26.神饌の儀~肉じゃがver~
赤薔薇の花飾りを飾った鳥籠型のヴェールで顔の上半分を覆い隠し、薔薇を散らした黒のドレスで豊満な肉体を包んだ『健啖魔王』は、ひたすら食料を貪っていた。
食卓に並ぶのは贅を凝らした料理……ではなく、茹でた芋と豆、ただ焼いた肉の山、チーズの塊をそのまま、という簡素さで、味付けもろくにされていない。
保存が目的の硬いパンをバリバリ齧り、塩漬け肉と根菜のスープで流し込み、生で食べられる野菜や果物は丸ごと、芯も残さず余さず頂く。
一応カトラリーは用意されているが、もどかしいとばかりに、黒いレースの手袋が汚れるのも構わず手掴みで、手当たり次第に暴食を繰り返す。
彼女にとって食事とは空腹、いや、満たされない何かを埋めるための儀式だから。
『健啖魔王レディ・バード』は黒地に赤い斑点が二つ並んだ羽が特徴の、並天道虫の蟲人である。
二輪の赤薔薇を夜の闇に浮かべたような美しい髪から、“夜の薔薇”と謳われた貴婦人、だった。
かつての社交界の花、誰もが憧れた淑女は、健啖魔王と化した現在、止まらぬ暴食で見る影もなく太ってしまっている。
レディ・バードは精霊魔法、取りわけ土魔法を極めた魔王であり、大荒野での資源発掘を期待されているものの、この旺盛過ぎる食欲のせいで目的地にすら至っておらず、魔王の扱い辛さを体現していた。
やがて大量の料理を全て食い尽くしたレディ・バードは、空虚な瞳でぽつりと呟く。
「……また食べ物を集めなくちゃ……」
……花の国はまだまだ遠そうだ。
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「枯れた土に花を咲かせましょう」
大荒野の乾いた地面に、サクヤの枝垂れ桜の挿し穂が着弾する。
「御神木の清きご加護を」
等間隔に植えつけた小枝に清らかな水を行き渡らせれば、一気に成長して盛大に花を咲かせた。
見る間に空気が澄み渡り、大荒野から吹き込む瘴気に塗れた風も、枝垂れ桜の枝を通り抜けることで清浄なものに生まれ変わる。
風に散らされ、地面へ撒かれ、積み重なっていく花びらは穢れた土を覆い隠し、まだわずかに漂っていた瘴気を完全に遮断した。
「場は整いました」
サクヤが枝垂れ桜の並木道を作るまで、五分とかかっていない。
次にサクヤは別口で用意しておいた、挿し木で作っておいた薪を積み上げて、着火する。
明々と燃える炎の勢いたるや、火から離れても汗ばむほどだ。
燃え盛る炎に、手折った枝垂れ桜を投入すれば、赤い炎は桜色に変わる。
微妙なる色の変化から、サクヤは頭の中にある膨大な献立から、最適なものを選択する。
「決まりました。本日の献立は肉じゃがです。ジグ、材料を此処に」
「はい、喜んで!」
瞬きする間もなく一瞬で、食材や必要な調理器具、調味料が出現した。
ジグのそつの無い完璧な仕事に満足するサクヤ。
使う肉は張りこんで牛肉を用意したし、じゃがいもを始めとした大量の食材を前に、サクヤの腕が鳴るというもの。
「それではこれより神饌の儀を開始します!」
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何故サクヤが花の国ではなく、大荒野で神饌の儀に挑んでいるかというと、話は二日前に遡る。
「神饌の儀を行いましょう」
「はい?」
サクヤは遅々として進まない状況に、痺れを切らしていた。
「以前『健啖魔王』とやらは、ご飯でも用意しておけば勝手に浄化されるって言ってたわよね?」
指を立て、確認するようにサクヤは問うた。
「そしてジグの希望はその魔王に、大荒野にもっと踏みこんでほしい、私達からは出来るだけ遠く離れたくない、でしょう?」
「確かに、そう言いましたが……」
「だったら私が大荒野で神饌の儀を行って、誘き寄せればいいじゃない」
「でも、それは……」
サクヤを巻き込みたくないのだと、ジグの目は語っている。
「神饌の儀は御神木の威光を広めるためのもの。一度料理を作れば、飢えた者は抗えずに集まってくるわ。これほどお誂え向きな儀式はないわよ?」
「サクヤさんの手を煩わせる訳にはいきません。時間はかかりますが、ぼくがどうにかします」
まだ難色を示すジグにサクヤが囁いた。
「膠着した状態のまま年を越しそうなのが嫌なのよ。お聖月を迎えるって、良い区切りだと思うの。……一緒に歳をとるタイミングで蝕呪の儀をと考えているなら、その前に後顧の憂いは絶っておきたいじゃない?」
ジグの反応は劇的だった。
澄き通る青灰の瞳をまん丸にして、ばくぱくと酸欠の金魚のように口を開閉する。
「サクヤさん、もしかして昨日の帰りの話、聞いてました……? でも、呼吸や体の弛緩具合からして、確実に眠ってた、はず。いえ、そういえば以前にも……」
「ウィクトルが教えてくれたわよ」
「ウィクトルー??」
「カチっ!!」
