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25.ミサキとサツキ

 血蜜柑ブラッドオレンジの花木に近付くにつれ、茉莉花ジャスミンにも似た爽やかな甘い香りが漂ってくる。

 はらはらと雪のように舞う、純白で穢れの一つもない花びらは、地面に──根元の遺骨に、幾重にも降り積もっていた。


「あれがミサキの木じゃ」


 ミサキの太い根は抱き締めるように、離すまいとするように一体の骸骨を抱えこんでいる。

 少し残酷で美しい光景からはミサキの深い愛憎が伝わってくるようで、魔獣ですら近寄るものはなかった。


「あの骨は花木になれなかった伴侶じゃが、ミサキが浄化し続けるが故に、大荒野の呪いと化して消えることもない。……蝕呪の儀を受けなかった男の、成れの果てじゃ」


 根と骨は地面に半ば埋もれながら、長い年月をかけて一体化しており、何者にも引き離させないと言わんばかりで、ある意味では愛の形なのだろう。

 ……だが、ジグとサクヤにはこんな形で結ばれてほしくない。


「ジグ、お主はこうなってくれるなよ……」


 不意打ちで冷水を浴びせられたようなものだが、ジグは力強く肯いた。


「ミサキさんの悲劇については、以前サクヤさんから教えてもらいました。ぼくはサクヤさんや師匠を悲しませたりしません。絶対にです」

「カチ。カチィ!」


 ジグだけでなく、ウィクトルもまた宣言している。


「ウィクトルも、そんなことにはさせないって言ってる……わっ」


 愛おしさからかジグの腕に力がこもり、再び手を繋いでいたサクヤが引き寄せられる形になって、驚きの声を上げた。


「すみません。痛くしてしまいましたか?」

「ううん、びっくりしただけ。……大丈夫よ、ジグ」


 サクヤは穏やかに微笑みながらジグに寄り添った。

 どこから見ても仲睦まじい二人の姿は、ブロスの心配など杞憂だと言ってるようでもある。

 ──それでも不安なのが親心じゃて。


 ブロスにとって、サクヤは大事な一人娘だ。

 長年子のいなかったブロスとサツキの元にやって来てくれた愛し子。

 サクヤ達で決めたという約束を、意志を尊重しつつも、早く蝕呪の儀を行ってほしいと、老婆心ながらついつい口出してしまう。


 わざわざミサキの木を経由して戒めのように警告するのも、ブロスがサクヤとジグの幸せを心から願っている故だ。


「……心配かけてごめんなさい、お父様」


 申し訳なさそうなサクヤにブロスは首を振る。サクヤを不安にさせたのはブロスの責任だ。


 ジグには茶化して誤魔化したが、心の根底に先立たれた妻の元へ行きたい気持ちがあるというのも、ブロスの秘密である。



 なんとなく気まずさから無言になりながら、目的地に辿り着く。

 この辺りまで来ると木々は整然と並んでおり、ブロスの目には真っ先に艶やかに咲いた真紅の椿が飛びこんできた。


「……綺麗じゃよ、咲月サツキ


 称賛が口をついて出る。今も昔も、姿が変わっても、いつだって妻は美しい。


 「お母様、遅くなってごめんなさい。私の伴侶のジグよ」


 サクヤが手を合わせるのを見て、ジグも真似をする。


「初めまして、モルフォ蝶のジグです。不束者ですが、よろしくお願いします」

「……それは一般的に女性側の挨拶じゃなかろうか?」


 緊張したジグは真面目に素っ頓狂な事を言うので、ブロスは苦笑いを浮かべる。

 ここに来るといつもは耐えきれず涙を流していたが、サツキの前でもようやく笑えるようになった。


「サクヤさんのお母様は椿の花なんですね」 

「そうよ。花人は親子や姉妹、例え双子でも違う花を咲かせるの。だから花が咲くまでは、自分が何の花人になるかはわからないわ。例外は女王様だけで、代々同じ花と名前を引き継いでいたそうよ」

「親から性質を受け継がないという点は、ちょっと蟲人と似てます。連綿と受け継がれる遺伝子情報の中で、環境に最適化した種として産まれるのが蟲人なので。もう滅んだ国ですが、一部の王族だけは決まった種類に成りやすいとも言われていましたよ」

「そうなの? 私達、意外と共通点があるのね」


 サクヤ達の会話をぼんやりと聞きながら、ブロスは椿の花に見惚れていた。

 咲き誇る椿の右隣に空いた土地は、いつかブロスが還る場所。

 サツキと同様、自分の意志で決められるものではないだろうが、ブロスは赤を引き立てる白い椿になりたいと思う。紅白で並んだ椿はさぞや見事だろうと。


「……お父様?」


 気付けばサクヤが怖ず怖ずとブロスを上目遣いに見ていた。

 サクヤは敏い子だ。そうでなくとも、親の様子に子は敏感になるというもの。

 こうして不安を感じていたのだな、とブロスは思い至り、反省する。


 “旦那様……サクヤに……私達の娘に、辛い運命を背負わせないで、お願い、あの子には人並みの幸せを…………”


 サツキの最期の願いを叶えるためにも、ブロスはまだ物言えぬ木になる訳にはいかないのだ。


「すまんのう。サツキがあまりにも綺麗で見蕩れてしまったわ。声も出ぬ美しさとはこの椿のことかと」

「わかります。ぼくもサクヤさんの枝垂れ桜を見ていると、なんて美しいのかと、精神がトリップしそうになりますから。もちろん花だけではなく、サクヤさんの全てが美しくて愛おしいのですが」

