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23.乙芽の祝祭

 “乙芽の祝祭”は、拾の月の吉日に行われる儀式だ。


 下は三歳の若い芽から、まだ蕾の固い若木おさなきまでが御神木に詣でた後、湖の畔に集められる。

 健やかな成長と立派な花が咲くことを祈って、国一番の強者きょうしゃが言祝ぎ、子ども達の若葉に水を撒く、というのが儀式の全容だ。


「祭司は国一番の強者が務める習わし故、龍が海から遡上して来てからここ近年は主に龍が務めておるのう。といっても、言祝ぎ代わりに一声鳴いて、雨雲を呼び寄せ雨を降らせるという流れじゃが。ほれ、見てみよジグ」


 湖の前に設置された祭壇には若木の父親達など、男手が龍の捧げものとして、せっせと『鎮呪の果実』を運んでいる。

 そうまでして祭司を任せるのは、ツワモノにあやかって、若木に強く成長してもらいたいからだ。


「あの龍はちょっと気が荒くてのう。あれだけの実を食すことでようやく大人しくなるのじゃ。若木を呼ぶ前に準備せねばならぬし、万一のためにも若木達には防御魔法の重ねがけが必須じゃて」

 

 ブロスはジグに大体の流れを説明していく。

 大変だが、今年はジグのおかげで防衛の面は向上しており、例年よりも安全といえた。


「儀式を終えた後は、子ども達にはご褒美が待っておる」


 御神木の木陰の一画に設置された台には、多彩な花を模した飴がたくさん飾ってあり、甘い匂いも合わさって、まるで百花繚乱、咲き乱れる花畑のようだった。


「あれは百花飴という特別な飴じゃ。若木だけではなく、男女問わず子ども達皆に配る飴でのう。健全に育つように御神木に祈願しておる最中じゃが、こちらはうっかり龍が食べぬように見張らねばならぬでな、人手は多ければ多いほど良い」


 要は子ども達皆の成長を祈る祭りである。

 御神木にはカササギも多く集い、飴の番をしてくれていた。


「神饌の儀と違って、ぼくでも手伝えることがありそうですね。頑張ります!」

「主役の子ども達が何事もなく楽しめるよう、男手が裏方に撤して進める儀式じゃからのう。ほれ、そうこうしておる内に来よったぞ」


 風がそよめき、鏡のようだった水面に波紋が生じる。

 水飛沫を上げて厳かに顔を出した守護龍は、まずは果実の山に喉を鳴らし、旺盛な食欲のままに甘い匂いを振りまく飴の方へと視線を移し──飴の前で立ちはだかったジグと目が合って、明らかに身を強張らせた。


 ──きゅうん……。


 迷子の子犬のような可愛らしく弱々しい声を漏らした龍は、ゆっくり湖の底に沈んで行く。

 遠くなる水音、水面を移動する影の方角からして、大河の方へと逃げ帰ったようだ。


 ……そういえば彼奴、ジグにボコボコにのされて怯えておったな。


「逃げたみたいですが、ぼくが追いかけて連れ戻しますか? 首根っこを捕まえて引っ張って来ますよ」


 張り切って腕をまくったジグに周囲の視線が集中する。

 ジグが平然としているせいで、隣のブロスの方が居たたまれなかった。


「……そういや、俺もだけどあいつもジグに派手にボコられてたぞ」


 最初に声を上げたのは、手伝いに駆り出されていた鰥衆のサムだ。


「それって、国一番の強者……最強の称号はジグさんに移っているのでは?」


 防衛魔法のために常に魔念筆ペンを構えている術士代表のザーロも、やけに響く声でぽつりと呟く。


「でもブロスの旦那、ジグに師匠って呼ばれてたよな?」

「わしも鰥衆も等しくフルボッコにされたわい。師匠というのはサクヤの影響というか、強さではのうてわしの人格面や教養の高さじゃな」

「それを自分で言うか? でもまあうちの馬鹿息子も完全敗北したしよ、ジグが祭司で良いんじゃないか?」


 飴の準備担当、マルスの鶴の一声に賛同が上がりかけたが、待ったをかけたのは当のジグだった。


「いいえ。ぼくはサクヤさんにかかと落としで破れました。それからも負け越してばかりです。勝てる気がしません。よって一番の強者はサクヤさんですよ!」


 さすがサツキ姐さんの娘さん……と年長者が中心となってジグの意見を支持し、やがて拍手の音が響き渡る。

 厳正なる審議の結果、今回の祭司が決定したが、知らぬは本人サクヤのみである。


 