良い仕事をした、とばかりに片翼を立てるウィクトル。
相棒の善意の行動を咎めることは、ジグには出来ないだろう。
「まさかの伏兵でした……」
「それに守られてるばかりじゃなくて、私もジグに協力したいの。……ダメかしら?」
「カチ……?」
身長差からどうしても上目遣いになるサクヤと、一緒になってつぶらな瞳で見上げてくるウィクトル。
その可愛いらしくもあざとい仕草に、ジグが勝てる筈もなく。
「……ご協力よろしくお願いします」
赤面し、胸を押さえて前のめりに俯くジグの前で、サクヤとウィクトルは両手と両翼を合わせてハイタッチを交わした。
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──そんな経緯があり、サクヤは大荒野の真ん中で調理に勤しんでいるのである。
サクヤは手早くじゃがいもの芽を落とし、根菜類の皮を剥いた。
じゃがいもは乱切り、にんじんは飾り切り、たまねぎは大きめの櫛切りにして、同時進行で煮えたぎる熱湯に白滝を投入する。
湯がいた白滝を適当な大きさにザク切りしてから、牛肉も薄切りにして清酒を振っておく。
熱した鍋に油を引いたら牛肉を炒めて、肉の色が変わったらたまねぎ、にんじん、じゃがいもを順番に加えて、火が通ったところで鍋に水を張る。
場所が大荒野でも御神木の加護が届くことに感謝しながら、サクヤは白滝と佳人茸を粉末にした簡易出汁と、今回は外つ国の女性が対象ということで、清酒の代わりにワインを注いで一時的に蓋をした。
「そっちの首尾はどう?」
「ばっちりです!」
「カチ!」
儀式に関われないジグにはテーブルや食器の用意、主賓を招く準備を整えてもらっていた。
食卓を飾る花の前で、ウィクトルもナプキンを添えたりと張り切って手伝っている。
一人と一羽の様子を確認したサクヤは、鍋に砂糖としょうゆを追加して煮込み、焦げつかないように底から返すようにかき混ぜた。
それから小皿にじゃがいもを少し取り分けて、ジグを手招きして呼びつける。
「ジグ、味見よ。はい、あーんして?」
喜び勇んだジグの口に箸を突っ込む。
ウィクトルも羨ましそうに口を開けたので、じゃがいもを小さく切って食べさせた。
熱々の肉じゃがを頬張ったジグ達ははふはふと息を漏らし、しばらく喋られそうにないので、待つ。
「お芋がほくほくで美味しいです。じゃがいもとワインって合うんですね」
「肉じゃがはビーフシチューから派生した料理だから」
「カチ、カチ」
じゃがいもを飲み下して満足げなジグとは対照的に、ウィクトルは少し考えてから羽先で塩を指し示す。
「なるほど。塩を少し足して甘さを引き立てた方が良いのね」
「カチ!」
「彩りも欲しいって? 大丈夫、ちゃんと鬼怒清を用意しているわ。鬼が怒り出すほど清らかなマメね。肉じゃがをもっと煮詰めてから、仕上げに添える予定よ」
「ぼくよりウィクトルの方が的確に助言出来てます……」
新たな言葉遊びよりも、ジグは役に立てなかったことにショックを受けているようだ。
「こんなにたくさんの物資はジグじゃないと運べなかったでしょ? ……味見だって、ジグには一番に食べてもらいたかっただけだし」
サクヤがフォローではない本音を告げると、憂いは吹き飛んで笑顔になる。
ジグの素直なところを眩しく思っていると、ぴこんと気の抜ける音が響いた。
何事かと思えばジグの頭上に、見慣れない白と黒の斑の蝶々がとまっている。
蝶々が赤く光るとジグの表情が変わったので、なにか情報を受け取っているらしい。
「神饌の儀を、肉じゃがを嗅ぎつけた健啖魔王が凄まじい勢いでこちらに向かっているのですが、困ったことに、ガラードさんに連れてくるようお願いしていた給仕の方の到着が遅れそう、ということです。それでは完璧なおもてなしとはいえません」
ジグは不敵に微笑むと青い羽を広げた。
自然な動作で、不意打ちの笑みに狼狽えるサクヤの手の甲にキスをする。
「ぼくは少々足止めをしてきますので、ここでウィクトルと待っていてください」
サクヤはジグの固い戦士の手を握ると、意を決して手の甲にキスを返した。
「……信じて、待ってるから」
簡潔ながら、サクヤは労りをこめて呟く。
ジグはいつも言葉や行動で愛を示してくれたから。想いを少しでも返したくて、行動してみたのだが……効果は抜群だった。
「サクヤさんの方から、ぼくに……?」
歓喜に震えるジグから、凄まじい魔力が放出される。
瞳に宿る光が、いつもの蝶々ではなくハート型に見えたのはサクヤの気のせいだろうか?
「ありがとうございます、サクヤさん。……行ってきます!!」
有頂天で飛び立つジグを、ウィクトルと見送ってから、サクヤはぼそっと呟いた。
「……なんか私、ブーストかけちゃった?」
「カチ」
呆然とするサクヤとは裏腹に、ウィクトルはよくやった、と言わんばかりに羽を立てていた。