「うむうむ。伴侶にとって妻は存在自体が格別じゃからのう……。というかジグ。賛同するように見せかけて惚気るでないわ」

「そうおっしゃいますが、師匠もさっきから目尻が下がりっ放しですよ」


 ジグとのやり取りに、ようやくサクヤも安堵し、笑った。

 しばらく近況を報告したり、ジグとの日々を面白おかしく説明してから、最後にサクヤが御神木の加護の水を捧げる。


「お母様、またね」

「サツキ、また会いに来るからな」

「お邪魔しました」

「カチ」


 答えるように椿の葉がさわさわと揺れる。

 花人に取って肉体の死は終わりではなく、花木となって産まれ直す新たな生の幕開けだ。

 ……だからこれは一時的な別れに過ぎない。

 家族の増えた賑やかな墓参りで、ブロスは妻の死をようやく昇華出来た気がする。


*******


 往路復路の移動に足は欠かせないので、森を出てからジグはビートルを喚び出した。

 歩き通しだったサクヤは疲れたのか、椅子に座って間もなくうつらうつらと船を漕いでいる。

 玉座に座ったジグの肩に、サクヤの頭が、枝垂れ桜が寄りかかった。


 ジグはサクヤが眠りやすいように体を傾けて体勢を整えると、操縦を自動に切り替える。

 サクヤの長い睫毛が震え、ふっくらと柔らかそうな唇から微かに寝息が聞こえてきた。

 いつまでも見飽きない、可愛らしい寝顔である。


 見つめていると、どうしようもなく胸が苦しくなって、ジグは耐えるように右手でシャツの胸元を強く握り締めた。

 ……切ない。恋しい。狂おしいほどに、たった一つの種が欲しい。


 蝕呪の儀を待った選択を、こんなに悔やんだ時はなかった。


 サクヤの前ではおくびも出さず、意地で平静を装っていたが、ジグは死後も愛した者を離さないミサキの愛に共感し、あらゆる形の夫婦の木々を散々見せつけられて、森からずっとサクヤの種を欲していたのだ。


 ジグは森に立ち入ったことで、大事な家族にずっと側にいてほしいサクヤの気持ちだけでなく、先立たれた妻の元に行きたい……早く一対の木となりたい伴侶ブロスの気持ちも、理解できてしまった。


 赤い椿を前にしたブロスのやるせない表情を思い返し、ジグはサクヤと繋いだままの、指を絡めた手をゆっくり持ち上げる。


 意識がないのに、サクヤはしっかり握り返してくれていた。

 ジグはこんな風に枝同士が繋がる、連理の木になりたかった。幹と幹が絡み合ったものや、切り離せないほど結合したものならもっと良い。


 サクヤと同じ枝垂れ桜を咲かせ、物理的に一つとなって、人の一生よりも長い時をともに生きる──甘美な未来を夢想していると、今日のために設置した後部座席で、ブロスが背もたれの隙間からジグを鋭い目で見ていた。


「のう、ジグや。実はサクヤが産まれたのは拾の月でな、先日の乙芽の祝祭の日だったんじゃ」

「…………なんで終わってから何日も経った後で言うんですか。もっと早く教えて貰わないと困ります!」


 ジグの抗議を取り合わず、ブロスは言葉を続ける。


「まあ聞け。本人にも言ったことのない激レア情報じゃぞ。拾の月の少し肌寒い晩に、サクヤは産声を上げたのじゃ。あの感動は昨日のことのように思い出せる。名付けたのはサツキでな、花人には咲の字は縁起が良いと人気で、亡き女王の名、陽花ヒナにあやかった名前にするか迷っておったのじゃが、その日が満月の輝く美しい夜で、それが決め手となり、咲夜と……」

「だから、ちょっと待ってください。何故、このタイミングでサクヤさん抜きで打ち明け話を始めてるんです!?」


 サクヤを起こさないようにジグも声を潜め、顔だけで振り返ってブロスを問い詰める。

 衝撃の事実に、ジグはとにかく混乱していた。


「さっきから一人で悶々としておるようじゃから、後押ししてやろうかと。ようするに、サクヤは誕生日を迎えて実年齢は十五歳、蟲人基準でも成人になったのじゃぞ」


 ジグの脳内でなにかのたがが外れた、気がする。


「なんという爆弾を落としてくれたんですか……」

「サクヤは強情っぱりじゃからな。ジグの方を焚きつけた方が早そうでのう」

「ええ、かなり心を揺さぶられましたとも! ……でもサクヤさんの思いが最優先です。それにサクヤさんは自分のお誕生日を知らないのでしょう。ならば“聖誕の儀”で、いえ、お聖月を迎えて一緒に歳を取ってからじゃないと、まだ成人とは認めません」


 自分に言い聞かせるように宣言し、ジグはサクヤを起こさない程度に軽く頭を横に振って、邪念を追い払う。

 ウィクトルもジグを援護するように、ブロスの耳元をその翼で撫で、話しかけた。


「カチ、カチカチ」

「いや、わしには何を言っとるか全く分からんからな?」

「二人はもう子どもじゃない、野暮な口出しはせず、長い目で温かく見守ってやろう、と言っています。……なんで保護者目線なんですか。ウィクトルはぼくの友達でしょう?」

「カチ?」


 相棒ととぼけた会話を交わすジグに、ブロスは溜め息を零す。


「このウィクトルに免じて、余計な口出しするのは控えよう。じゃが、ジグよ。最後に誓え。百年前の悲劇は決して繰り返さぬ、サクヤを絶対に幸せにするとな」

「……はい。御神木にかけて誓います」

 

 ブロスのかつてない気迫に、ジグも真剣に応じた。

 ウィクトルも見届けた、とばかりに肯いている。


 ──この言葉がサクヤに届いているなんて、ジグは思いもしていなかった。



ジグは無自覚な手フェチ。

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