「……そんな“ネズミの嫁入り”みたいな流れで私に決まったの?」


 子守りの手伝いをしていたのに、急きょ社に呼び出されたサクヤは葉兵達に髪を梳かれ、花の向きを整えられ、解せぬ様子で儀礼的な化粧を施されていく。


「ネズミの嫁入りってなんですか?」

「お伽話よ。庄屋……金持ちのネズミが年頃になった娘をこの世で一番強い男に嫁がせようとする所から始まるの。まずはお日様に嫁入りを持ちかけるけど、雲には勝てないから自分は一番ではない、と断られる。お日様を隠す雲、雲を吹き飛ばす風、風を防ぐ壁、と相手が変わっていって、最終的には周り巡って壁に穴を空けるネズミが一番強かったって結論になる物語」

含蓄がんちくのある話ですね。でもぼくはサクヤさんが一番だと本心から思ってるので!」


 意外と頑固なジグは自分の主義を譲らない。

 ブロスはそれがわかっていたのでサクヤが祭司になる流れを止めなかった。……これも必然かという思いもある。


「……でも。サツキ姐様の娘御のサクヤ殿に取り仕切って貰えるなら、我らも嬉しゅうございます」


 葉兵の一人がおずおずと申し出た。


「サツキ姐様や旦那様のブロス殿が祭司を務めたこともありまする故」


 それを聞いたジグが、手を叩いて感嘆の声を上げる。


「すごい! 最強一家じゃないですか!」

「お主が言うか?」

「あなたもよ!」

「カチっ!」


 三者三様の突っ込みは測ったように同じタイミングだった。


 「衣装の準備が出来ました。殿方はただちに退出されてください」


 ブロスとしては言いたいことはまだあるが、ひとまず儀式を終えてになりそうだ。


*******


 白い小袖に赤い袴姿のサクヤが、御幣ごへい代わりに枝垂れ桜の枝をしゃらりと振り、集まった若木達を言祝いでいく。


「病なく育ちますように。心も体も強くありますように。かぐわしき花が咲きますように。良き縁に恵まれますように」


 幼き者達を見つめるサクヤの目はどこまでも優しい。

 さらに同調するように、サクヤの枝垂れ桜と同じ方向に、風もないのに御神木は葉を揺らめかせている。


「御神木の清きご加護を」


 空中で滾々(こんこん)と涌いた水はいくつもの水の玉に別れ、よく磨かれた水晶玉のように煌めいた。

 サクヤが最後に枝を一振りすると、水の玉は膨れ上がって弾け散る。


 サクヤの花びらとともに降り注ぐ水滴は、慈雨となって若木達の若葉を潤し、みるみる内に吸収されて行った。

 青々と輝く葉の露や優しい雨が御神木の木漏れ日を反射して虹を作り、サクヤと子ども達を繋いでいる。正にお伽話のような光景だ。


「サクヤさんの尊さが限界突破です……」

「拝んでないで飴配りの手伝いに行くぞ。これから忙しくなるでな」


 身内の特権で特等席を許されたジグは、感動のあまりハンカチを両手で握り締める。

 きゃあきゃあと水遊びを楽しんでいた子らは、母親達の用意したふかふかの手拭タオルに包まれて、早くも列を作り始めていた。

 


「はい、どうぞ」

「ありがとー!」 


 ジグが紅葉のように小さな手に飴の棒を握らせると、子ども達はこちらも釣られそうな弾けんばかりの笑顔になる。


 ──あの日、貧民街が襲われなければ。

 なんとか集めたなけなしの食料を、親友は、仲間は笑って受け取ってくれたはずだった。

 子ども達のおかげで、ジグの中の忸怩じくじたる思いが少し晴れた気がする。



「ねえねえ、おにーちゃんはだぁれ? はじめまして?」

「初めましてであってますよ。ぼくはモルフォ蝶のジグです」

「もるほちょー?」


 飴を配り終えて一段落着いたのもあり、ジグは子どもの一人の純粋な疑問に答えるべく、思い立ってペンを取り出した。


「これがモルフォ蝶です」


 空中に青い蝶々を描いて羽ばたかせると、子ども達は一斉に歓声を上げる。


 そのやり取りを見守っていたザーロも、ジグから譲り受けたペンで娘のために大輪の薔薇を描き、他の術士達もこの日のために量産したペンで、思い思いに花や動物や小鳥など子ども達が喜びそうなものを空に描いた。

