27.『健啖魔王レディ・バード』
コキシネル侯爵の後妻ミーナ夫人。
それが『健啖魔王レディ・バード』の本来の素性である。
元は貧しい子爵家の令嬢であり、同じ規模の子爵家に嫁ぎ、ささやかながら幸せに暮らしていたが、夫が戦死して家が没落。
まだ幼い息子を育てるために、貴族ながらに適正のあった土魔法で畑を耕し、作物を作って糊口をしのいでいた。
しかし現王が戴冠した際に畑ごと領地を取り上げられ、息子を守るために花街に身を売ろうとした寸前で、コキシネル侯爵に見初められる。
本来なら王国の重鎮であるコキシネル侯爵と釣り合わない身分だったが、侯爵にはすでに成人した後継がいることもあり、正妻となることを許された。
二十代後半、貴族としてはとうが立っていても、大輪の薔薇に例えられるほどの美貌を誇り、悲劇的な経歴から社交界でも注目を浴びる存在だった。
……だから狙われて、記憶を奪われたのではないかとジグは踏んでいる。
そんなミーナ夫人、いやレディ・バードの魔王城は異色の一言に尽きた。
『命の糧をあなたに』はグロテスクなミミズのような形態で、常に地中に潜り、土を耕しながら移動する。
ジグが元々把握していた能力に、新たに相棒がカササギ仲間と連携して洗い出した情報を加味すれば納得の魔王城で、傷付けずに地中に介入する方法に悩んでいたのだけれど……。
「さすがはサクヤさんの肉じゃが。いえ、神饌の儀の効果でしょうね。どう引きずり出そうか迷っていましたが、向こうから出てきてくれるとは」
風にドレスを翻し、長い柄に平たい刃の農機具、鍬を肩に担いだ恰幅の良い女性、レディ・バードは、巨大な蠕虫型の魔王城の天辺でふんぞり返りながら、一心にサクヤの元へと土埃を上げて向かっていた。
……一人息子を守り育てるため、食料を手に入れるためなら、躊躇いなく汚れ仕事にも手を染めたという彼女の行く末がこれとは、あまりにも哀れではないか。
視界に入るよう、見下さず目線が合うように器用に羽を操ってホバリングすると、ジグはレディ・バードに対話を持ちかける。
「あなた、ご自身の名前を言えますか? 家族のことは覚えていますか?」
「は? わたしは健啖魔王レディ・バードよ。カゾク? なにそれ、オイシイの?」
「……やはりぼくらと同じ境遇ですか。可哀想に、その様子だとお子さんの記憶はないようですね」
「……黙れ」
レディ・バードの赤い瞳に苦悩が滲んだのをジグは見逃さなかった。
目の前の彼女は、ただ幼い子どもを育てるために尽力した母親であり、その過去はジグの母親とよく似ていた。
「良いでしょう。あなたの苦しみを、空腹を、終わらせて差しあげます!」
ジグは高らかに宣言しながら、いつか触れてみたいと思っていた、サクヤの花のような唇がキスをした手の甲をなぞる。
──しっとりして柔らかくて、とても魅惑的な感触でした。
サクヤには抱き締められたことも、逆に抱き締めたこともあるが、手の甲とはいえ直接キスしてくれたのは今日が初めてで。
レディ・バードと死んだ母の姿を重ねてしまい、萎えていた気分を一気に盛り返せば、思いの外高まって、笑い声がこぼれる。
サクヤこそジグの生きる糧、活力の源なのだ。
怪しく笑うジグと、切羽詰まって険しい顔のレディ・バード。
二人の魔王が相まみえた時、戦いの火蓋は切って落とされる。
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幸運の象徴である七星天道虫と比べて、並天道虫は知名度が低い。
けれど、どちらもアブラムシを食べてくれる、畑の守り手、益虫だ。
レディ・バードの原形となったナミテントウムシは、特に旺盛な食欲でアブラムシを駆逐する。
そのために品種改良で飛翔しない種が作り出されるほどである。
能力に目を付けられ、人の手を加えられ、地に堕とされて、ただ食料を貪る……レディ・バードの境遇そのままと言えた。
「早く食べ物のところに行かなくちゃ。邪魔をするなら、容赦はしないわ!!」
レディ・バードは焦燥に駆られていた。
ミール・ワームの胃袋にあたる、食料庫が空だから。……おなかがすいたよ、という拙い声が頭の中で木霊する。
「《命を育む土を讃えよ。祈りたまえ!!》」
はち切れんばかりの体躯から、オペラ歌手ばりに伸びやかな歌声が放たれる。
歌声が反響する地面が波打ち、溢れる土砂が目の前の邪魔者を襲った。
「《大地を踏みしめよ。尊き土に感謝を!!》」
歌の一節に合わせて大地が隆起する。
レディ・バードのユニークスキル、『歌女』は土を自在に操る歌声であり、テントウムシの蟲人としての能力、“毒”と組み合わせることで地面の上では敵なしだ。
