ合ったあの頃、そして次の夫が運んできてくれた幸運。


「……ごちそう、さま……でした」


 全身から力が抜けて、スプーンを取り落としてしまった。

 拾おうとしたレディ・バード……いや、ミーナの手に大粒の涙が落ちて弾ける。


「……わたし、取り返しのつかないことをしてしまった……」


 涙が止まらない。我が子に夫に合わせる顔がなくて、ミーナは顔を両手で覆って泣きじゃくる。


「……あの子はどうなったの? もうずっと会っていない。わたし、母親失格だわ……守ると誓ったのに!!」


 くいっと腕が引っ張られる。

 振り返って見れば、肉じゃがを運んできた給仕……雪のように白い髪に黒い斑点が際立つ、紋白蝶モンシロチョウの蟲人の少年が、ミーナのドレスの袖を遠慮がちに引いていた。


「母様、僕のことを思い出してくれた?」

「……ミール!! ここに居たのね。気付かなくて、側に居てあげられなくてごめんなさい、愚かな母親で、ごめんなさい!! 赦してほしいなんて、言えない、でも、ごめんね、本当にごめんなさい……」


 記憶よりも成長した我が子を抱き締める。

 釣られるように、ミールも泣いていた。


「こんなに大きくなって……」

「僕、十歳になったよ。母様がいなくてさびしかったけど、義父様が必ず母様は帰ってくるからって、今日も、こうして連れて来てくれたの」

「……わたしは、大恩あるあの方の顔にも、泥を塗ってしまった……」


 後悔のあまり、椅子ごと倒れそうなミーナの背に大きな手が添えられる。

 

「我がコキシネル侯爵家はこんなことでは揺らがんよ」

「……シュテルン様!!」


 給仕をしていた初老の男性、コキシネル侯爵当主シュテルンは泰然と構えている。

 ミーナを支える方とは逆の手には、大輪の赤い薔薇を抱えて。


「……申し訳ありません。ご迷惑をお掛けしました。やはりわたしは、侯爵家に相応しくなかったようです。……もう、あなたが愛してくださった以前のわたしではないのです。身も心も、変わり果ててしまいました」


 ジグとの戦闘によって、かつての姿を取り戻しつつあるが、体は貴族女性にしては肥えたまま、暴食のせいで肌や髪の状態も酷いものだ。

 なによりも大切な人のことを忘れ、食料を得ることに妄執して略奪に走った自分が情けない。

 極貧の時でも盗みを働く真似は、人の道から外れることだけはしなかったのに。


「キミは大切にしていた人の記憶を奪われたから、息子を深く愛していたからこそ、変わってしまったのだ。儂の気持ちは変わらんよ。亡き夫の喪に服するキミに、毎日薔薇を捧げたな。これからも薔薇を捧げよう。黒いドレスが赤で埋まるくらい、ずっと」


 薔薇の花束を渡される。

 十二本の赤薔薇からは言葉よりも雄弁なシュテルンの想い()が伝わった。


「母様、そんなに自分をせめないで。昔から、僕のためになんだってしてくれたよね。僕は母様をゆるすよ。母様を悪く言う人たちから、今度は僕が守ってあげるね」

「シュテルン様、ミール……!」


 椅子に固定されていて良かったとミーナは思う。そうでなければ、嬉しさと気恥ずかしさから逃げ出してしまいそうだった。

 今度は後悔や悲しみではない喜びの涙が次々と溢れてきた。


「二人とも、ありがとう……愛しているわ」




 ────『健啖魔王』撃破完了。


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