 子ども達は大盛り上がりで空に手を伸ばす。


「これは見事じゃのう」


 大人も子どもも区別なく、賑やかな空を見上げて楽しんでいる。

 その輪の中にいられることが、ジグにはとても誇らしかった。


*******


「ジグ、お疲れさま」


 事前に待ち合わせた場所でサクヤがジグを労り、御神木の加護で出した清く冷たい水を差し出すと、祭りの余韻を残して興奮気味の視線を向けられた。


「サクヤさんこそ、お疲れさまです。とても綺麗でした。言祝ぎも優しくて、なんだか不思議な感じがしました」

「カチ、カチィ!」


 ジグとウィクトルの素直な褒め言葉に顔が熱くなる。

 誤魔化すように水の容器を押し付けると、サクヤはわざとジグと背中合わせになるように座った。


「あの言祝ぎはお母様の真似をしただけよ。あの言祝ぎを受けて、私はこの通り健やかに育った訳だし?」

「サクヤさんのお母様もやはり素敵な人だったのですね」

「そうよ。お母様は優しくて、とても強くて私の憧れだったの。だから今回は急だったけど、お母様に少しは近付けたみたいで、懐かしくて嬉しかった。……ありがとう」


 最後は照れ隠しから、か細い声になってしまったがジグには伝わっただろうか。


「お主ら、ここにおったのか」

「お父様」


 御神木の太い根元の影、あまり人目の届かない絶好の隠れ家にいたのに、ブロスは目ざとく気付いたらしい。二人の前に陣取ると、地面に胡座をかく。


「ほれ、儀式を頑張ったご褒美じゃ。特別に作って貰ったんじゃぞ」


 ブロスが差し出したのは、桃色の小さな花が連なった、枝垂れ桜の百花飴だった。


「サクヤは花が咲いてから百花飴が食べられんで、寂しそうじゃったからのう」

「お父様ったら……私はもう子どもじゃないのよ?」

 

 眉間に皺を寄せるサクヤの可憐な口に、ブロスは花の一つを放りこむ。


「わしにとってはいつまでも子どもじゃよ。健やかに育てよ──お主らもじゃ」


 ブロスはジグとウィクトルの方へ花を放る。

 ウィクトルはさすがの食い意地で飴を頬張り、ジグも戸惑いながらも口で受け取った。


「なんだか懐かしい甘さですね。きっと、皆で食べるともっと美味しいはずです」

「カチ!」


 ジグは目にもとまらぬ速さでブロスの手から花の一つを掠め取り、そのひとひらを、ブロスのあんぐりと開いた口へと優しく突っ込んだ。


「師匠もいつまでも健康で長生きして下さいね?」


 ブロスは無言で、一本取られたとばかりに額を打つ。その微笑ましい光景にサクヤもウィクトルも笑っていた。


「ねえ、ジグ。ネズミの嫁入りは昔から伝わるお伽話だから、派生話も幾つかあってね。その一つに実はお金持ちの娘には、将来を誓い合った恋人がいたっていう話があるわ」


 言いながらサクヤは、ジグの逞しい背中にそっともたれ掛かる。


「一連のやり取りの後、ネズミの若者同士で一番の強者を決める戦いが起こり、恋人ネズミは娘のために奮闘するの。その話の結論は、この世で一番強いのは想い合う二人になるのよ。お父様も最強だったお母様の伴侶、という縁で祭司を務めたし」


 ……顔さえ見なければ、素直になれる。

 サクヤは勇気を振り絞って、告げた。


「だから、ジグ。ら、来年は、あなたが祭司をやってよね!」

「……はい。ぼくでよければ喜んで」


 ──これ以降、来年と言わず、乙芽の祝祭はサクヤの一家が最強として、家族が持ち回りで祭司を務めることになるのだが……それはこの場にいる誰もが知らない未来の話。


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