大荒野の瘴気を纏った大地は、レディ・バードの本領発揮の舞台といえた。
「《悲しみの、絶望の大地よ。我に応えよ!!》」
瘴気と毒混じりの汚泥と化した土は、巨大な腕を何本も形成して、貪欲に空へと手を伸ばす。
……邪魔な羽虫が。叩き落としてやる。
レディ・バードは苛立っていた。
空腹を、欲望を刺激する“なにか”を感覚的に察知してから、いても立ってもいられず、ミール・ワームから這い出るほどに飢えている。
今も遠くから得も言われぬ匂いを感知し、すぐにでも食べて……満たされたかった。
ひらひらと嘲笑うかのように宙を舞うジグの挙動も、何故か心をざわつかせた。
「《地の下に消えよ。安らかに眠れ!!》」
体格からは考えられないほどの敏捷性を発揮して、レディ・バードは土塊の腕を渡ってジグに肉薄すると、鍬を大きく振りかぶった。
ガチン、と鍬が取り出されたハンマーと空中で打ち合って火花を散らす。
びりびりと腕が痺れて震えたが、愛用の農機具を取り落とすほどではない。むしろレディ・バードの怒りで全身が震え出す。
『ブックマーク:カテゴリ10:未分類魔法:薄斬』
ジグのユニークスキルにより、土塊の腕が切り刻まれる。
レディ・バードは風や土の精霊魔法ではない、こんな魔法を見るのは初めてだった。
そもそも攻撃魔法なのだろうかと疑問符が浮かぶ。
輪切りになった土塊を逆に利用し、足場にすると、余裕ぶったジグと真っ向から相対する。
「《崩れよ、砕けよ、我が怒りは大地の怒り!!》」
穢れた土の腕の残骸が煮えたぎり、溶岩と化した。
レディ・バードは足場を溶岩に浮かべると、波乗りの要領で滑らかに移動する。
どろりと液状化した土は変幻自在に、宙を舞うジグを追い、熱され弾けた石の礫が羽の一部を掠めた。
『ブックマーク:カテゴリ2:局地限定結界魔法:白金色の蛹』
燦然と輝く膜がジグを覆い、溶岩から身を守る。
白金色の塊と化したジグは、そのまま勢いを付けて溶岩の天幕を突っ切ると、レディ・バードの離れたミール・ワーム目掛けてハンマーの先端を振り下ろし、天辺の一部を打ち砕いた。
「わたしの可愛いミール・ワームをよくも!」
レディ・バードが悔しげに口を噛み、地団駄を踏む。
先ほどよりも弱々しく、力が入らないのは、あれだけ恰幅の良かった体が、目に見えて細くなっているから。
「どうやらあなたは燃費の悪い体質なようですね。魔力とともに、脂肪が燃焼している。いえ、その特殊な体質だからこそ、無限の食欲で体を損ねることがなかったと。……ふむ」
ジグはしばし考えこむ。
「気が変わりました。しばしの足止めの予定でしたが、本気の戦闘に付き合ってもらいましょうか!」
どん、と地響きがする。
青い光とともに、ジグの魔王城『親愛なる友』の本体が大荒野へと出現した。
ビートルは立派な角のカブトムシを天辺に、たくさんの雌と雄が入り混じり重なった、甲虫の集合体で構成されている。
ジグは結界を解くと、いつものビートルに着地して、思う存分ユニークスキルを発動する。
『ブックマーク:カテゴリ4:広範囲攻撃魔法:海を渡りし蝶』
ジグが海の如き大量の水で津波を呼び、溶岩にぶつけて水蒸気爆発を引き起こすと。
「《母なる土を褒めよ、讃えよ!!》」
そそり立った岩壁が堰となって水と爆発の余波を閉じこめた。
『ブックマーク:カテゴリ4:広範囲攻撃魔法:業火よ舞い踊れ』
ならばと真っ赤に燃え盛る火柱を幾つも打ち立てれば。
「《全ての大地に感謝を!!》」
レディ・バードは堰を崩し、ジグの水と溶岩をはらんだ土石流で全てを洗い流した。
しばらく広範囲殲滅魔法の激しい応酬が続き、埒があかない、とレディ・バードががむしゃらに鍬を乱舞すれば、ジグはハンマーの打撃部分ではなく、柄の部分で軽くいなす。
両者の力は拮抗しているようで、明らかにジグがそうなるように力を調節していた。
「ふふ、ふふふふ」
「馬鹿にして……わたしを嗤うな!!」
「別にあなたを笑っている訳ではないのですが」
血湧き肉躍る闘いの高揚感に……ではなく、自らを奮い立たせるかのようにジグは笑い出し、レディ・バードは大分元の美貌を取り戻しつつも、憤怒で顔を歪めている。
────ようやく到着し、たまたま戦闘にかち合ったガラードは後に目玉を齧りながら語ったという。
「……どちらもまともには、正気には見えなかった。狂人同士のぶつかり合い、目が笑ってなくて怖かった」と。
後のジグ「常に死んだ目で、目玉齧ってる人に言われたくないんですけど!?」




